一日市願人踊り

2018年5月5日
ゴールデンウィーク真っ盛りのこの時期、観光型のイベントが盛りだくさんの一方で伝統行事はそれほど多くない。
そんななか、今回訪問したのは八郎潟町の「一日市願人踊り」(←八郎潟町HPにリンクします)
秋田の行事の中で、竿燈まつりやナマハゲあたりを横綱だとすれば、願人踊りは前頭二~三枚目ぐらいになるだろうか。
それでもその親しみやすさ、極めてユニークな振り付けで絶妙な存在感を放っていて、認知度はかなり高い(と勝手に思っている)。

踊りは毎年5月5日、一日市神社の例大祭で披露される。
なんでも朝9時~17時ぐらいの長丁場で、願人踊り一行が一日市じゅうをくまなく巡回するらしい。
朝9時の一日市神社境内での踊りと10時25分からの八郎潟駅前での踊りを鑑賞すべく現地に向かった。
秋田市からはちょうど1時間で到着
一日市裸参りの折に寒風吹きすさぶ中、裸参り一行が渡った馬場目川にかかる橋。あのときは寒かったー

昨年、一日市盆踊りを鑑賞したときと同様、駅前交流館はちパル駐車場に車を止めて一日市神社を目指す。

神社が見えてきました。

時刻は8時50分
9時~踊りが始まると聞いていたが、もう子供願人踊りが始まっていた。いかん!出遅れた!

どうにか場所を確保して撮影を開始


地元八郎潟の小学生たちによる踊り
後日NHKの番組で子供たちの練習の模様を放映していたが、年配男性の指導が細かく厳格なのに驚いた。
インタビューを受けていた子供も「結構ハードです‥」とヘトヘトの様子だった。
つらい練習を経て、今日晴れてお披露目ということになるわけだ。

この踊りを継承する「一日市郷土芸術研究会」では、約30年前から小学生への指導を行っている。
近年は女の子の踊り手も積極的に参加しているそうで、今日も2人の女の子が元気いっぱいの踊りを見せてくれた。

子供願人が終了したのち、社殿から神輿が運び出された。おそらく神輿渡御が行われるのだろう。

続いて大人たちの願人踊りが始まる。
先に書いたように、踊り手、唄い手、音頭あげなどで構成される一行は、一日市郷土芸術研究会の皆さんが中心となっている。
長襦袢に前垂れをかけて、小鈴をあしらった手甲(てこう)、脚袢(きゃはん)を着用し、顔には頬かむり
その出で立ちがとってもユニークだ。


願人踊りとはもともと願人と呼ばれる、他人に替わって神仏に祈願する人たち(願人坊主)が、街中を徘徊して様々な大道芸を披露した門付芸能のひとつだ。
例えば江戸の「江戸住吉おどり」「すたすた坊主」や、上方の「住吉おどり」「金比羅行人」など、全国各地に同様の芸能があったようだが、願人踊りは衣装、踊りともにピカイチであり、全国的に見ても稀有な門付芸らしい。
その可笑しみに隠れてしまっているものの、実は貴重な踊り・芸能なのだ。

このあと八郎潟駅前で配られたチラシによると、江戸時代 天明の頃に伊勢神宮より戻った羽立の村井金之丞なる人物が元来の踊りに伊勢音頭の手踊りを組み入れて、現在の願人踊りを創作したとのこと
そして、豪農の跡取りである長男たちが当時隆盛だった歌舞伎芝居を演じていたのに対抗し、次男坊たちが願人踊りの主な踊り手となった。
昭和に入ると戦後の祭典統一(新生活運動ですか?)などの影響で、踊りは風前の灯の状態となったが、昭和33年に一日市郷土芸能研究会が保存に努めてどうにか途絶をまぬがれたそうだ。
八郎潟町史によると、昭和40年代になると国立劇場で開催された「民族芸能公演」や、北海道の「雪と氷の祭典」など県外のイベントで踊りを披露するぐらいにまでなり、八郎潟町を代表する伝統芸能として現在に至っている訳だ。


