日吉神社例祭 山王様の嫁見祭り

2017年5月20日
4月の出不精ぶりが嘘のように、5月はたくさんの祭りに出かけている。
大半は小規模でローカルな祭りなのだが、今回取り上げるお祭りはこの時期では最も規模が大きい。
日吉神社例祭 山王様の嫁見祭り
文字通り「お嫁さんを見る祭り」ということになろうか、あでやかな色打ち掛けを纏ったお嫁さんたちをじーっと鑑賞する。
派手なのか、地味なのかよく分からない。

秋田では珍しい祭りとの触れ込みだが、ネットで調べるかぎり、同様の祭りが秋田のみならず全国の他の地域で行われている様子はほぼない(かろうじて愛知県江南市で「曼陀羅寺嫁見まつり」というお祭りが開かれているのは分かりました)。
どんな祭りなのか実際に見てみないと分からない。
開催日は「旧暦4月の2番目の申の日の前日」とのこと
その日が何月何日なのかにわかには分からないが、調べたところ今年は運よく5月20日の土曜日、仕事休みの日に当たっていた。
ということで結構早い時期に鑑賞を決めたのだった。

このブログで能代市のお祭りを取り上げるのは初となる。
巨大な城郭灯籠が市中を練り歩く役七夕、さらに巨大な「嘉六」、「愛季(ちかすえ)」2基が運行する天空の不夜城、男鹿のナマハゲ行事がルーツと云われているナゴメハギ、といった県内では比較的知られている行事から、番楽入門書としてお勧めしたい大高 政秀さんの著書「秋田の民俗芸能 番楽を踊る」で詳しく紹介されている富根報徳番楽、能の原初の形をしのばせると云われる檜山舞(母体番楽)、管理人が密かに注目している駒形のネブ流し行事、といった渋いところまで、能代市の祭り・行事は結構バリエーションが豊富だ。
そんななか、嫁見祭りについては秋田県立図書館に所蔵されているお祭り関連の書籍にもほとんど詳細が記されていない。
秋田の風俗や習俗との結びつきがほとんど感じられず、京都の由緒ある神社で行ったほうがしっくりくるような祭り(と個人的に感じた)のせいか。
そんなかんじでほとんど予備知識がないも同然の状態だったが、youtubeに動画が結構アップされているので、そちらで祭りの雰囲気を感じ取ることはできた。

そして当日を迎える。
秋田市から能代市まで一般道を使うにせよ、高速道を使うにせよ、1時間以上かかることを見越さなければならない。
クライマックスである嫁見行列は6時スタートだが、早目に現地に入って会場となる日吉神社の境内の雰囲気を味わいたいし、近くの旧料亭金勇で開催されている嫁見祭り写真展も鑑賞したいと目論んでいた。
ので、遅くても5時には現地に着いておきたい。
が、休日にやっつけておきたいと思っていた野暮用に予想以上に時間を費やしてしまい、結局秋田市を発ったのは4時半すぎになってしまった。
これはいかん!
秋田北ICから秋田道に乗って一路北上、能代南ICで降りてどうにか5時50分に日吉神社に到着したが、金勇で開かれていた写真展はパスせざるを得なかった。

日吉神社近くには多くの車が路上駐車をしていた。
管理人も同じように路上に車を止めて神社に向かった訳だが、神社の鳥居のすぐ前を鉄道路線が走っていたのには驚いた。
この路線はリゾート列車「リゾートしらかみ」で全国的な人気を博している、あの「五能線」だ。
と、そこに踏切の警報音が鳴り始める。
おっ電車が来るかと思っていたら、神社からカメラを携えた何人かの人がバラバラッと線路脇に集まってカメラスタンバイ
リゾートしらかみが通過するようだ。
電車にはさほど興味がない管理人だが、カメラマンたちの勢いにつられて同じように写真を撮ってしまった。

リゾートしらかみ通過後に神社の鳥居をくぐる。

参道を進むともう一つの鳥居が

能代市最古の神社であり、鎮守とされている日吉神社には大山咋神(おおやまくいのかみ)、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)が祀られているとのこと
天文2年(1533年)に能代の海から得た光る御神体を祀って創建されたそうだ。
そして、地元能代では縁結び神社として知られているそうで、この祭りは江戸時代に地元の女性たちが参拝をしたのが起源だという。

境内は人でごった返していた。

祭り屋台はないが、おそらく地元の方々による出店が賑わいを見せていた。

晴天に恵まれたこともあり、心地よい春の夕べという雰囲気だ。
境内を少し歩いてみる。
地元の幼稚園の園児たちの作による絵灯籠

盆栽も飾られていました。

7月26・27日の夏祭り(日吉神社神輿渡御祭)で使用される山車が本殿脇の建物に収められていた。


地元のご婦人と少し話をする。
「7月はこの神社の夏祭りだし、8月は役七夕や天空の不夜城があるし、その時期の能代は見どころがたくさんあるよ!」と管理人に勧めてくださった。
是非、盛夏の能代を再訪して何がしかのお祭りを鑑賞をしたいと思う。

すでに嫁見行列が始まる6時を過ぎている。
が、行列が始まるどころかお嫁さんたちの姿が見当たらない。
「どうしたもんかなあ‥」と思っていると、本殿周辺に見物客が集まりだした。
神社の中で支度をしていた花嫁たちが登場!


