万灯火

2017年3月20日
今回は久々に県北の行事の登場である。
これまで県央・県南の行事が記事の多くを占めており、県北の行事を取り上げるのは昨年の大館市の山田地蔵祭り(ジンジョ祭り)以来となる。
管理人は県南出身者なので、勝手知ったる県南(特に横手市あたり)に比べると、県北方面にはアウェイ感を感じるとかそういったことではない。
また、県北方面に魅力ある行事が少ない、とかそういった訳でもない。
が、なぜかこれまで行く機会に恵まれなかった。

その理由は実のところ自分でもよく分からない。
あえて言うならば「移動時間、移動距離のイメージが掴めないから」ということになろうか。
別に長時間運転は苦ではないので構わないのだが、県南方面であれば普段行く機会の少ないところであっても大体の移動時間や移動距離が想像できるのに対し、県北ではそのようなイメージがなかなかできない。
なので、県北方面に行くときにはだいたい自動車NAVIで到着時間を調べる羽目になるし、それがまた結構当たらなかったりする。
そういったことが原因で、無意識のうちに県北行きにブレーキをかけてしまっているのでは‥と分析できなくもない。
まあ、とにかくこれからは意識して県北方面にも足繁く通い、秋田県全域に活動のフィールドをしっかり広げていこう、とあらためて思う次第だ。

そして今回訪問したのは「万灯火(まとび)」行事
祭りや行事と言えば、まず最初に主体となる人がいて、その人が祭祀や奉納をするための道具とその対象があって、その祭祀や奉納が行われる様を見物する人がいて‥というような構成を為す訳だが、万灯火が行われている写真はどれも一様に夜の闇に点々と灯が並ぶ様ばかりであり、人の存在が希薄でちょっと異質な行事という印象を受ける。
管理人は初めて見るし、見たことがあるという人はそれほど多くないのではないか。
行事の概要は北秋田市HPを見てもらいたい。

万灯火行事は3月20日のお彼岸の中日に秋田県内の2つの地域で行われる(万灯火行事と同種の鹿角市小豆沢のオジナオバナが3月23日に行われたので、「2つの地域で行われる」と断言するのもどうか?というのはある)。
一つが先に北秋田市HPで紹介した北秋田市旧合川町の万灯火、もう一つは上小阿仁村の万灯火だ。
近年、上小阿仁村のほうは万灯火行事を観光コンテンツとして売り出しており、道の駅かみこあにを拠点として鑑賞バスが運行したり、太鼓演奏が披露されたりしている。
今年は県が支援する婚活事業の一環として、万灯火行事に絡めてお見合いパーティーが開かれたらしい。
一方、旧合川町のほうはそういった観光色は一切なし
上小阿仁村の賑やかさも気になったのだが、ここは万灯火いっぽんで勝負!の旧合川町のほうを鑑賞しようと決めたのだった(だから、勝負とかそんな話じゃないって‥)。

当日は4時頃に秋田市を出発
秋田市金足と五城目町とを結ぶ広域農道を北上し、その後国道285号線に合流しひたすら北東に進む。
そして上小阿仁村を過ぎると思った以上に、時間がかからずに旧合川町に入ることができた。
旧合川町。これまで北欧の杜公園に立ち寄ったことはあるにせよ、きちんと訪問するのは初かもしれない。
昨年9月に上杉(かみすぎ)八幡神社で行われる「上杉獅子踊り行列」を鑑賞する予定を立てたのだが、スケジュールが合わずに断念した経緯がある。
通い過ぎて手垢にまみれた県南地方(県南在住の皆さん、ごめんなさい)に比べると、遥かに新鮮な気持ちで県北のこの地に辿り着いた。

夕日が沈む直前の風景。美しい。
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いつもは秋田県立図書館で文献を調べたり、ネットで情報収集するなどして行事の詳細をリサーチしたうえで現地に向かうのだが、上小阿仁村の万灯火のほうは情報量が多いのに比べ、旧合川町のほうはほとんど情報を得ることができなかった(後日あらためてネットで万灯火のことを調べたところ、少々古い記事ではあるものの「北秋田☆まちぶろぐ☆」で開催地区の情報は確認できた)。
したがってどの地区で、どれぐらいの規模で、どの時間帯に行われるかよく分からない。
秋田の祭り・行事」を読むと「場所:三木田及び周辺集落 時間:午後6時30分~」とは載っているものの、三木田地区のどこに行けばよいのかが分からないし、周辺集落とは一体どこらあたりなのかよく分からない。
どのようにアプローチしようか、などと考えながら運転していると、いきなり道路沿いの一角に万灯火が準備されているのを発見!
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この「ダンポ」と呼ばれる丸めたボロ布に、火をつけたものが万灯火となる。
因みに「万灯火」の語源だが、秋田県教育委員会が平成9年に発行した「秋田県祭り・行事調査報告書」によると、お彼岸に戻ってくる祖先の霊が目印とする火の意味での「的火」とか、「貧者の一灯を集めて万灯となす」という言葉からきている、などといろいろな説があるが、はっきりとは分からないそうだ。