何といっても特徴的なのは、その踊り
右手右足と左手左足を同時に動かす所作はかなり珍しい。
地元八郎潟では「一直踊り」とも呼ばれているが、踊りの所作自体が名称の由来になっているのもユニークだ。
卒業式で緊張している子供が右手右足、左手左足を同時に出しながら歩くのを見たときの「あれ?どうしちゃった(笑)?」というかんじに似た面白さがある。

ひとしきり踊ったあと、踊り手とは異なる衣装の2人が登場


劇中劇のようなものだと思ってもらえば分かり易いが、ここで唐突に老人・与市兵衛と山賊・定九郎による寸劇が始まる。
これは歌舞伎・仮名手本忠臣蔵五段目を再現した場面であり、明治時代になって願人踊りに追加されたらしい。
ストーリーをチラシから抜粋すると「娘の身売りで得た大切な金を懐に抱え帰路につく与市兵衛。その様子を物陰から見ていた山賊の定九郎は与市兵衛に声をかける。あの手この手の強引な駆け引きで与市兵衛から金を巻き上げようとする定九郎であったが、大切な金を渡すまいと与市兵衛もしたたかに応戦し、その場を凌ごうとするが‥」とある。

この場面での見所はやはり、歌舞伎然とした芝居で見得を切りまくる定九郎と、秋田弁を交えてというか決められたセリフ以外ほぼ秋田弁の飄々とした与市兵衛との対比であろう。
いちいち大げさなアクションと台詞回しの定九郎を、ちょいちょいディスる与市兵衛が観客の笑いを誘う。
もともとの願人踊りにこの歌舞伎の演目が追加された経緯はよく分からないらしいが、この庶民目線の与市兵衛の存在が人気を博したのは間違いないと思う。


仮名手本忠臣蔵の本来の脚本では、この後定九郎は与市兵衛を斬り殺して大金を手にするが、それも束の間定九郎も猪に間違われ猟師に撃ち殺されてしまう。
ここではそのシーンはカットされている。
因みに昨年鑑賞したにかほ市横岡大森の大森歌舞伎でも仮名手本忠臣蔵五段目が披露されるが、そちらのほうではこの悲劇的な結末が面白おかしく演じられていた。

定九郎と与市兵衛がはけると同時に踊り手が再登場



一日市神社での奉納踊りはこれで終了
爽やかな5月の空気がとても心地よく、絶好の祭り日和となったようだ。
ということで、願人一行は一日市町内の巡回をスタート

神社境内はいつもの静けさを取り戻したかのようだ。

さてさて‥というかんじで願人一行の巡回を追いかけたところ、想定以上にそのスピードが早い!
先に書いたようにこの踊りは門付芸能であり、正月や祭りの折に各家々を巡演するのがそもそもの起源である。
ということで、一日市町内のほぼ全てのお宅を回って歩くわけで、一軒一軒を時間をかけて‥などというのはできない。
過去には日が暮れたあとも回り続けたこともあったらしいが、今は17時ぐらいに巡回が終わるようにコースと時間が定められている。
なので、やや時間に追いかけられ気味にも見えるぐらいに一行が巡回するわけだ。
因みに各家々の玄関先では踊りだけが披露されるようで、その間定九郎と与市兵衛は待機することになる。

一行が大通りに出たのを追いかけていると、ちょっと離れたところに人だかりが見えた。
一足先に神社での奉納踊りを終えた子供願人が、大通り沿いの商店前で踊りを披露しており、そこにたくさんの観客が集まっているようだ。
管理人も駆けつけてみる。

出番を終えたあとも、何故か神妙な顔つきの定九郎
因みに、定九郎と与市兵衛の襟元にはピンマイクが付けられているので、寸劇のやり取りをきちんと聞き取ることが可能だ。


子供たちも大人とコースは違うものの、一日市地区じゅうを夕方まで回り続ける。これはたいへんだ。
腕をぴーんと伸ばし、細かくステップを刻む振り付け自体が体力を必要とするものであるうえ、これを各家々で披露するというのは計り知れない。みんな頑張れー!

