男鹿のナマハゲ

2016年12月31日
今年も大晦日を迎えた。
生来がずぼらな管理人は大掃除もしないし、年越しそばも食べなかったし、紅白も見なかったが、この行事だけはしっかりと押さえていた。
秋田が全国に誇る民俗行事「ナマハゲ」である。
ナマハゲについては、今更説明不要であろう。

秋田県内での認知度はほぼ100%と思われるし、全国規模でも抜群の知名度を誇る。
よく知らない、という方はこちらのサイトで予備知識をつけてもらいたい。
大晦日の晩に男鹿市内の各集落において、恐ろしい形相の面を被ったナマハゲが「泣く子はいねが~!」と雄叫びをあげて家々を回る。
というのが一般的なイメージであろう。
いや、それはそれで正しいのだが、そのイメージがあまりに固定化され過ぎていて、知りもしないのにナマハゲのことを知ったつもりになっていないか?と疑問を持ったのが今回の訪問のそもそもの動機である。
実際、男鹿市真山伝承館ではナマハゲ来訪の実演が行われているし、秋田市内でも演出としてナマハゲが出てくる居酒屋があるし、会おうと思えば365日いつでもナマハゲに会える。
わざわざ会おうと思わずとも、秋田県内の観光地を回っていると思わず出くわすことさえある。
しかしながら、それを以ってナマハゲのことをよく知っているかといえばそんなものではないはず。
ナマハゲ行事を体感すべく大晦日の男鹿行きを決めたのだった。

秋田の祭り・行事」の「男鹿のナマハゲ」の頁を読むと、「時間:午後5時~10時 場所:男鹿市」とずいぶんざっくりとした情報が書かれてある。
ナマハゲ行事の行われる集落も書かれてあるのだが、何時ぐらいにどの集落に行けばいいのか?どのご家庭においてナマハゲが暴れるところを見られるのか?などを事前に調べる必要があると思い、12月半ばほどに男鹿市にリサーチに向かった。
以前、男鹿在住の方から聞いた情報を元にナマハゲに詳しい方のお宅を訪ね、その方の紹介で北浦安全寺の安全寺地区会長である柴山さん宅を訪ねる。
いきなりの訪問でたいへん恐縮だったが、大晦日の3時ぐらいから支度をして4時には集落巡りが始まること、ナマハゲと一緒に一般家庭に上がらせてもらうことについては各家庭の判断に委ねられることなどを教えていただいた。
柴山さんのお宅に関して言えば「ウチは家にナマハゲをあげるよ」ということで、全くの空振りになることはないと確信したのだった。
と、ここらでナマハゲ行事の基本について触れておかなければならないだろう。

ナマハゲはその集落の全ての家庭に上がり込むという訳ではない。
秋田県立図書館で借りた、稲雄次さんという方の著作「ナマハゲ」を読むと、「その年に不幸やお産のあった家、病人のいる家、特に申し出のあった家にはナマハゲは入れないことになっている」と書かれている。
そして近年は「特に申し出のあった家」という部分において、家を荒らされたくない、ナマハゲを迎える準備が面倒(ナマハゲを招き入れた家では料理や酒を用意してもてなす必要がある)などの理由でナマハゲが大半の家庭に上がれないという事態が発生しているのだ。
このことがナマハゲ行事の縮小化の流れにつながっており、ひいては行事が存続の危機に瀕しているなどの情報を生み出す根源ともなっている。
秋田が全国に誇る行事がこんな理由で途絶えるなどということがあってはいけない!と思いつつも、過疎率全国一位の秋田県であればナマハゲが絶滅、ということが有り得なくもない。
その現状をこの目で確かめたい、という思いも今回の訪問には込められていた。

さて当日
昼前に自宅を出発して小一時間で男鹿市内に到着した。
その後ご飯を食べたりして、のんびり過ごした後にまずは男鹿市役所に向かう。
男鹿市では20数年前からナマハゲ行事の行われる大晦日に合わせて、市役所職員によるナマハゲの行進が行われている。
本物のナマハゲ行事のプレイベント的な位置づけの行事だが、それを見物してから安全寺地区に向かうスケジュールを立てたのだ。
2:30~ナマハゲ太鼓の演奏が行われたがそれには間に合わなかったため、3時からのナマハゲ行進を見た。