おお‥待ってましたよ、ようやく登場ですな~
などと思っていたが、後日この祭りを扱ったいろんなサイトを見たところ、すでに一度お披露目済みであり、このときは化粧直し後の再登場だったようだ。
もう一つ言うと、管理人が到着する前に参道で「お杉音頭」という手踊りが10何人かの踊り手により披露されたらしい。

全員で記念撮影


花嫁姿の女性たちを前列にし、「腰元」と呼ばれる介添え役の方々が後列に並ぶ。
冒頭でこのお祭りのことを「花嫁たちを見る祭り」などとテキトーに紹介してしまったが、実際は良縁に感謝、あるいは良縁に恵まれたいということで、妙齢の女性たちが神社にお参りをするのが本来の意義である。
なので男性が腰元を務めている花嫁は両縁に感謝し、年配女性が腰元の花嫁は良縁を授かりたいというかんじだろう。

一通り撮影が終わり、出店近くに設置された長椅子席に移動


たくさんのギャラリー、カメラマンに囲まれながらもほとんどの花嫁たちはニコニコと楽しそうにしている。
中には知り合いと声高らかに談笑する花嫁の姿も見られた。
このような格式高い衣装に身を包み、さぞかし緊張しているのでは‥などと思っていたが、そんな心配は無用のようだ。

神社本殿を振り返ると「おお第二陣もいたのか!!」
もう記念撮影準備に入っています。
一陣、二陣合わせて総勢22名の花嫁が登場したとのこと

そして第二陣の皆さんも移動して椅子に座り、しばしの間全員で小休止
場内アナウンスで「花嫁さんたちはお茶を飲んで一休みします」みたいなことを言っていたので、湯呑み茶碗で「お茶っコ」が出される絵を勝手に想像していたのだが、立派な茶器で抹茶が振舞われた。
考えてみたら、こんなあでやかな色打ち掛けに身を包んだ花嫁たちに田舎じみた湯呑み茶碗など似合うはずがない。
ましてやお茶っコとガッコで一休み、などとなるはずがない。

一休み、と言っても大勢のカメラマンが取り囲んで写真を撮りまくるため、花嫁、腰元の皆さんも気を抜けないようだ。
もちろん管理人も写真を撮りまくった。
考えてみるとホテルや結婚式場に行かない限り、打ち掛け姿の女性を見ることなどない。
そんな出で立ちの女性が22人もいるのだから、そりゃあ撮影意欲も湧くだろう。
だが、綺麗な着物以上に「花嫁」という存在には人を惹きつけるものがある。
「この男性に添い遂げるんだ」という決意というか覚悟のようなものが、その表情に秘められていて、それが美しさを作り出している。
神々しさまで感じさせてくれる。
そのような花嫁の凛とした佇まいが見る人の心を打つのだと思う。

そしてクライマックスとでも言うべき嫁見行列が始まる。
花嫁、腰元が本殿前でスタンバイし、参道の両脇をたくさんの人たちが囲む。

花嫁たちが参道を歩き始める。

BGMはもちろん雅楽(調べたところ、この曲は「越天楽・えてんらく」という曲らしいです。神社ではお馴染みの曲です)
ここで秋田音頭などがかかれば「やっぱ秋田のお祭りだよな~」と腑に落ちるのだが、もちろんそんなはずはなく秋田の伝統というより日本の伝統を感じさせる雰囲気での行列となった。

もともとこの祭りは、1年以内に結婚した初嫁に参加資格があったものだが、現在では良縁を願う未婚女性も参加可となっている。
幸せを願い、憧れる若い女性は本当に綺麗に輝いて見える。

ネットで以前の祭りの様子を探してみると、傘をさしながらの行列となっている写真を結構見かける。
おそらく時期的に雨の中の開催となることも多いのだろう。
今日は雨の心配のまったく要らない晴天だったが、しとしとと雨の降る中、腰元がさす傘におさまりながら歩く花嫁たちもなかなかの風情であろう。

こうして花嫁たちは参道を歩き終え、嫁見行列は終わった。

花嫁、腰元ともにやはり緊張していたのだろう。
行列が終わると緊張から解放された若者らしい笑顔があちこちで見られたのだった。

現在の時刻は6時45分
7時半から市内柳町の通りを再度花嫁たちが行進するのだが、実は管理人はこの後に別の行事に行くプランを立てていたため、早々に日吉神社から撤収した。
行列が終わった境内

ということで日吉神社にいたのは1時間ほどだったが、爽やかな青空の下お目当ての嫁見行列を鑑賞して心地よいひとときを過ごすことができた。
それにしても、これほどまでに秋田を感じさせないお祭りも珍しい。
雅楽、巫女の舞、玉串奉奠などで構成される神社本殿内の神事に郷土色が付きづらいように、このお祭りも秋田らしさの入り込む余地が極めて少ない。
いや、秋田らしさを出すことも可能だったはずだが、ひたすら純日本風の様式にベクトルが向いていった結果なのかもしれない。
だが、そのことにより、花嫁たちの美しさ、そして幸せを願うという普遍的な感情がストレートに伝わってきた気がする。
「日本の美 再発見」などというと少々大げさだが、古き良き日本の伝統を感じさせる素敵なお祭りに巡り合えた満足感とともに能代をあとにしたのだった。


“日吉神社例祭 山王様の嫁見祭り” への2件の返信

  1. うう〜ん、人様の嫁を見比べて『俺の勝ち!』若しくは『早まったか?』ならいいのですが『あれ?元カノ、元カレ』何て事は無いのでしょうか❓、、、子孫繁栄、家内安全、夫婦円満、交通安全、おまけに四文字熟語で、焼肉定食!今日も楽しく拝見しました。

    1. 隣人1号さん
      いつもありがとうございます!
      おそらく花嫁、花婿のほとんどが能代市内の方々だったでしょうし、誰彼となく皆仲良さそうに会話していましたよ。
      幼馴染とか、学校の同級生とかの間柄の人がいたかもしれませんね。
      元カレ、元カノがいたかは分かりませんが、たとえいたとしても今の伴侶が最高!!と皆思っているでしょう!

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