万灯火は道路の片側に並べて立てられているが、道路の反対側には集団墓地がある。
で、そのお墓を見ると‥
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今日、行事が行われることを知らない人であれば「ぎゃあああああ!!!ひ、ひ、人魂出たあああー!」となることは想像に難くない。
というか、万灯火はもともと墓前で藁の束を燃やして祖先を迎えていたものだったのが、いつからか集落で行う行事へと変化していったらしい。
そういった意味では墓前でこのように万灯火を燃やすのは至極当然のことだ。

万灯火の行われる場所を一箇所は確保できた訳だが、ここ以外に行われる場所も知っておきたい。
そんなときには町の中心に行けば何らかの情報に出会える、ということで秋田内陸縦貫鉄道 合川駅を目指す。
で、合川駅に到着
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いや~渋すぎるよ、合川駅
情報が得られる気が全くしないし、そもそも誰もいない。
旧町名を冠した駅名なので、もう少し規模が大きいと思っていたが、この渋さはすごい!
駅前商店街もあるにはあるのだが、人の姿は皆無
ということで駅を離れて、もう少し人気のありそうなドラッグストアに向かったのだった(最初からそうしておけばよかったのは言うまでもない‥)。
そこで年配の男性に話を聞いたところ、万灯火は旧合川町南部で行われる行事であり、管理人が先ほど準備中の万灯火を見つけた場所あたりで同時に行われるとのこと
そこでもう一度、先ほど写真を撮った場所に戻ることにした。

先ほどの場所に到着
ちょうどお墓参りに来ている人たち数人に遭遇した。
あたりはもう薄暗くなっており、万灯火がリアルに人魂にしか見えない。
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その方々に万灯火行事についていろいろ尋ねた結果、以下のようなことが分かった。
・旧合川町のおよそ10(正確には9)ほどの地区で行事が行われる。
・万灯火に火が点けられる時間は6時半すぎだが、実際の点火時間については地区の判断に委ねられている。
・今、管理人がいるのは摩当(まっとう)地区
・この付近を車で移動していればいくつかの地区の万灯火を見れるし、(いろいろ教えてくれた方・女性の)おすすめは摩当地区から南下したところにある鎌沢(かまのさわ)地区の「大仏」という文字の万灯火

やはり地元の方からお聞きする情報は詳しく分かり易い。
今はネットの影響でどんなことでも調べられるが、よりディープで活きた情報を欲するのであれば地元民に直接聞くのが一番いい。
そして、管理人にこれらの情報を教えてくれた方々は、皆ここ旧合川町南部のことを「下小阿仁(しもこあに)」と呼んでいた。
行政区分としての「上小阿仁村」はあるが、「下小阿仁村」という村はない。
が、上(かみ)があれば下(しも)もある訳で、「下小阿仁」という地域があっても特段驚くことではないが、管理人にとっては初めて聞く呼び名であり、とても新鮮だった。

教えていただいた鎌沢地区に行ってみることにした。
摩当地区からはちょっとした山、というか丘陵を越える必要があるが、車で5分ほどで到着
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道路から数10mぐらい外れた、どうやら田んぼか畑がある辺りから人の声が聞こえる。
その辺で万灯火の準備もしているようだが、いかんせん日も沈み、暗くなってしまっているので様子がよく分からない。
街灯の下にテーブルが置かれている。ここで鎌沢の人たちが見張りでもするのだろうか。
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万灯火がこの近辺で行われることは確信できたが、まだ点火される気配もないため、摩当地区に戻ることにした。

摩当地区に到着したら‥あ!もう点火されてる!
時刻は行事開始の6時半を過ぎているので、いつ点火されてもおかしくはないのだが、準備された万灯火全てに火が点いている。
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万灯火に沿って歩いてみる。