市役所敷地内はまさに人、人、人‥
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市役所の裏手側が少し高い場所になっており、そこでナマハゲがスタンバイ
2列にナマハゲが並んで行進の開始を待つさまは、ほんのちょっぴりF1のスターティンググリッドを思わせる。
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そして3時になり、行進が始まる。
動画を音声付きでご覧頂くとわかるが、すでに行進前から子供の泣き声が聞こえる。

その後ナマハゲは市役所敷地内に入り、子供たち相手に大声を出しながら練り歩いた。
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真っ昼間にたくさんの人がいる中でナマハゲを見たところで怖くないだろ、と思うが、それは大人の勝手な思考であり、子供たちには恐怖以外の何物でもないのだろう。
この子は結局お父さんに抱かれたまま、一度も顔を上げることはなかった。
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この後会場では餅まき大会が催されたらしいが、安全寺地区に早く入らなければ‥ということで早々に男鹿市役所をあとにした。
盛況を呈したイベントであり、来年以降もずっと本物のナマハゲ行事の露払い的イベントとして続いて欲しいが、ひとつ気になったことがあった。
ナマハゲのケデ(衣装)から無理矢理藁を引き抜く観客がとても多かったのだ。
こちらのサイトでも、その点の注意喚起はされているものの効果はほとんどなかったようで、ある男性が大量の藁を掴んで引き抜こうとしたためナマハゲが体をもって行かれそうになるシーンにもお目にかかった。
ナマハゲと相対する我々の作法というものも当然ある訳なので、主催者は藁を引き抜かないよう、うるさいぐらいにアナウンスをしてもいいのではないか、と思った。
(自然と落ちた藁を身に付けるとご利益がある、ということであり、引き抜いた藁では全くご利益がないとされています)

通称「ナマハゲロード」に乗り、安全寺地区を目指す。
安全寺地区周辺には棚田があり、ナマハゲロードにかかる橋の上からその景色が見える。
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わずかに雪が残る田んぼ
ちょっとした幾何学模様を作り出している。
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ナマハゲが支度をしている安全寺公民館には4時前に到着
ケデを身につけている最中ぐらいかな?と思っていたらすでに準備は整っていてすぐにでも出立できるような様子
ナマハゲ以外にも先立ち(ナマハゲに先行し、各家々に到来を告げる役)や、かます担ぎ(各家々からのご祝儀、食べ物などの受け取り役)など様々な役割の人たちが忙しそうにしている。
共同通信社と河北新報の記者さんも来ていた。
ナマハゲはここ安全寺公民館で準備を行い、集落巡回後に戻ることになっているが、そういった場所のことを「ナマハゲ宿」と呼ぶ。

支度が万端に整ったナマハゲたちがいよいよ面を装着!
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面をつけた瞬間からこの人たちは人間ではなくナマハゲと化す。
動画を見ると「うおーっ、ササデノサンスケ今来たどおーっ!!」と叫んでいるのが分かるが、ここ安全寺のナマハゲはそれぞれが名前を持っている。

オクヤマノオクノスケ
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キバノキンスケ
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ササデノサンスケ
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この3匹+先立ち+かます担ぎで1組となり、計2組が編成される。
公民館から見た安全寺集落。中央を走る道路を境にして2組のナマハゲが手分けして集落を巡る。
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そして出発
まずは公民館に向かって全員でカドを踏む。
ナマハゲの場合「四股を踏む」とは言わず、「カドを踏む」という言い方をする。
その年に不幸のあった家では正月に門松を飾らず、その場合ナマハゲが玄関先で足踏みをすることがその言い方の由来らしい。
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カド踏みを終えると、今からナマハゲとしての活動開始!ということなのだろう、早速近くにいた河北新報の女性記者さんが犠牲者第一号となったのだった。
おいたわしや‥

初めに訪問するのは先に管理人がお邪魔をした柴山さん宅
安全寺では最初に地区会長宅を訪問することになっている。
地区会長宅訪問と、それに続く神社の参拝だけはナマハゲが2組に分かれることなく一緒に行う。

