2017年2月26日
前回の「三所神社の梵天」に続いて、今回も梵天行事である。
今月はこれで3件目の梵天行事鑑賞となった。
それも大仙市大曲の「川を渡る梵天」、横手市の「旭岡山神社の梵天」という、規模の大きなものを外してもなお3件も鑑賞できるのだから、梵天行事の過密ぶりが窺えるというものだ。
他にも「女梵天」の異名をとる「金沢八幡宮の梵天」(別に女性が「ジョヤサ!」とかやる訳ではないです)なども開催されたし、それ以外にも行われていたかもしれない。
とにかく2月は梵天行事が多いのだ。
さて、今回の「木戸五郎兵衛稲荷神社の初午祭」だが、調べてみると現在梵天は上げられておらず、もっぱら恵比寿俵奉納のみ行われているらしい。
稲 雄次さんの「カマクラとボンデン」を読むと、最近は梵天よりも恵比寿俵の方が多く‥といった記述があったので、徐々に梵天から恵比寿俵に移行していったことが窺える。
いつから梵天奉納がされなくなったか調べたところ、「横手市の観光~横手のいいどご勝手に紹介」(横手市内の各梵天行事が年ごとにアーカイブされているたいへん丁寧なサイトです)を見ると、2010年を最後に梵天奉納が行われなくなったことが分かる。
その代わり、恵比寿俵奉納後の餅まきが結構盛りだくさんで充実しているらしい。
管理人もスーパーのビニール袋を用意して臨むことにした。
そして当日
会場である木戸五郎兵衛稲荷神社に11時半ぐらいに着くように、10時に自宅を出発
馴染みの出羽グリーンロードを南下して、途中で横手市街地方面に折れて雄物川町内へ入ると、目抜き通り沿いに木戸五郎兵衛稲荷神社がある。
11時20分には到着した。
これから奉納が行われるようで、実にいいタイミングで到着したのだった。
どうやら真冬と呼ばれる季節は終わったようだ。
雪はまだたくさん積もっているものの、確実に春が近づいていることが分かる。
この神社は雄物川中央公園の敷地内に社殿があり、観光施設 木戸五郎兵衛村、雄物川町郷土資料館に隣接している。
木戸五郎兵衛村には4軒の古民家があり、横手のかまくらの時期には会場の一つとなっており、庭に2基のかまくらが作られるので写真などでご覧になった方も多いと思う。
こちらが社殿
境内には30~40人ぐらいの見物客がいた。
神社が創建されたのは、後三年の役などの時代に遡るらしい。
神社の歴史と、今日の祭典に関する説明板が境内に立てられている。
右上にお稲荷さんが梵天を担いだマスコット「ごりやく君」が描かれているが、恵比寿俵を担ぐ絵に直したほうが‥
管理人が境内へ入った直後に最初の恵比寿俵行列、「高畑青年会」が入ってきた。
梵天唄を歌いながら町内を一巡した後に、神社で恵比寿俵奉納を行うのだが、特に奉納時間が決まっている訳ではない。
大体11時半~1時が奉納時間とされており、その時間内に各々の町内や団体が三々五々集結する形である。
まずは梵天唄披露
続いて恵比寿俵奉納
高畑青年会は最初の奉納なので他地区・他団体との押し合いはできない。
ということで、5人編成を2つに分けて2人対3人で押し合いを披露してくれた。
ここ、木戸五郎兵衛稲荷神社の所在は「横手市雄物川町沼館高畑」であり、高畑青年会にとっては地元の神社となる。
「横手のええどご勝手に紹介」を見ると、平成15年には高畑青年会の1基だけしか奉納されないということもあったようだ。
高畑青年会は地元の行事をなくしてはいけないとばかりに、今年も元気に参加したのだった。
次はお待ちかねの餅まき
お菓子、餅、カップラーメン、そして袋入りの油揚げ(稲荷神社なので)など多くの食べ物が撒かれた。
画面右から左に風が吹いていたので、スナック菓子など軽量のものは左側に流れてしまう。
なんかのスポーツ競技の解説風に表現するなら「キャッチング能力だけでなく、ポジショニングのセンスも必要ですね」ということになろうか。
高畑青年会の餅まきが終わると同時に、次の地区「館下小路有志」の恵比寿俵が入ってきた。
互いに軽口など叩き合いながら、さっそく恵比寿俵奉納
そして5人(高畑青年会)対8人(館下小路有志)の押し合いが始まる!
