2018年9月15日
9月14日夜から鑑賞を開始した横手市金沢の金澤八幡宮掛け歌行事が翌朝5時に終わりを迎えた。
本当はその後秋田市へ帰るつもりでいたのだが、眠気には勝てず道の駅雁の里せんなんで仮眠を取り、目が覚めたのが午前10時
せっかく近くまで来たのだから、と増田町の実家に立ち寄ったあとあらためて秋田市を目指す帰途、ある行事のことをふと思い出した。
「今日は『旗しょい』の日か‥?」
「秋田の祭り・行事」で読んだ、大仙市神宮寺の八幡神社祭典 旗しょいの開催日が9月15日だという情報が頭の片隅にあったのだ。
8時間の長丁場となる掛け歌行事のことで頭がいっぱいで、他の行事に気が回っていなかったのだが、幸運にも国道13号線を北上中、旧大曲市を抜けたあたりで気がつくことができた。
カメラについてはバッテリー充電切れなので全てタブレットで撮影することにはなるものの、とりあえず現地神宮寺に寄ってみよう、もし空振ったらそれはそれで構わない、というかんじで現地を目指す。
神宮寺駅近くのスーパーに車を置いて八幡神社へ行ってみると‥
幟が多数立てられていて、まさしく神社の祭典といった雰囲気。かなり素敵です。
県立図書館所蔵の「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」によると、この八幡神社は「大同二年(802年)坂之上田村麻呂の創建という伝承があり、延久三年(1071年)に源義家が再建、さらに建久三年(1192年)に荒れていた社殿を源頼朝が改築したという伝承を持っている」そうだ。
9月15日前後は全国数多の八幡神社祭礼の日でもあり、前日横手市でもどこかの地区で祭礼の旗が掲げられていた。
それにしても旗しょいはこれから始まるのか、もう終わってしまったものなのか‥。
外で庭仕事をしていた年配男性に尋ねると「そろそろこっちゃ来る頃だべ。もうそのあだりさ、来てらなでねが?」とのこと
どうやら運のいいことに行事が行われている真っ只中に訪問できたようだ。これは見なければなるまい。
男性が教えてくれた方向に進んでみると‥
遠くてちょっとよく分からないが、お祭りの一行と思しき集団がこちらへ向かってくる。
そして、明らかに背の高い一本の棒のようなものが突き出ているのが見える。来ました!これこそが旗しょい!
「秋田の祭り・行事」に「神社の旗を背負い、町内を歩くのでこのように呼ばれています」と記されているとおりであり、本来は「旗背負い」と記されるべき行事だ。
こちらへ進んできた一行は神輿渡御の人たちと旗しょいの人たちで構成されていて、突き当たり丁字路から別ルートに分かれて進み始めた。また、本来は奴振りもこの祭典のときに披露されるのだが、今年はないそうだ。
あらためて近くで見ると旗がバカ高い!
神社に立てられるはずの旗なので、高くて当たり前だが、なぜそのようなものを運んで奉納することになったのか?
「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」には、「ある時、この地区で疫病が流行したことから、それを祓うために村の中の屈強な若者を選んで重いものを背負ってもらい、苦難を背負うということで疫病から逃れるために始まったとされるのだが、このことを裏付ける資料などはない」と記されている。
また、もともとは有志が集まった「大勇講」が行事の主体だったが、一時中断。その後昭和51年に「八幡神社旗背負い奉仕会」が組織されて行事再開へとこぎつけた経緯がある。
旗は長いだけでなく、ずっしりと重そう。
持ち手の男性、ぐったりです。
8mほどの長さと云われる旗はバランスが悪く、背負うのには向いていないが、持ち手が難儀しているのはそのせいだけではない。
旗と同時に石の入ったカマス6袋をも背負っているのだ!その重さについては口外しないこととされているが、6袋全体で5~60kgほどと思われる、と「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」に記されている。
そのうえ、右手には杖替わりの木製の薙刀、左手には旗先の微調整を行うためてっぺんから垂れている綱を握り、いわば両手が塞がっている状態
なので、これを背負うのに一苦労、さらに歩くので一苦労、ついでに言えば旗のバランスを保ったうえで歩かないといけないのでさらに一苦労。三重苦だ!!
