刈和野の大綱引き2018

2018年2月10日
今年もこの日がやってきました。
そうです。大仙市刈和野の「刈和野の大綱引き」
400年前から行われている秋田を代表する小正月行事であるとともに、その熱気は真冬の静寂をかき消すかのごとくであり、参加した誰もが力の限りを尽くさざるを得ない迫力満点の行事でもある。
「西馬音内の盆踊り」と並んで特に気に入っているお祭りであり、ほぼ毎年欠かさず観覧している。
管理人的には「夏の西馬音内、冬の刈和野」なのだ。
行事の概要は大仙市作成のパンフレットに詳しい。

当日まずは由利本荘市矢島町で猿倉人形芝居を観覧
人形芝居終了後、15時に矢島町を出発して国道108号線~日本海東北道と進み、大内ICで下りて道の駅おおうちで休憩
大綱引きの行われる刈和野には19時ほどぐらいに到着すればOKなので、時間には十分すぎる余裕があるが、一つどうしても気にかかることが‥
まさかの雨天なのだ!!!
矢島町を出発したあたりからポツポツと降ってきたが、道の駅おおうちに着いたあたりには本降りになってしまった。
行事の性質上、中止になるということはないはずだが(過去には大雪降りしきるなか、綱引きした年もあります。というか、この行事に一番似合う天気は雪だと個人的に思っています)、雪の風景に雨が降るさまはどうしても許せない。
小正月行事の風情が台無しになるじゃないか!
ということで一抹の、いや最大限の不安を抱えながら大綱引きに向かった。

午後6時半
刈和野に到着。近くのスーパー駐車場に車を止めて、会場となる大通りまで徒歩で進む。
雨は相変わらずは降り続いている。
会場に向かう道沿いに多数のロウソクを立てた雪穴が作られていた。
大綱引きの興奮・熱気に注目されがちだが、この行事が由緒正しき小正月行事であることを実感


地元の年配女性が「昔は道路沿いに隙間なくミニかまくらを作っていたから、それは綺麗なもんだった。今は数が減ってしまってねえ」と仰っていた。
今でも十分綺麗だが、昔はさらに綺麗だったんですと!その様子を一度見てみたかったー

会場が近くなるにつれ、人が増えて熱気が高まっているのが分かる。
管理人的には最早お馴染みの雰囲気だが、8年ほど前に初めてこの行事に参加したときのことは未だに覚えている。
「小正月行事」というなんとなく可愛らしい語感のせいか、「大綱引き」という名前ながら、ほんわかほのぼのしたラブリーな行事なんだろうなあ‥と勝手に思い込んでいた。
が、予想は全く裏切られる。
熱気が会場中を支配し、男衆の怒号、そして観客たちの歓声や叫び声があちこちで飛び交う。
そして、上町(二日町)・下町(五日町)の男たちと観客が一体となって放つ「ジョヤーサノオ!」の掛け声
迫力満点の行事だった。
そして、それ以来毎年この時期になると、関係者でもないのにワクワクし始めるのだった。

大通りに到着。おお、やってますなあ!


ここで行われているのは「押し合い」
上町・下町の若衆たちが綱引きの前哨戦とばかりに、意地とプライドをかけて張り合う。
旧西仙北町教育委員会が作成した「国指定重要無形民俗文化財 刈和野の大綱引き」によると、これにはひとつの景気づけの意味や、若衆のエネルギー発散の意味があるが、もともとはドップ(両町の綱の境目となる中心部分)にどちらが先に綱を出すか、どれだけ出すかなどの交渉が決裂した際に行われたらしい。
「押し合い」と呼ぶぐらいなので、当然押した方が勝ちとなり、言い分を通せるということになる訳だ。
そして幾度も交渉が行われ、決裂するたびに押し合いが行われていたので、それはそれは時間がかかったらしい。
今は時間の制約があるため、その要素はないようだが、押し合いが熱く興奮を誘うものであることに変わりはない。