ナマハゲに脅されるお孫さんをお婆さんが「大丈夫だよ」というふうに抱きかかえる。
これぞ、ナマハゲ行事!ともいえるシーンだったが、ナマハゲが部屋の中を傍若無人に荒らし回ったり、隠れた子供を見つけるために部屋を探し回るようないにしえの風景はない。
そして立派な御膳が用意されている座敷に通されて饗応の開始となる。
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ナマハゲが食事をするときは箸を使わず、素手で食べるのが以前の習わしだったそうだ。
汁物などどうしても箸を使わざるを得ないときにはその家の家長が箸を使って食べさせたらしい。
また、日本酒も必ず冷酒と決まっていたそうな

柴山さん宅を後にして、近くの神社に参拝
その後2組に分かれて集落をそれぞれ巡り始める。
あるナマハゲから、数人の子供が集まっているお宅を教えてもらったため、管理人を含めた撮影組がそのお宅に集結する。
そして、ナマハゲが入ってくる。

大人たちの意地悪い期待通りに子供たちが泣き叫ぶ。
ここで共同通信社と河北新報の記者さんは撮れ高十分ということで安全寺集落を後にした。

先の柴山さん宅ではナマハゲが家の中に入って動き回ったが、こちらのお宅では玄関から先には上がれなかった。
ナマハゲの訪問のしかたを先立ちが家人に尋ねて、その希望に添ってナマハゲが振る舞うのが決まりである。
安全寺には70ほどの世帯があるが、その全てを2組で巡る訳なので1組で30~40ほどの家々を回る。
各家庭ごとにナマハゲへの対応が異なるが、主だった対応は以下の通りとなる。
1,ナマハゲを家に上げて饗応する。
2,玄関でナマハゲをもてなすが、家の中には上げない。
3,ナマハゲを玄関に入れず、玄関先でカドを踏んでもらう。
先にも書いたように、現代のナマハゲは家の中を荒らしたりしないし、隠れている子供を暴いたりするようなこともない。
また、家に上がったところで子供がいなければ暴れる理由もない。
ということで、ナマハゲと言えば「無差別に他人の家に上がって狼藉の限りを尽くす乱暴者」みたいなイメージが未だについてまわっているが、それは過去のイメージであるということを強調しておきたい。

集落を1件1件こまめに巡回する。
集落の外れともなると街灯はないし、道もよくわからないしで地元の人でないと迷ってしまいそうだ。
だいたいこんなかんじ

管理人は「雪がしんしんと降る中で、ナマハゲ行事を見てみたい」と勝手に願望していたのだが、なんと当夜の天気は晴れ
ちょっと期待外れだったが、まあ雨よりはマシか‥と自分に言い聞かせる。
それは良いとして晴れたら晴れたで放射冷却特有の冷え込みがきつく、なおかつ道路が凍結しており慎重に歩を進めなければならない。
ここ安全寺は坂道が非常に多く、管理人も何回か転びそうになる。
こういった場合にはかえって雪が積もっていたほうが歩きやすい場合が多い。
「やっぱ雪が欲しかったなあ‥」などとグダグダと考えてしまうのだった。
因みに、安全寺のナマハゲは見てのとおり面に金銀の紙を貼っているのだが、雪降る夜に外でナマハゲを見ると雪明かりが反射してボーッと面だけが浮かび上がりそれはそれは怖いらしい‥

聞いていた情報どおり、ナマハゲを家に入れず玄関先でカドを踏んでもらうだけ、というご家庭が多いようだ。

こちらのお宅も同様
ナマハゲも思わず「情げねでえ~!(情けねーよ!)」と呻きをあげるのだった。

管理人が同行させてもらった組の先立ちは安田忠市さん、かます担ぎは安田一彦さん
家から家への移動中にお2人からナマハゲ行事についていろいろ教えていただいた。
以前はナマハゲ行事といえば、集落の大イベントであり大半のご家庭が家に上げてナマハゲをもてなしたこと
そのため、初めから終わりまでナマハゲを1人で努め上げるのが大変であり、途中でナマハゲを交代したこと
しかも、ただで飲み食いできるし、思う存分に暴れられるということなのだろう、交代要員の志願者が多数いたこと
結果的に行事の時間が長引いてしまい、深夜0時を過ぎてようやく終わることもあったらしい。
現代からすると隔世の感があるが、忠市さん、一彦さんともにそれほど年配の方ではない。
つい近年まで、一般的に知られているような行事形態だったものが、短い期間で急速に姿を変え始めたと考えるのが妥当であろう。