通りを渡って次の場所となるスポーツ店前へ

踊りを披露


子供願人ということで言えば、同じ5月5日にお隣井川町今戸地区の熊野神社祭礼では今戸子供願人踊りが披露される。
どうやら一日市とほぼ同じ形式の願人のようだが、そちらのほうもいつか見てみたいと思う。
また、(子供願人から話が逸れるが)八郎潟町内においても、ここ一日市以外に真坂地区でも願人踊りが継承されている。
管理人はこの後別のお祭り鑑賞のため、一日市から北上する最中に真坂地区を通った時に偶然にも巡回中の真坂願人を見ることができた。
一日市はオレンジ色を基調とした襦袢姿だが、真坂のほうはピンク色っぽい襦袢だった。
願人踊り = 一日市願人踊りとの認識を持っている人が大半だと思うが(管理人もこの間までそうでした)、一日市以外でも行われている地区があることを知っておいて損はないだろう。

子供願人が移動したのを見計らい、すこし通りをぶらぶらしていると‥

秋田音頭牽き山車の巡行だ。
こちらも夕方までかけて地区内を巡回、願人踊り、子供願人とも違うルートで移動しつつ、秋田音頭を披露する。
「牽き山車」という名称にあまり馴染みがないが、「踊り屋台」ということで良いと思う。

山車ははちパル駐車場脇の道路を抜けて八郎潟駅前へと進む。管理人もあとを追って駅前へ

はちパル駐車場にはいくつかの露店が出店していた。
10時25分からの駅前における秋田音頭・願人踊りはちょっとしたイベントであり、基本的には露店もそこに集まる観客向けのものだ。

はちパル前の出店。たくさんの観客で賑わっている。

駅前ではすでにイベントが始まっていた。
観客を巻き込んでのプレゼント大会など、ファミリー向けのイベントといったかんじ
ところで司会の女性のMCが抜群に面白く、とてもイケてたのですが、プロの方ですか?(存じ上げなくてすいません。。。)

ステージには八郎潟町のイメージキャラクター「ニャンパチ」も
なんでもニャンパチは、願人踊りの手つき腰つきが猫っぽいところから生まれたキャラクターなのだとか
今日はニャンパチにとっても、生誕のきっかけとなった大切な日なのです。

管理人は駅入口のスロープに陣取り、写真をバシャバシャと撮っていたのだが、なんだか足元がこそばゆい。で、足元を見ると‥

うわ、犬!秋田犬!びっくりしたー
生後6ヶ月らしいが、迫力十分!でも、可愛らしい!
早速観光客に囲まれて撫でられたり、写真を撮られたり、とニャンパチに勝るとも劣らない人気ぶりだった。
猫派 VS 犬派の争い勃発!?

それにしてもたくさんの観客が集まった。
後日読んだ秋田魁新報では1,000人の人出だったそうな

そして、ステージでは伝統芸能プログラムのスタート
まずは「秋田囃子」の演奏から「寄せ太鼓」


澄み切った青空の下、高らかな笛の音と小気味よい太鼓が心地よい。
「秋田囃子」というとあまり馴染みがないが、一聴して竿燈囃子と同じなのが分かった。
というか竿燈囃子の元ネタがこの秋田囃子ということらしい。
何でも秋田市八橋の日吉八幡神社の祭礼で奏でられるのがオリジナルであり、それが秋田市を中心とした県央の広い範囲に伝播したことで秋田のお祭りにおけるお囃子のスタンダードになったそうだ。

続いては「秋田音頭」


秋田音頭は、信濃中村藩の生まれでのちに出羽亀田藩・久保田藩に移封となった佐竹義隆公が「秋田に伝わる踊りを見たい」と所望したところ、家来の者が伝統的な手踊りに柔術の動きをミックスさせて創作したのが起源と云われている。
たしかに足を上げたまま安定姿勢を取る所作などはいかにも柔術の要素を感じさせる。
こちらも願人踊りに負けず劣らずのハードな踊りだ。
踊っているのは小学生の女の子たち。みんな、頑張れえ~!!