選手交代して、ずんずんと進む。
当たり前ではあるが、通りには電線が張り巡らされており、旗先を電線に引っ掛けないように慎重にコントロールしなければいけない。
木製の薙刀が「♪トントン」と地面を叩き、長閑なリズムを奏でているが、持ち手はそんな悠長なことを言っていられないぐらいに真剣だ。
電線邪魔だなあ、地中化できたらさぞかし楽だろうに‥などと考えていたが、地元の方に伺ったところ、旗先を電線に引っ掛けることなく進む妙技がこの行事の見所らしい。
伝統行事とはあまり相性がよくないはずの、近代以降日本のインフラの象徴とでも呼ぶべき電線が歓迎すべきものとして存在しているのだ。
特に山車行事については、電線の登場によって近代以前のスケールが失われサイズダウンせざるを得なくなったことは有名だし、能代の役七夕のように、てっぺんのシャチが電線に引っかからないようにパタンと折りたたむギミックも言わば必要上そうせざるを得なくなった、というだけのことだが、旗しょいについては電線が必要不可欠な小道具になっている訳だ。
特に電柱から三方向に伸びる電線の支点のあたりで、ヒョイヒョイヒョイと電線下をくぐる技が決まったときは気持ちいいらしい。
そうなんだ~、電線も役に立つことがあるんだなあ。。。(各家庭に電力を供給するという点ですでに役に立ってるんですが)
地元の人たちも木製の薙刀の音を聞きつけ、持ち手たちの技を見るために集まってくる。
家々の屋根を旗で触りながら厄除けを行うのが作法なのだそうだ。
また、酒を勧めてくるご家庭もあり、それにも持ち手の皆さんはきちんと対応していた。
いきなり若い女性が旗しょい一行のところへ近づき何やら一言告げると、持ち手の周囲に補助の皆さんやカメラマンが集まりだした。
ん?何だ何だ?と思っていたら、女性が抱っこしていた赤ちゃんを補助の人たちが抱きかかえ、持ち手の股下をくぐらせていた。
「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」に「旗を背負った人の股を子供がくぐると丈夫に育つと言い慣わされていることから、道路に出て子供に股くぐりをさせる家も多い」と記されている、まさにその場面が展開されたのだ。
股をくぐらせることで子供がすくすくと育つという点では、全国各地に(例えば神社の動物の石碑など)同様の例があるようだが、股をくぐられる人がこんな重いものを担いでいるというのはなかなかないのではないだろうか。
丈夫で健康に育つんだよ~。
巡行が続く。
旗を置くための臼も巡行のペースに合わせて一緒に運ばなければならない。
臼もそれなりの重さがあるわけなので、これも地味に辛い仕事だ。
持ち手の方から伺ったところでは、旗とカマスの重さでとにかく背中と腰のあたりに大きな負荷がかかるが、旗を固定させるためにつけている背板(「せんば」と読むらしいです)が背中をぐいぐいと圧迫してかなり痛いらしい。
クッションのようなものを背中に当てて痛みを減らすこともできるのだろうが、先に書いたように疫病からの逃れるために厄災を全て引き受けるということがこの行事が始まった理由なのだとすれば、なるべく大きな痛み・苦しみを甘受したほうがよい、という見方もできる。
器用に電線を回避
この日は大仙市の地域おこし協力隊の若い男性の方と女性の方も取材に来られていた。
こんな過酷な行事を見てさぞかしびっくりされたことだろう。
秋田で他にこのような行事が行われているなどということは管理人も聞いたことがないので(もしかするとあるのかもしれませんが)、かなりユニークで貴重な行事だと思う。
「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」では、行事の呼び方について「名称についても、古くからさまざまな呼び名があり、一定しない。単純に『旗背負い(ジョイ)』と呼ぶものが最も多いようだが、地域では『祭りの旗ショイ』とか『神宮寺の旗ショイ』とか呼ばれている」と説明している。
固定された名称がないということは、おそらく地域で自然発生的に行事が始まり、他所との情報の行き来もないまま、ここ神宮寺だけで長年続けられてきたと推測するが、どうなのだろうか。
一行は八幡神社近くまで来ています。
約50mおきに交代しているものの、途中で振舞われる酒が効いて持ち手はかなりたいへんなはず
「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」には「ご祝儀として出された酒と食物は必ず食べなければならないということと、非常な力で重いものを持ち上げるというのは、大力と大食が神への奉仕として必要な条件であり、それを成し遂げることによって神に近づくと信じられていることが、根底にあると考えられる」と書かれている。
みようによっては罰ゲームに見えなくもない行事ではあるが、基本的には厳格な神事であり(かつては行事一週間前から動物性の食物を断っていたらしい)その精神性はしっかりと受け継がれていると思う。
慎重に歩を進める。
それにしても秋の爽やかな空気がとても心地よい。
以前に何かの行事の記事で、秋田には夏・冬のお祭りは多いものの春・秋の行事が少ない、みたいなことを書いたのだが、この旗しょいの伝えてくれる初秋の空気感はまさに秋のお祭りと呼ぶに相応しい。
持ち手の人たちは必死の形相だが、辛さや厳しさが表立つ行事ではなく、澄み切った青空と白い旗の美しい調和が印象的で、神宮寺の人たちの笑顔がそこかしこに見られる心温まる行事だ。
一度神社への参道前を横切って通過したのち、あらためて参道入口までUターン。そして、この行事を締めるべく旗の奉納が始まる。
神岡町史に「八幡神社参道に到着すると講中頭(会長)が神官より刀を受け取り、鳥居に貼ってある注連縄を切り、一行が社殿を右回りに三周してから、神社の左脇の堂に奉納し、旗竿を解き、カマスの石を取り出す」と説明されているシーンが始まろうとしている。
神宮寺駅前通りと旧国道の交差点から始まり、約2kmに渡って着実に一歩一歩を刻んできた巡行の最終章へと突入。
無事に境内へ入った。
社殿の屋根に旗を立てかける。
本殿の周りを3周する。
手を合わせます。
旗を解体し、カマスの中の石を社殿下へ格納してこれにて行事は終了
皆さん、おつかれさまでした!さぞかしお疲れでしょう、ビールでも飲んでゆっくりくつろいでくださいね~
この後、神輿一行が境内に入ってきたのを見届けてから八幡神社をあとにして、再び秋田市へ向けて出発した。
危うく神宮寺を素通りしそうになったのを、何故か思い出し鑑賞までこぎつけることができて本当に良かったと思う。
高くそびえ立つ旗が青空によく映えるのと同時に、薙刀が地面を叩く音が気持ちいいぐらいにあたりに響き、苦行を引き受けるという行事本来の意義を忘れさせてしまうほどの素敵な行事だった。
決して派手ではないものの、爽やかな秋晴れがぴったりの小さな行事 - これからも地域の思いを込めて続いていってほしい。