2016年11月27日
「奇祭」と呼ばれるお祭りがある。
wikipediaによると「独特の習俗をもった、風変わりな祭り」のことを指すそうだ。
知名度はそれほど高くないながらも、今回訪れた山田地蔵祭りも奇祭のひとつとして位置づけられる(と思う)。
その所以はのちのち述べたいが、たしかに奇祭と呼ぶに相応しい行事であったことは最初に伝えておきたい。
もはや晩秋というか初冬である。
秋田市内でも2日ほど前に結構な量の雪が降った。
前の記事でも書いたように秋のこの時期に開催されるお祭りは少なく、どうしても行けるお祭りを「探す」かんじにならざるを得ない。
そんな中、この行事については比較的早い時期からリサーチを進めていた。
まずは開催日である。
土日でなければ大館の日中の行事を見るのは難しい。
で、いつ行われるかというと「旧暦10月末日の前日」なのである。
「だからそれは何月何日なんだ??」であるが、今年は運良くその日は日曜日(11月27日)だった。
それでも、開催日が変更になるものも多いし、念には念を入れる意味で大館市役所田代総合支所に問い合わせを入れた。
その行事は山田地域で運営しているのでこちらでは詳しいことは分かりません、とのこと
まあ仕方ないなと別のアプローチ方法を探す。
とネットを見ているとこの行事が行われる山田集落のHPがあるではないか。
それもこのブログなどは問題にならないくらい立派なHPなのだ。
そのなかに山田部落会会長さんの電話番号が掲載されていたので、迷わず電話してみる。
会長さんは不在につき、奥様が対応してくださったが、管理人が調べたとおり11月27日に開催されるとのこと
もっと詳しいことを知りたいのであれば「この人に電話してみて」と丁寧に石山 正勝(いしやま まさかつ)さんという方の電話番号を教えてくださった。
すぐに石山さんに連絡を入れて、行事の概要を教えていただったのだった。
さて、11月27日の当日である。
事前に調べたところ、大館市山田地域までは秋田市から五城目町~上小阿仁村~北秋田市と経由してちょうど2時間ぐらいかかる。
それはいいとして、この山田地域のなかの道がかなり分かりづらいらしいのだ。
こちらのサイトでも「道に迷った!」と書かれているし、前日にGoogle ストリートビューで調べたところ、たしかに迷ってもおかしくないような路地の作りになっている。
※こちらのサイトに詳しくこの行事のことが書かれています。
石山さん情報によると祭り当日は8時~神事(ジンジョ様に魂を入れる)、13時~祭事が執り行わるとのことで、13時に間に合うように家を出発した。
事前の読み通り、いい塩梅の時間に山田地域に入った。
石山さんから「赤坂(山田地域内の常会のひとつ)の佐藤 久和(きゅうわ)さん宅で神事/祭事があるので、山田地域に入ったらそのへんの人に行き方を尋ねてみて」と言われていたので、そうしようと試みたがいかんせん人が見当たらない。
そうこうしているうちにストリートビューで見たはずの景色も記憶が薄らいでしまい、少し道がわからなくなってきた。
久和さんのお宅の住所を確認せずにカーナビで「赤坂の代表地点」とファジィな検索しかしなかった管理人が悪いのだが、ものの見事に迷ってしまった。
カーナビは「この先を直進」とか言っているが、どうみても畑道だ。
ナビも信用できんなと思いつつ、別の道路に出るものの進んでみたらこれまた畑道に入った。
で、結局ナビが言うとおりに元の畑道を進んでいくと畑道が舗装道に変わってなんとか赤坂常会に入ることができ、行事に参加する地元の方を見つけて久和さん宅に連れて行ってもらったのだった。
道に迷っている時に撮影したジンジョ様のお堂(向館常会)
祭事に備えて宴席の準備が整えられていた。写真の男性が石山 正勝さん
久和さん宅にはそれなりの数の人が集まっており、今にも祭事が始まろうとしていた。
管理人を見つけた石山さんが「あー、電話くれた秋田市の人?」と気づいてくれた。
石山さんによると管理人以外にも仙台市からこの行事を見に来る人がいるらしい。
ところで山田地蔵祭り(ジンジョ祭り)とはどのような行事なのか?