先ほどの高畑青年会の押し合いもそうだったが、一度は守勢側が押し返し、二度目の攻防で奉納する側が無事におさめるのは何か約束事でもあるものだろうか。
続いて餅まき
(おそらく)館ノ下地区の少年が櫓に上がり、餅まきを行った。
少年はニコニコと笑みを浮かべながらお菓子などを撒いているが、餅まき用の櫓は結構高いので高所が苦手な人は上れない気がする。
せっかく社殿があるので、縁(神社の階段上の廊下部分)に立ってそこから餅まきすればいいじゃないか、と思うかもしれないが、結構昔から櫓(昔は木製だった)に上って餅まきするのが決まりだったようだ。
あとは「横手市役所雄物川職員」の一団体の奉納を残すのみとなった。
が、待っていても来ないし、来る様子すらない。
館下小路有志のある方がケータイで連絡を取ったところ、町内巡回中でこれからまだ5~6軒のお宅を回るので神社に到着するには30分ぐらいかかるという。
その情報が見物客にも広まり、一旦撤収し、最後の恵比寿俵が来る時間あたりに神社に戻ってこよう、みたいな雰囲気になった。
管理人も余った時間にそのへんをブラブラする。
鳥居をくぐってすぐのあたりにお稲荷さんが4体ほど置かれている。
この時期に風邪などひかないでということだろう、丁寧に服が着せられていた。
お稲荷さんの前に置かれた木箱
お賽銭などとともに、たった今餅まきで受け取ったばかりのお菓子や油揚げが供物として入れられていた。
狐(お稲荷さん)はもともと里山の動物であり、古くから人間と関わってきたことから「田の神の使い」として崇められていた。
そして信仰が普及するにつれて、農村では農業神、漁村では漁業神、商業地域では商売繁盛の神といったように、その土地その土地と結びつきながらさらに広まっていった。
ここ木戸五郎兵衛稲荷神社は地元の人からは「五郎兵衛さん」と呼ばれ、失せ物、盗難、開運の神として親しまれているそうだ。
木戸五郎兵衛村の入口
雄物川郷土資料館の壁に描かれた画
後三年の役がモチーフか
通りの反対側のパチンコ屋入口にも旗が立っている。
神社と間違えて、パチンコ屋に入る人がいないか心配だ(いる訳ない)。
そして先の餅まきが終わってから30分ほど経ったところで、町内の巡回を終えた横手市役所雄物川職員一行が神社に入ってきた。
若く元気いっぱいの皆さんです。
一旦境内から立ち退いた人たちが再度集まってきた。
皆、最終となる餅まきに燃えているのだろう。
そして、押し合いの始まり
といっても横手市役所雄物川職員の奉納までかなり時間が空いてしまったので、館下小路有志の皆さんはもう神社をあとにしたし、社殿には高畑青年会の方が1人いるだけ
地元高畑の代表として、きちんと横手市役所雄物川職員を迎えなければならん、ということだろう。
1人(高畑青年会)対10人(横手市役所雄物川職員)ということで「押し合い」ではなく、もはや「押し」だ。
それでも押し合いのシーンがあるのとないのとでは違う。
威勢のいい「ジョヤサ!」の掛け声があると、その場の空気がビシッと締まる。
大半の見物客のお目当てだった餅まきも最終となる。
皆が1,2回目の反省を踏まえて今回に全力を注いでくる(と思う)。
管理人は社殿の縁から撮影
そして餅まきが始まった。
管理人も途中で撮影を止めて群れの中に入っていくが、なんとなく乗り遅れたかんじになってしまい、結局餅2個とお菓子1個をゲットしたのみだった(それも撒かれたのに誰も気づいていないのを拾って)。
そして行事は終了
会場にいた人たちが一斉に帰り出す。
管理人は境内をしばしウロウロ
社殿横に小さな雪だるまがあった。
本日奉納された恵比寿俵3基
社殿の後ろの祠らしき中にある燭台と賽銭箱
この空間からお稲荷さんが出入りする、と云われている。
時刻は午後1時を指している。
途中、横手市役所雄物川職員の恵比寿俵到着まで時間を要したので、奉納・餅まきが行われたのは正味1時間ぐらいだろうか。
餅まきで大した成果を得られなかったが、それでも春の訪れを濃厚に感じさせる晩冬の行事を楽しめたことに満足しながら、管理人も秋田市へ戻っていった。
こぢんまりとした、ほのぼの感満載の梵天(梵天はなかったけど)行事だった。
「カマクラとボンデン」には、昭和63年3月28日(旧暦2月初午の日)の初午祭では、梵天2本と恵比寿俵12基が奉納されたことが記されている。
それから約30年を経た現在、規模は小さくなっているものの地元の皆さんにとってかけがえのない行事であることには変わりはない。
お稲荷さんにお菓子と油揚げを供えていた地元のお婆さんが、ニコニコと微笑みながら「昔からずっとこうしてお供え物を上げてるんだよ」と教えてくれた。
規模の大小ではなく、地元の人たちの心の拠り所として、いつまでも続けていくことが大事なんだ、ということをあらためて教えてもらった。
そしてもう一つ。「餅まきのスキルをもっと身につけなさいよ」ということも気づかせてもらった管理人なのだった。
お稲荷さんに着せられていた服を見ると、日本人で良かったなぁ〜と思います。
隣人1号さん
いつもコメントありがとうございます!
お稲荷さんが、地域の人たちに愛されている様子が伝わってきますよね。
油揚げが一番多く供えられていましたが、お菓子も多かったですし、お賽銭も入っていました。
これからも地域の人たちを温かく見守る存在であってほしい、と願います。