この行事で傘の花を見ることになるとは思わなかった。
地元の方に話を聞いても、これだけの雨に見舞われるのは本当に珍しいらしい。
管理人と同じようにこの行事を鑑賞しに来ていた、別のお祭りで出会った刈和野在住の年配男性は、この雨のせいでカメラを1台ダメにしてしまったそうだ。
管理人のカメラ、ムービーは幸運にもに無事だったが、冬用ジャンパーはびしょびしょになり中まで水が染みてしまった。

綱はこんなかんじ。直径80cmと非常にぶっとい
上下町合わせて7,000束もの藁を使用し、シナゴキ(稲の葉の部分を取り除く)、藁打ち(藁を柔らかくして丈夫にする)などの作業を経たのちに、グミ編み(長さ20m、太さ15cmの「グミ」を作る)を行う。
因みに綱の長さをあらわすのに○○mなどと書いているが、本来は「尋(ひろ)」と呼ばれる単位を用いるのが通例のようだ。
そしてグミをさらに何本かずつ撚り合わせる「綱撚い」を行って、大綱が出来上がる。
行事の1ヶ月前ほどから作られ始め、1週間前ほどに完成となるが、グミ編みはのべ200人ほど、綱撚いは大仙市のパンフレットにあるように「町民総出」と言えるほどの人数で行われる。


こんな太い綱なんか引っ張れないよ!というのは当たり前の話で、どうするかというと約18mほどの「小綱」が大綱に等間隔に付けられるので、それを持って引っ張ることになる。
「国指定重要無形民俗文化財 刈和野の大綱引き」によると、以前は小綱の本数に制限はなかったようだが、現在は各々40本ずつと決められているらしい。
小綱をつけ過ぎると引き手過多の状態となり、大綱が切れるリスクが発生してしまうそうだ。

押し合いはいよいよ佳境
若衆の熱気が湯気となり、煙のように立ち上がっている。

押し合いを目前で観覧していた小学生たち。興奮が極まってミニ押し合いを開始!熱いぜ、ちびっこ!!

降り続く雨の中、花火が上がる。


20時に押し合いは終了
絶えず振り続ける雨をものともせず、1時間にわたって若衆たちが熱く場を盛り上げてくれた。
綱引き開始は21時であり、その時間に合わせて来場する観客が大半だが、管理人は必ず押し合いから観覧するようにしている。
綱引きの前哨戦とでも呼ぶべき熱さ・力強さに溢れていて、見るものを興奮の境地に引き込んでくれる。
是非たくさんの人に見て欲しいシーンだ。

ところで、何がマズかったか分からないが、昨年のこの行事のブログ記事が削除されてしまっていた。
たぶん管理人が編集の際に何かやらかしたと思うが、原因がよく分からないうえ、復元もできない。
まあ、毎度のことながらたいしたことは書いていないので‥と気にしないことにしました。

続いては「綱の出し合い」
この時点では別々に置かれている上町の雄綱と下町の雌綱をドップ付近に出し合う。こちらが雄綱の先端

こちらは雌綱の先端

要は雄綱・雌綱を結べるように中央に引っ張ってくるだけの作業だが、各々の重さが10トンにもなる綱を運ぶ訳なので容易には進まない。
「ジョヤーサノ!」の掛け声とともに少し引っ張っては止まって微調整、というかんじで遅々として進まないのがお馴染みとなっている。
また、この場面では一人でも多くの力が必要なため、観客に向かって「誰か手伝ってくださーい!」と声がかかるのも見慣れたシーンだ。
そして、観客の協力を得て少しずつではあるが、綱同士が近づけられていく。

道路はきれいに除雪され、アスファルトがむき出しになっているが、ドップ付近にのみ雪が残されている。
そしてツルハシで雪面を浅く掘って線を引く作業が行われる。

これは引き手が足をかけられるようにするためのもので、「ガンギ」と呼ばれているらしい。
自動車の普及とともに道路の除雪は欠かせないものとなったが、それ以前道路に雪が積もった状態で綱引きを行っていた際にはドップ付近には大人の胸まで届くほどの深いガンギが掘られたそうだ。