祭りの翌日の秋田魁新報の記事から抜粋するが「わらで作った人形『ジンジョ様』を担いだ住民が町内を練り歩く伝統行事」「無病息災や家内安全を祈願」と、平易に言うとそういうことになる。
「ジンジョ」とは地蔵がなまったものらしい。
人形を担いで町内を回るだけであれば「奇祭」とは言えないのだろうが、この行事についてはその人形の姿形がポイントになるのだ。
ジンジョ様
ジンジョ様は男神と女神が対になって祀られている。
右が男神で左が女神なのだが、男神の下半身を見ると‥
ご覧のとおり、かなり「立派」だ。
ふんどしが隠す役目を全く果たしていない。
しかもなかなか精巧な作りである。
おそらく「奇祭」たるエッセンスはここに集約されているのだと思う。
1時近くになると、宴席に地域の人たちがどんどん入ってきた。
その中にテレビ局の撮影クルーの姿があった。
おや?NHK?それともABS?などと思って尋ねてみると仙台の放送局KHB東日本放送の人たちだった。
聞けば、「東北の聖地を訪ねて」という番組の撮影らしい。
石山さんがおっしゃっていた仙台からの来客はどうやらこの方々のことだったようだ。
この行事は秋田を飛び越えて東北規模の知名度なんだなあ、と妙な感慨を持った。
これもひとえに「奇祭」の求心力なのだろうか。
そしてこの番組、秋田では放送されていません。
そして祭事が始まる。
はじめに「高砂」が唄われる。
その後に宴が始まった。
仕出し弁当の中を見せてもらう。かなり豪華
ちなみに言うとお供え物もかなり豪華
米粉と水で作られた「しとぎ」。シュウマイではありません。
和気あいあいとした雰囲気で宴がすすむ
今回この祭りを見物するのにあたり、大館市に集中する類似の行事について調べてみた。
県立図書館で石田 眞さんと松山 尚さんという方の共著「ニンギョ様を祀る -秋田県大館市に見る人形道祖神を中心に-」を借りる。
「オールカラー版」の名のとおりふんだんにカラー写真が使われており、かつ丹念なフィールドワークが結実したとてもわかりやすい本だった。
それによると大館市内の人形道祖神にまつわる行事は「長木地区」「別所地区」「花矢地区」「山田地区」の4つが代表的な地区となる。
例えば長木地区の道祖神は「ドンジン様」と呼ばれ木を赤く塗ったのが特徴とか、花矢地区のそれは「ニンギョウ様」と呼ばれ巨大な手が特徴とか、実は地区ごとになんらかの差異があったりする。
その人形道祖神を奉納するのがこの行事の基本コンセプトである。
酒もすすんでいるようで、楽しい宴席は続いているが「山田地域のこと知りたいのなら、おじいさんと話をしてきなよ」と、別部屋でくつろいでいた当主である佐藤久和さんをご紹介いただいた。
久和さんは山田地域のHPでも縄ない名人として紹介されており、また、山田の伝統行事「山田の獅子踊り」の踊り手も務められた。
「○○の名人」「○○の達人」というと頑固な老人を想起しがちだが、久和さんは御年87歳ながら管理人の拙い質問や問いかけに丁寧に優しく答えてくださった。
また、地域の文化や伝承にも造詣が深く、縄ないのときの足先の使い方なども教えてくれたのだった。
佐藤 久和さん とても明るく朗らかな方です。
久和さんの奥様のトミエさん たいへん仲の良いお優しいご夫婦です。
久和さんご夫婦と話をしているときにいただいたババロア。美味でした。
そうこうしているうちに次の儀式「八皿の儀」が始まった。
丼ぐらいの大きさの盃に酒をついで参列者で回し飲みをする。
何だか字面だけ見るといかにも荘厳な儀式のようだが、楽しそうな笑い声の交じる儀式だった。
山田地蔵祭りについて少し詳しく話したい。
地勢については、先程も紹介した「秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト」の山田集落のページが大変わかりやすい。
こちらの山田地域イラストマップを見るとジンジョ様のアイコンが8つほどあるのが分かるが、上(北)から2番目のアイコンのある集落が赤坂常会である。
常会は、北から順に「美杉」「赤坂」「館町」「上名」「向館」「前田」「川反」「新明岱」となる。