順々に家を回る。
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なかなか家に上がらせてもらえないなあ、とトボトボ暗くなった道を歩いていると小さな女の子を発見!
早速取り囲んで叫び声を上げる

ナマハゲを見るため外に出てきたお父さんに女の子が同行したところ、動画のような状況となったようだ。
こちらのお父さんはもともと安全寺地区出身だが、今は他の町に住んでいると一彦さんに教えてもらった。
ということは女の子は男鹿の子ではなく、ナマハゲに対する免疫もなかったのでは?と思うのだが、管理人としては女の子に「貴重なものを見られてよかったね」と言ってあげたい気分である。

この後も玄関先でのカド踏みと、玄関での酒によるもてなしが交互に繰り返されるといったかんじで巡回が続く。
そんな中1件のお宅に上がることができるという。
「おお、やっと家に上げてもらえるのかあ‥」と、飛び込み営業マンみたいなことを思ってしまった。

聞けば、このお宅のご主人は行事に先立って行われたケデ編みに協力された方とのこと
ということで、どちらかというとナマハゲと正対する側ではなく、ナマハゲの身内的な存在であるということでナマハゲも面を外してしばし楽しく語らい休息を取る。
たいへん恐縮なことだが、管理人にもたくさんの料理を振舞っていただいた。
12月25日に行われたケデ編みの様子はこちらのサイトに詳しく記事が載っている。

こちらのお宅も同様
ご主人が長くナマハゲに携わってこられた方で、いわば「ナマハゲの先輩格」にあたる。
したがって終始和やかに世間話をして、ナマハゲたちも面を外して巡回の疲れを癒すのだった。

ナマハゲを家に上げたお宅ではそれぞれに趣向を凝らした料理を用意している訳だが、酢だこと鰰(ハタハタ)寿司が人気だった。
ここ男鹿は秋田県民なら誰でも知っているように鰰が名物だが、やっぱり一般家庭で手作りされた鰰寿司はとても旨かった。
鰰寿司以外にも焼いた鰰もいただいたし、単なる部外者である管理人にたくさんの料理を勧めていただいて嬉しい限りである。
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玄関先でのカド踏みで終わってしまうお宅が多いといっても、ナマハゲは結構たくさんの料理や酒、ビールをいただくことになる。
昔から酒が飲めない人ではナマハゲは務まらないと言われていたが、その点は現代でも同じである。
ただし、飲んでいるように見せかけて実は酒を飲まずに済むような仕掛けがケデの衣装に施されているらしい。
ただただ豪快に振舞うだけに見えるナマハゲだが、それなりのリスクヘッジをしているのだ。
因みに一般的なナマハゲの姿として、一方の手に出刃包丁、もう一方に木製の桶を持っている絵を思い浮かべると思うが、桶はもともと各家々から供された酒を持ち帰るためのものだった、との説がある。
また、12月の寒空の中、それほどまでに大量に酒やビールを飲まされてトイレとか大丈夫なんだろうか?と思われる方がいるかもしれないが、「ナマハゲは家々でトイレを拝借するような軟弱なことはしない」とだけ記しておきたい。

そしてまた巡回
酒がいいかんじで回ってきたナマハゲはいよいよ絶好調だが、ナマハゲに相対する安全寺の人たちもただナマハゲの威圧におののいているだけではない。
あるお宅に「○○いるがあーっ!!(○○は女性の名前。よく聞き取れず)」と上がり込もうとしたナマハゲだが、玄関先で足止めされた挙句、○○さんのお子さんと思しき中学生ぐらいの女の子に「(○○さんが)『帰れ』って言ってるよ」とあしらわれていた。
「ナマハゲに向かって『帰れ』とは何事だあー!!」とナマハゲ大激怒するも家に上がっていいと言われていないため、玄関先で散々悔しがってそのお宅をあとにしたのだった。
また、別のお宅では、おそらくその家の人がナマハゲの中の人とたいへんな仲良しなのであろう、玄関先でナマハゲたちがよってたかってその人を押し込めたりしていたところまさかの猛反撃に遭い、あろうことかナマハゲが地面に転がされてしまった。
「ナマハゲは神の使いであり、神聖な存在」と聞くが、ここ安全寺においてはナマハゲに対して人々はかなり自由であり、部外者が想像するようなステレオタイプな存在ではないということを感じた。