綱の出し合いが続いている。


建元から綱の運び方に関して盛んに指示が出される。
中でもよく聞かれたのが「たごませれ~!」という指示
管理人は「たごませる = 緩める(紐を結ぶときに紐の先端を通しやすくするために、穴を広げるときなどに使う)」と理解しているのだが、ググってみたところ全国各地でいろんな「たごむ」「たごまる」の使い方があるようだ。
同じ県南とはいえ、管理人の実家(横手市増田町)とここ刈和野は地理的に距離があるので、もしかすると管理人の理解する「たごませる」と異なる意味だったのかもしれない。

十分に綱が出されたのを見計らって、次に「綱合わせ」が行われる。


観客含む大勢の人間が関わった綱の出し合いとは異なり、綱合わせは熟練の建元たちが中心となり自ら作業を行う。
大仙市パンフレットに書かれているとおり「蛇口(へびぐち)結び」と云われる結び方で両綱が固く結ばれる。
単純な力作業ではなく、慎重さを伴った作業へ移行したことが分かる。


ケン(雄綱の先端)がサバグチ(雌綱の先端)を通り、綱に巻きつけられたのち、雄綱と雌綱が接しない部分に作られた輪に通されるあたりになると、会場中が「シーン」と静まり返る。
実際には建元が小声ながら指示を出し続けているし(この場面では大声をあげること、サントウ【提灯】を高く掲げることが禁止されています。引き合いが開始したと勘違いさせる可能性があるため)、観客の中にはぺちゃくちゃとお喋りをしている人もいるので本当に無音状態になる訳ではないのだが、緊張感がふつふつと高まっていくのが分かる。

グイッと持ち上げられるケン。結構壮観です。

小綱が広げられて、引き手たちがいそいそと綱を手にする頃になると、いつ綱引きが始まってもおかしくない雰囲気になる。


この緊張感、堪りません!
引き合いに参加してみたい、という方は是非この緊張感込みでこの行事を楽しんでほしいと思う。
因みに管理人は見始めてから最初の3年間は引き手として参加していましたが、体力がもたないということで今は観覧に専念しております、ハイ。

綱合わせが終わろうとしている。


綱合わせの終了=引き合いの開始となる。
綱の上に立っていた建元が一人そしてまた一人と下に降りて、今は一人の縦元だけが綱の上にすっくと立っている。
そして‥最後の建元が「ソリャアー!!!」と大声を発して綱の上からジャンプ!
引き合いが始まった!!


「国指定重要無形民俗文化財 刈和野の大綱引き」で「サントウの指揮に合わせて『ジョウーヤサノウ』の掛声をかけながら、大衆は渾身の力をふりしぼって引き合う。この遠雷のような引き声は、ある種のリズム奏で、この土地に生まれた者にとっては、堪えがたい興奮を呼び起こす」と紹介されているとおりで、この行事のクライマックスが引き合いであることに間違いない。
綱に乗った建元、若衆が懸命に声を上げ、サントウを振って引き手をぐいぐいと先導する。
そして老若男女、地元の方、観光客誰もが勝利を目指して、精一杯綱を引く。
今年は7,200人もの観客がこの行事に集まったらしいが、これほどたくさんの人が一つの目的に向かって力の限りを尽くす(もちろん観覧だけの人も多いのですが)のも珍しいのではないか。
勇壮で、感動的な光景である。

ところで、引き合いが始まった途端にカメラのSDカード容量がいっぱいになってしまった。
すでに猿倉人形芝居観覧でたくさんの写真を撮っていたし、致し方ない。
適当に画像を削除して十分な容量を作りたいところだが、そんな余裕はない!ということで引き合いはムービーだけの撮影になってしまった。
この件といい、記事が消失した件といい、この行事には何か魔物が潜んでいるのだろうか?←勝手に責任転嫁