それぞれの常会で同じ日にジンジョ様(の行事)が行われる。
普段はお堂に納められているジンジョ様を年に1回奉納するのだが、お面はそのままに藁でこしらえた躯体をその年の藁で作り直して奉納する。
久和さんによると今はコンバインで稲を刈ってしまうため、藁を集めること自体が結構手間だそうな。
そうして集められた藁で衣替えをするのだが、その作業をするのは祭り当日(旧暦10月末日の前日)の直近の土日曜日である。
ということで、今年は27日のお祭りの前日である26日に衣替えが行われた。
お祭りに来られた何人かの方から「昨日、衣替えも見に来ればよかったのに」と言われた。
管理人的には奉納の際の町内巡りがこのお祭りのメインだと考えていたが、地元の方々にとっては衣替えの作業もかけがえのない重要なイベントなのであろう。
ちなみにKHBの撮影クルーの方々は26・27日と2日に渡って撮影をされたらしい。
ご苦労さまです。
次の儀式は「祷渡し(とわたし)」
来年の当番への引き継ぎの儀式だ。
来年は片岡 昌(かたおか まさる)さんが当番とのこと
先ほどの「八皿の儀」と同様に和気あいあいとした雰囲気のなかで執り行われた。
宴の最中から隣の上名(かみな)常会の方と頻繁に電話で連絡を取られていた石山さんの仕切りで3時半に町内一巡に出発
例年はもっと遅い出発のようだが、祭りが遅くなると暗くなってるし、撮影の人もいっぱいいるし‥とご配慮いただいたのだった。
このあたりで秋田魁新報の記者さん2人も取材に来られた。
いざ出発
奉納の道中に隣の常会と鉢合わせした場合、ジンジョ様をぶつけ合うのがしきたりである。
出発前に石山さんが上名常会の方と連絡を取り合っていたのは、鉢合わせるための段取りをつけるためだったのだ。
ということで管理人も何とはなしに隣の常会の動きを気にする。
出発早々に太鼓が重いということで近所のお宅から一輪車を借りて、それに太鼓を乗せての行進となった。
太鼓と笛の音に乗って町内巡りをするのが習わしだが、当日はあいにく太鼓叩きの方が不在だったため、本来は笛担当の石山さんが太鼓を叩く。
しかしながら、我々撮影組へのサービスの意味もあったのだろう、石山さんがご自宅から笛を調達されてきた。
おそらく笛を披露してくれるのだろう。
併せて石山さんのご家族なのか、「太鼓を叩いてくれ」と若い男性が急遽駆り出されたのだった。
こうして道中にさまざまなアイテムを得てパワーアップするさまはスーパーマリオに近いものがある。
駆り出された男性に太鼓を教える石山さん。ムチャ振りというかムチャだ(笑)
と、そこへお隣の向館(むかいだて)常会の方々がやってきた。
向館常会はすでに奉納を終えたのか、ジンジョ様を持っていない。
ぶつけ合いの場面は見られなかったが、お酌をしたりされたりのほのぼのとした出会いの場面となった。
石山さんの笛も炸裂する。
町内巡りの際にジンジョ様をあらためて見ると、思いのほか大きいことに気づかされる。
「ニンギョ様を祀る」を読むと常会ごとのニンギョ様の大きさ(実測値)が記されており、男神が110~140cm、女神は105~130cmぐらいらしい。
また、同書には山田地域以外の人形道祖神祭りの様子も写真付きで載っている。
花矢地域の松峯ではニンギョウ様は男性の背中に担がれて町内を巡るし(ここのニンギョウ様はかなり巨大です)、同地域の新姥沢ではリヤカーに乗せられて町内を回っていた。
山田地域のニンギョ様は前に担がれているが、人形道祖神の大きさに応じて移動のしかたが変わるのが面白い。
(※石山さんによると現在町内巡りを行っているのは山田地域だけとのことです。「ニンギョ様を祀る」はH20年の刊行で、花矢地域の町内巡りは主にH17年に撮影されたものでした)
さきほどの向館常会との接触に続き、次はいよいよ上名常会との鉢合わせ
期待通りに上名常会はジンジョ様を持っている。
とくれば、ぶつけ合いが見られるということで、撮影組はここぞとばかりに映像・写真を撮るべくスタンバイに入る。
そして、ぶつけ合いのはじまり!!