こちらのお宅では小さな女の子がナマハゲに対して「ご苦労さま!」と連呼し追い払うことに成功した。

ナマハゲは「言うこと聞かないと(こっちに来ないと)来年もまた来るぞ!」と女の子を脅しつけているが、言うことを聞いたところでどうせ来年も来るのは明らかである。

ナマハゲはお年寄りには優しい。
太く大きい声ながら「まめでらがあ!?(元気でいるか?)」とお年寄りの頭を撫でるナマハゲは慈愛の心を兼ね備えているのだ。

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安全寺のナマハゲは「もどりナマハゲ」として知られている。
今ではナマハゲ行事といえば大晦日、と相場が決まっているが、戦前頃までは1月15・16日に開催されていた。
それが、徐々に大晦日開催に変更する集落が相次いだのだが、安全寺だけは近年まで1月16日開催を継続していたものを1月15日開催への変更を経て、10数年前に大晦日開催に落ち着いた、という経緯がある。
もどりナマハゲというのは大晦日に山から降りてきたナマハゲが、山に戻るのが1月15日前後と考えられたことがその由来であり、決してどこかの集落で暴れたナマハゲが帰りしなに別の集落でもうひと暴れするとかそういったことではない。

結構な数のお宅を巡回し、1件1件カドを踏んで大声を上げればさすがのナマハゲも疲労の色は隠せない。
ナマハゲを務めるのも大変なのだ。
稲雄次さんの「ナマハゲ」を読むと、巡回中の後戻り(おそらく途中放棄や途中離脱のことを指していると思う)が禁忌となっているばかりでなく、行事前の準備の段階で一度面をつけたら辞退することすら禁じられているそうな
ナマハゲになるにはそれ相応の気迫と覚悟が必要だということが分かる。
行事も終盤になると、カド踏みのタイミングもなかなか合わなくなってくる。
おそらく酒のせいもあり、体力も限界に近づいているのではないだろうか。

こちらのお宅でも饗応を受ける。
動画では分からないが、ナマハゲが装着しているケデは結構頑丈なようで、座っている際にリクライニングシートに体を預けるかの如く仰け反ってもケデが支えてくれて後ろに倒れるということはない。
藁を束ねた衣装とはいえ、結構な重量があることが推測できる。
なお、ケデがかさばっているせいで、立ち上がった拍子にケデがビールの注がれているコップに触れて倒してしまう場面が数多く見られた。
そういった意味では、結果的にナマハゲは各家々を荒らしたことになる(笑)
そして、面
ちょっと持たせてもらったが、ずっしりと重たいのだ。
日本海域文化研究所発行の「ナマハゲ-その面と習俗」を読むと安全寺の面はケヤキを用いている、ということだが、この面とケデを身につけるだけでも結構たいへんなのだ。
そのうえで家から家へ歩き回り、子供がいれば持ち上げたり、酒を飲んだり、大声を張り上げたりと体力的な消耗は計り知れない。

最後の気力を振り絞り、集落を回る。
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疲れているとはいえ、子供がいたらそれなりに「ウオーッ!」と行かなければならない。
それが役目、と言えばそうなのだが大変である。
そんな状態でも若い女性にこまめにちょっかいを出すことは忘れない(笑)

9時半頃になったあたりでそれほど遠くない場所から「ウオ~~!」と別のナマハゲの声が聞こえてきた。
2組回っていたうちの1組がすぐ近くまで来たのだ。
もう1組は別ルートで集落を巡回すると先に書いたが、元々ルートは1本でありその両端から2組がそれぞれ回る形を取るため、鉢合わせたところで集落すべての家々を回り尽くしたということになる。
そして無事に2組が合流し、長かった集落巡りも終了
4時過ぎに開始して、実に5時間半もの時間を費やした。
ナマハゲの皆さんのみならず、忠市さん、一彦さんもお疲れさまでした。
因みに以前は、2組が鉢合わせして行事終了となったところで何故か組対組で喧嘩が始まることがあったらしい。
興奮した気分やら、達成感やら、解放感やらがないまぜとなり、尋常ではない精神状態が生まれたのだろう。