徐々に上町が下町を引っ張り始める。意外な展開だ。
というのも、ここ3年ほどは下町が一方的に上町を引っ張り続けて勝利を収めるワンサイドゲームが続いていたからだ。
3年以上前に遡っても、引き始めから上町がリードする展開はあまり記憶がない(先日BS12で再放送されていた「ダイドードリンコ日本の祭り」で2012年の様子が放送されていました。この年は上町が崖っぷちから大逆転した年で、引き手として下町に加わっていた管理人も勝利目前で勝負をひっくり返されたショックでしばらく茫然自失でした)。
昨年の記事に「技巧の上町、パワーの下町」みたいなことを書いたが、今年は上町が下町のお株を奪うかの如くグイグイと力技で下町を圧倒し始めている!!

上町の攻勢に押されっぱなしの下町が、腰を落として引き合いをしばし止める戦術に出た。
これはもちろん、来るべき反撃に備えて力を温存するためだ。
小綱を掴む引き手たちが道路いっぱいに広がり、上町がスムーズに引くのを少しでも妨げようと精一杯の抵抗を見せる。
建元や沿道の観客たちから「こでれえーっ(堪えろ)!!」とゲキが飛ぶ。
ここが正念場だ!とばかりに、引き手たちが必死の形相で小綱を握り締める!!

立ち上がった下町の引き手たち
さあ、ここから反撃開始!と行きたいところだが、あいも変わらず上町に引っ張り続けられる。
ここで潮目を変えることができれば下町に勝利の女神が微笑む可能性もある訳だが、流れを手にすることができない。
ここ数年の「強い」下町を観てきた管理人としては「どうしちゃったんだ!?下町!」とビックリするばかり
これほどに下町がワンサイドで引っ張られ続けることを全く予想していなかった管理人を尻目に上町はさらに攻勢を強めて、一気に勝負を決めてしまおうとしているのかのようだ!
全く想定外の展開だが、これは勝負あったと判断。上町側へ移動を開始した。

下町の抵抗をものともせずに、上町が快調に綱を引き続ける。
心なしか引き手たちの表情が明るく、楽しそうにすら見える。
かつて、50分ほど引き合ったこともあったそうだが、今日は引き合いが始まって20分ほどで上町が勝利目前の状況だ。
因みに勝負が決するのは、最後尾がドップを越えて相手陣内に入り込んだ時点か、建元からギブアップ宣言がなされた時点とされている。
ただ、地元の方から教えていただいたところによると、上町側の道路は真っ直ぐではなく途中でやや曲がっている箇所があり、両町の境がその曲がっているところに差し掛かった場合には、下町から「参った」と宣言されるのが通例らしい(この時点で既に下町がかなり引っ張られてしまっている訳だが)。
なんでも曲がっている所には電柱が立っていて、それを無視して上町が引っ張り続けてしまうと下町勢が電柱にぶつかってしまうためなのだそうだ。
過去には、たびたび電柱に激突して怪我人が出たらしい。

そして上町がジョヤサをかける。
相手方が降参とばかり引っ張るのをやめたため、勝利する方が力を入れずとも一方的に引っ張る状況になったのを機に「ジョヤーサノウ!」と上がっていた掛け声が「ジョヤサ!ジョヤサ!」と短いものに変わる。
苦しく辛い引き合いが終わり、歓喜の行進と変わる瞬間 - 管理人がこの行事のなかでいちばん好きな瞬間かもしれない。

ジョヤサをかけてほどなくして上町の勝利が決まる。
力を合わせて頑張った引き手が誰彼となく歓喜の声をあげ、勝利の喜びにひたる。
また、上町の建元、住民の皆さんにとっては3年ぶりの勝利であり、久々に溜飲を下げた思いだったのではないだろうか。
雌伏の3年間を最早過去のものと追いやった訳だ!
おめでとうございまーす!!