互いの常会の男神と女神をぶつけ合う。
子孫繁栄の意味があるのはもちろんだが、このジンジョ様はもともと賽ノ神三柱と言われ「風の神」「風邪を治す神様」とされていたらしい。
おそらくぶつけ合いには、健康や長生き、幸せといった人々の恒久的な願いが込められているに違いない。
石山さんによると実は赤坂常会のジンジョ様は事情により、縄の強度が例年より少し弱かったそうだ。
なので、ぶつけ合いを目一杯やってしまうと壊れる危険があるので「今年は控えめにやるよ」と仰っていた。
しかしながら、ぶつけ合いの場面ではきちんとした盛り上がりを見せていたし、管理人的には充分に満足だった。
上名常会のジンジョ様(男神)こちらはブラウンフェイス
上名常会のジンジョ様(女神)顔、怖いよ‥
お目当てのぶつけ合いも終わり、あとは赤坂常会のお堂にジンジョ様を奉納するだけである。
道中のいくつかのお宅の門前に笹の葉にご飯を乗せたものが置いてあった。
無病息災を願うということらしい。
出発してから1時間近くが経過
赤坂常会のお堂の前に到着した。
すぐさま奉納にかかる。
ジンジョ様の口元にしとぎをつける。
お供え物ということだろう。
これでジンジョ様が祀られた。
柏手を打ち、高砂を唄う。
それにしても、いつも賑やかな皆さんだ(笑)
つつがなく奉納が終わったところで、解散となり各々帰路に着く。
管理人もお世話になった皆さんに挨拶をして秋田市に戻った。
「奇祭」と聞くと何やら得体の知れない祭りを想像してしまうが、実際にはジンジョ様の形に特徴があるだけでおどろおどろしいことが行われるようなものではない。
むしろ、地域の皆さんが祭りを楽しんでいる様子がダイレクトに伝わってくる、ほのぼのとした行事だった。
それにしても山田地域の皆さんはよくまとまっており、本当に仲が良いのが分かる。
その結び付きの強さが山田地域の元気の源なのだろう。
帰りの道中、ジンジョ様のあの立派なシンボルについて考えてみた。
山田地域の人たちの開放的でオープンな性格がその成り立ちに寄与していたことはたぶん間違いないと思う。
そして管理人が注目したのは、この地域の皆さんの縄ないに対するこだわりである。
久和さんが「縄ない名人」と山田集落HPで紹介されているのは先に書いたとおりだが、この地域の人たちと話していると縄ないに対する並々ならぬ熱意を感じるのだ。
ある方から「来年は縄ないも見に来てよ」と声をかけていただいたし、石山さんは「今年は縄ないの上級者がいなかったので、ジンジョ様の出来上がりが今イチ」と残念がっておられたし、管理人が想像する以上に縄ないという行為が山田地域の人々のアイデンティティとなっているのは明らかだ。
山田地域の大運動会では縄ない競争も行われているらしい。
精巧で微細な縄細工技術が尊ばれる風土において、その技術をジンジョ様に応用しようとなったのは当然の成り行きだと思う。
結果、作り込み過ぎとも言えるぐらいのリアルなシンボルがジンジョ様に取り付けられたのではないだろうか。
ジンジョ様は山田地域の人たちの明るい性格と、卓越した縄ないの技術の産物である、というのが管理人の結論だ。
ということで山田地蔵祭り
大館の人形道祖神文化を代表する行事として今後も長く続いて欲しい。
そして、初冬の秋田を代表する楽しいお祭りとしてもっともっとたくさんの人に知ってほしいと思う。
そしてそして、願わくば「東北の聖地を訪ねて~山田地蔵祭り」
管理人も映っているだろうから見てみたい‥