その後2組別々に異なる神社を参拝して、鳥居にケデを巻きつける。
管理人はそれには同行せず、一足先に公民館に戻り暖をとった。
著書「ナマハゲ」によると、漁業を生業とする集落ではケデを神社の鳥居や境内の狛犬に巻きつける傾向があり、農業(米作)を生業とする集落ではケデを焼いてしまう傾向があるらしい。
ただし昭和57年に行事が途絶えてしまった男鹿市船越においてのみ、その地区の子供が面とケデを川に流していた、とのことだった。

参拝を終えた人たちが三々五々公民館に戻ってくる。
ナマハゲも面を外して、すっかりリラックスした表情になった。
途中から行進に同行した方や、ついさっきナマハゲをお宅にあげてもてなした方など、この行事に心を寄せる人たちがたくさん集まってきた。
かます担ぎ役だった一彦さんは各家庭から寄せられたご祝儀の確認で忙しい。
忠市さんは「俺、今日はここに泊まるわ!」みたいなことを言っているし、皆笑顔でこの行事を終えることができたのだった。
そしてこれから慰労会の開始である。

夜の公民館
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実に5時間半に渡りナマハゲに同行して、行事の仔細をつぶさに見ることができた。
ナマハゲが上がった全てのご家庭に一緒に上げてもらったのみならず、もてなしの料理をお腹が膨れるぐらいいただいて何だかとても嬉しかった。
行事前にはナマハゲ自体の怖さや、ナマハゲ行事の得体の知れなさなどで管理人自身ちょっと緊張していた節もあったが、行事が終わってみるとほっこりした気分になっていたのを感じた。
おそらく安全寺集落の人たち(ナマハゲを家に上げず玄関先でカドを踏ませるに留まった人たちも含めて)も集落の大切な行事としてナマハゲを大切に守っていきたいと思っていることだろう。
事実、ナマハゲの到来を無視して家人が対応しなかった家はなかった、と記憶している。
とかく「存続の危機」とか「虐待ではないか?」などと大上段に、しかもどちらかといえばネガティブな文脈で語られることの多くなったナマハゲだが、その内実は集落の人たちがナマハゲと共に飲食し、語り合い、笑い合い、近況を伝えるといった交歓が一つの大きな目的であり、そういった意味では小さな集落の素朴な行事という核となる部分は(昔のナマハゲ行事を知らないけど)昔も今も変わっていないことを実感できた。
なので、ナマハゲが家に上がり子供を怖がらせる場面があまり見られずとも、大半の家庭がナマハゲを家に上げなくとも「玄関で雄叫びを上げるナマハゲを家の中からスマホで撮影する」のが2016年のナマハゲ行事の在り方だと考えれば、それも納得がいくというのが偽らざる本音である。

行事が終わり、年が明けた後に男鹿市教育委員会生涯学習課に電話を入れた。
2016年にナマハゲ行事の行われた集落の数を確認するためである。
2016年分の取りまとめが終わっていないため、2015年分について教えていただいたところによると実施町内会数は147町内会のうち、79町内会だったとのこと
平成24年より始まったナマハゲ交付金制度の関係で支給単位が「町内会」となっているが、実質「集落」と置き換えても差し支えないだろう。
79という数字を多いと捉えるか、少ないと捉えるか、はたまた適正と捉えるかは人それぞれだと思う。
ただ、今回管理人がお邪魔した安全寺地区以外にも、ナマハゲの総本山的な位置づけである真山地区、かつて岡本太郎が絶賛した面が復活を遂げたらしい芦沢地区、その荒々しさは男鹿一だったと言われる相川地区など魅力あるナマハゲ行事を行う集落が男鹿には山ほどあるのだ。
実際に「ナマハゲ-その面と習俗」に寄稿された埼玉県在住のカメラマンの方は毎年大晦日ごとに集落を変えて、ナマハゲ行事を20年に渡って訪ね続けたらしい。
やろうと思えばそういった楽しみ方は可能だし、全てのナマハゲ集落が足を運んだ人にその魅力を存分に伝えるはずである。
それほどに奥深く、ユニークな行事は全国でも珍しいのではないだろうか。
いつまでも男鹿の人たちの心の拠り所、そして誇りであり続けて欲しいと願わずにはいられない。
そして管理人は、と言えば2017年はどの集落にお邪魔しようか?などと既に思案中である。


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