ここの万灯火は、県道24号線から分岐した道路が半円状にカーブを描いて再度県道24号線に合流する、その湾曲部分に立てられている。
素朴で、松明祭りをもっと控えめにしたような光景だろうと想像していたが、意外なことに灯が点々と煌く様は何だか洗練された雰囲気だ。
山も田んぼも夜闇に隠れていて周囲の風景が見えないことも原因だが、灯油を染み込ませたダンポの放つ炎が作り出す景色は妙に都会的なムードを醸し出している。
都会的を通り越して官能的でさえある。
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摩当地区からお隣の三里(みつさと)地区の万灯火が少し見える。
おそらくここからそれほど遠くはないはずだが、周囲が真っ暗なのと万灯火のサイズ感をまだ掴めていないのとで、すぐ近くにあるようにも思えるし、やたら遠くのようにも感じる。
取り敢えず三里地区の万灯火を正面から臨める場所へ移動
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万灯火が「三里中日」の文字を作り出している。
動画を見てもらうと、その文字の近辺を人が歩いており、そのサイズ感が分かる。
この人たちは万灯火が消えたときに火をつけ直したりして、メンテナンスをするのだそうだ。
万灯火の高さはおそらく高さ6~8mぐらいあるのではないだろうか。

昔の万灯火は木の枝に藁を引っ掛けて燃やす程度のものだったらしい。
それが、現代では鉄のパイプを組み合わせて人文字ならぬ火文字を作るまでにサイズが拡大した。
そしてそのサイズ感も近くで人が観るのに合わせるのではなく、道路から人が眺める用の大きさに変わるなど時代の影響を受けている。
だが、万灯火の基本コンセプトが変わるものではないし、ここ小阿仁川流域の人たちが大切にしている行事であるという本質が変わるものでもない。
ところで、この一つ一つの灯のフォルムをきちんと撮りながらも、全景を1枚の写真に収めるということは可能なのだろうか。
技術的にそれが不可能なのであれば、この行事の魅力を写真で余すところなく伝えるのは難しいのではないか?と考える。

三里地区から県道24号線を少し北へ進み、次の芹沢(せりざわ)地区の万灯火が見える場所へ
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先ほどの三里地区で鑑賞したときも思ったのだが、何だか万灯火がこの世の景色とは思えない。
作業のため動いている人たちはシルエットしか見えず、最早あの世からの使者のようだ。
このような灯を日常で見ることがあるのだろうか。
クリスマスのイルミネーションとは明らかに異なるし、蝋燭の灯に雰囲気が近いとは思うがこれほど巨大なものではない。
松明の灯ではこんな幽玄で、幻想的な光景は作れないと思う。
非日常、非現実の世界を眺めている錯覚に陥る。

見物人はそれほど多くなく、黙って眺めている人、写真を撮っている人、通りすがりに車を止めて車内から見物している人など、1桁ぐらいの人数しかいない。
家から外に出て道路から見物する地元の方々もいるのだが、地元の方々のあいだでは家の2階から鑑賞するのも結構ポピュラーらしい。
管理人と同様に車で移動しながら各地区の万灯火を見物する人もいるのだが、なんと埼玉県からわざわざ観覧に来られたご夫婦がいた。

芹沢地区からかなり遠い場所だが、南側方向にかなり規模の大きい万灯火が見える。
県道24号線を外れて、その大きな万灯火に向かって車をすすめる。
そして到着したのは、三木田(みつきだ)地区
正対して鑑賞できる場所ではなく、万灯火の横(?)のあたりに着いたようで、そこで車を降りて万灯火に近づいてみる。
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「三木田」「中日」の文字と、稜線を縁取るように配置された万灯火が印象的だ。
万灯火を見るというよりも、万灯火を含めた全景を見るかんじ
もう幽玄とか幻想的というのを越えて、「荘厳」だ。
のどかな山あいの集落にいきなり現れた大パノラマ
変な話だが、怪談で聞く「山で遭難した人が真夜中に彷徨い歩いている時に、不夜城のごとく煌々と光を放つお城が目の前に現れた」とかそんなシチュエーションを思わせる。
見るものに強烈な違和感を覚えさせる、白昼夢のような光景だった。
茫然自失の状態で、しばしの間見惚けてしまった。

かつての万灯火行事は、旧阿仁町や旧森吉町といった、小阿仁川流域の各地で行われていたが、現在は上小阿仁村と旧合川町(下小阿仁)でのみ行われる程度になってしまった。
今は行われなくなった万灯火行事がどのようなものだったか気になるところだが、日本の各地の生活文化を調査している団体が作成したこちらの資料にかなり詳しくその痕跡が記されている。