万歳三唱に続いて、歓喜の「ジョヤサ!」が沸き起こる。

皆が喜びを爆発させ、勝利の余韻を噛み締めているかのようだ。
この後は、両町ともおつかれの直会に移行する訳ではなく、「綱ほごし」と呼ばれる綱をほどく作業が待っている。
大槌やテコを使って(刃物は使用禁止)どうにか綱を引き離したあとは、浮島神社境内に奉納される。
その後、綱は土に還る訳だが、不思議とうず高くならず痕跡を残すことはないそうだ。

ここでようやく不要な画像を削除し、少しだが容量を確保できたので行事の終わったあとの会場を撮影

行事が終わると引き合いの喧騒が嘘のように静まり返る。
引き合い直前の静寂を打ち破り、大音量の「ジョヤーサノウ!」が会場を支配した時間を経て、再び町が静寂を取り戻す。
その移り変わりも小正月行事ならではという気がする。
ずいぶん弱まったが、結局やむことのなかった雨のなか、管理人も自宅へ帰っていった。

それにしても‥やはり気になるのが、昨年まであれほどの強さを誇った下町があっさり上町の軍門に下った理由である。
そこについては、下町実行委員会の方からある情報をお聞きした。
とにかく今年は下町の綱につく引き手の数が例年に比べて、圧倒的に少なかったそうだ。
その方が大綱の上に立って見回してみても、人のついていない小綱が目立っており、人数が足りていないことが一目瞭然だったそうな。
そして、その原因として挙げていたのが「雨」
現地に行かれた経験のある方なら分かると思うが、大駐車場を完備する大仙市役所西仙北支所やマックスバリュ刈和野店は下町側に近く、JR刈和野駅は上町側に近いため、マイカー派は下町に、電車派は上町につきやすい特徴があるそうな
そして夕方前から雨が降り続いたため多くのマイカー派が観覧を取りやめたことで、極端な下町の引き手減が発生したということなのだ。
電車移動に関しては、特に県外からの観光客が主であり、雨だからといって行事観覧を取りやめることはほとんどないはずなので、上町のほうには大きな影響はなかったということだろう。
行事開始前から終わりまで降り続いた雨が、こんなところにも影響を及ぼしていたのだ。
勝った側の上町からすると4連敗阻止のために策を講じたりもしただろうし、別の見方もあるだろうが、管理人に理由を教えてくださった方は長年行事を見届けてきたご年配であり、そのお見立てはかなり的を得ていると思う。
そして、その方に「4連勝できなくて残念でしたね」と伺うと「4連勝なんていうのはなかなかできないよ。3連勝はたびたびあるが、不思議と4連勝は見たことがない‥」と話されていた。

上町の圧勝という、まさかの結果に終わった2018年の刈和野の大綱引き
来年、下町は捲土重来を期して臨んでくるだろうし、上町も連覇を目指して準備を行うに違いない。
管理人的には、今年のような雨だけにはならずに、上下両町が万全の体勢で力いっぱい熱い勝負を繰り広げて欲しいと思う。
1年後の2月10日を今から楽しみにしておきたい。


“刈和野の大綱引き2018” への2件の返信

  1. 刈和野の綱引きは未見なので、動画、写真で見られてとても嬉しく思います。
    思っていた以上に熱い祭りで、一度行きたいと言う思いが強くなりました。
    テレビ等ではどうしても、綱引きのシーンだけ切り取られてしまいますが、押し合いも熱いですね!
    いつもながら、ミニカマクラのようすや、祭りの後まで載せて下さり、とても雰囲気が伝わります。ありがとうございました。

    1. uxorialさん
      コメントありがとうございます。
      拙ブログから大綱引きの熱気を感じ取っていただいたようで、とても嬉しく思います!
      uxorialさんお書きのように、引き合いの場面がクローズアップされがちですが、そこに至る大綱作りや、押し合い、綱合わせ、奉納など奥深くいろんな顔を持つ行事です。
      降りしきる雪(今年は雨でしたが(╥_╥)‥)の中で行われる行事は、刈和野の人たちの心意気と観客の熱気で感動的ですらあります。
      是非、来年ご観覧くださいませ!!

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