続いて1度様子を見に行った鎌沢地区を再訪
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最初に管理人が鎌沢地区に入った時に、人の声がした場所あたりに「大仏」「中日」の文字が浮かび上がっていた。
おそらく「鎌沢」だと字画が多く、万灯火を作ることができなかったのだろう、鎌沢地区の万灯火であることを表現するのに「大仏」という字があてられている。
鎌沢地区内にある曹洞宗のお寺「白津山正法院」の大仏は北秋田市指定有形文化財であり、地域の誇りなのであろう。

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道路の法面を縁取るように万灯火が点けられている。
「万灯火ロード」と命名してもよいぐらいに、道路を明々と照らしている。
人間の生活環境(道路)の変化に対応するように、伝統行事(万灯火)が形を変える典型的な例だと思う。

先ほど写真を撮ったテーブル付近には人が沢山集まっている。
鎌沢地区の行事として行われているだけに、どうやら参加者に食べ物が振舞われているようだ。
元々万灯火は子供が主体となって行われていたものが、いつからか地区の行事として行われるようになったらしい。
子供たちには昔も今もお楽しみ会的な催しとして親しまれているのだろう。
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そして時刻は行事終了の7時半になる。
鎌沢地区の人たちは地区の公民館に移動をし、これから反省会を行うらしい。
おそらく他の地区も7時半を区切りとして万灯火を消す作業にとりかかっているに違いない。
管理人も、9つある地区のうち5つの地区の万灯火を鑑賞できた満足感とともに下小阿仁の地をあとにした。

国道285号線を南下して上小阿仁村へ入ると、道の駅かみこあに周辺にたくさんの人がいる。
上小阿仁村のほうの万灯火を鑑賞した人たちだろう。
そして「ドーン!!」という音と共に花火が打ち上げられるのが見えた。
せっかくだから‥ということでこちらの万灯火も少しだけ鑑賞した。
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「車万灯火」と呼ばれる、回転する万灯火もお目見えしている。
ここ小沢田(こさわだ)地区の万灯火は道の駅かみこあにの駐車スペース奥のあたりから鑑賞できる。

上小阿仁村のほうは、先に述べたように観光イベントとして舵を切っているため、ずいぶんと賑やかでイベント色が強いようだ。
が、地元の人にとっては先祖を迎える神聖な行事であることに変わりないであろうし、またこれだけの素晴らしい風習をよりたくさんの人に共有する意味で、地元の方の同意があれば観光化するのは全然構わない、と個人的には考える。
これも、伝統行事の在り方の一つだろう。
小沢田地区の万灯火の終了を以って、上小阿仁村の万灯火も終了
ということで、引き続き国道285号線を南下し、再び帰宅の途に着いたのだった。

万灯火行事を見る前は、まるで線香花火のような素朴な行事を思い描いていた。
が、実際には壮大で、厳粛で、なおかつ幽玄で生めかしさまで感じるほどの多くの要素を内包した光景を見せる行事だった。
子供のお遊戯会を見に行ったら、そこで見せられたのは西馬音内盆踊りだった、とかそんなイメージだ。
お盆8月14日に合川町で再びまとび(「秋田の祭り・観光」において、3月の彼岸中日のほうを「万灯火」、お盆のほうを「まとび」と分けて記述していたのでそれに倣います)が見られるとは言え、年2回しか見られず、上小阿仁村に至っては彼岸中日だけしか行われないのでは行事としての注目度は高くなりづらいだろう。
万灯火の素晴らしさをもっとたくさんの人に知って欲しいし、非常にもったいないと思う。
とは言え、元々は限られたコミュニティで行われる、祖先を迎えるための行事である。
管理人が考える行事の素晴らしさと、地域の人たちが行う行事の本来的な意味は全くの別物だろう。
このような素晴らしい行事が大きな注目を浴びることなく、限られた場所で行われることに、秋田の行事の奥深さをあらためて思い知らされた気がする。

※地図は摩当地区


“万灯火” への2件の返信

  1. 何とも『情緒有る』風景ですね。侘び寂びといいますか、日本人ならではの行事かと思います。
    その昔は、集落(地区)の一大イベントだったと思います。
    はじめて知りました。ありがとうございます

    1. 隣人1号さん
      いつもありがとうございます。
      とても不思議で、でも温かい気持ちになれる行事でした。
      昔は子供たちが中心で行われていたものが、地域の行事に変わっていったという点でも珍しいと思います。
      上小阿仁村、合川町でのみ行われる、地域限定の行事ですが、一見の価値はあります。
      是非隣人1号さんも機会があればご覧になってみてください。

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