無明舎出版「秋田音頭ものがたり」によると、秋田音頭にはもともと唄がついていて脇役的なかんじで地口が添えられていたが、いつの間にか唄が消えて、地口がメインになったらしい。
ボーカル+ラップの構成だったバンドから、ボーカルが脱退してラッパーが一人でフロントに立っているようなものだ。
因みに、江戸時代には「秋田音頭」なる名称はなく「御国音頭」と呼ばれていたそうだ。

そして10時25分となり、願人踊りの登場
先ほど一日一神社で鑑賞した際には踊り手は2列に並んでいたが、ここでは広いステージの端から端まで1列に整列
もうちょっと近くで見ようと移動

口上に続いて踊りが始まる。
基本的には一日市神社で鑑賞したのと同じプログラムかと思っていたら、なんだか振り付けが違う。


一般的に知られている踊りに比べると、細かなステップがなくなり、上半身を大きく回す所作が目立つ。
風流傘をササラで叩くリズムもややスローになったようだ。

そしてお馴染みの振りが披露される。
前唄に続いて♪瓢箪よ ツガヤネ アラ~と始まる、一風変わった唄が八郎潟駅前に響き渡る。
唄には「桃太郎さん」などの他に行進曲となる「ポーポコ節」など、いくつかのヴァリエーションがある。


八郎潟駅の名物でもある陶板レリーフ「潟の詩」を背景に踊りを披露
潟の詩には願人踊りの他に、一日市盆踊りやうたせ舟など八郎潟の名物が描かれている。
300年の伝統があると云われる願人踊りだが、衣装、小道具がとてもカラフルでモダンですらある。
背景と人物がとてもマッチしていて視覚的にも楽しい。

定九郎と与市兵衛が登場



定九郎の「こうりゃおやじ、旅は道連れ世は情けということは例えにもあるじゃな。さあさ一緒に一緒に!」の台詞に続いて唄い手、踊り手が「♪さーわめ、さーわめ」とはやし立てる。
これから二人の間に流れる不穏な空気を予感させるような低い歌声が絶妙なBGMになっていて、劇として見ても楽しい。
トボけた味わいの与市兵衛がここでも観客を笑わせる。

定九郎と与市兵衛が退いて踊り手が再登場

願人が奔放に踊り続ける。
昭和40年代に東京国立劇場で踊りが披露された折には「演劇界」「芸術新聞」といった専門紙で賞賛が送られたそうで、伝統の重みとパワフルな振り付けと妙な可笑しさの同居するこの踊りには不思議と人を惹きつける魅力がある。

秋田県内はもちろんのこと、遠く県外からもこの踊りを見に来られた方がいたようだ。
できれば県内外のいろんな場所でこの楽しい踊りを披露して欲しいし、もっとたくさんの人にこの魅力に触れて欲しいと思う。

踊りが終了。満場の拍手が送られる。

終演後に特製手ぬぐいの即売会が始まった。結構たくさんの人が買ってます。

観客たちがめいめい会場をあとにするなか、願人とニャンパチは即席の撮影会で大忙し
とくにニャンパチとの撮影には長蛇の列ができたのだった。


これから願人一行は再び一日市地区内の巡演を再開する。
駅前の人ごみの喧騒に紛れて管理人も一日市をあとにした。

5月の心地よい晴れ空のもと、存分に願人踊りを楽しんだ。
コミカルな振りながら、十分すぎるぐらいに伝統の薫りを漂わせる素敵な踊りを見られて最高の気分だ。
一日市神社で少し話をした地元のおじさんは「この踊りを見るとな、なんだか泣けてくるんだよ」と仰っていて、実際に踊りが始まると感極まっていた様子だった。
町外の人間から見ると、まずはその滑稽さを思い浮かべてしまう踊りだが、一日市の人たちの思いや郷土愛に支えられた掛け替えのない行事でもあるのだ。
これからも永く一日市、八郎潟町、秋田そして全国の人たちを楽しませ続けて欲しい。


2 Replies to “一日市願人踊り”

  1. ご無沙汰しておりました。
    秋田の冬はまだ知らないお祭りも沢山あり驚きです。

    願人踊りは練習用のDVDで少しやってみましたが、とても難しく身体のあちこちが痛くなりました。(笑)
    前に盆踊りの時に泊まった宿で、打上げの余興でやっているのを見ましたが、本番はまだ見ていないので是非行ってみたいですね!

    1. ふじけんさん
      ご無沙汰しております!
      そうですよー、秋田は冬でも熱いお祭りや行事が盛りだくさんです。
      願人踊りにチャレンジされたのですね(笑)おつかれさまでしたm(_ _)m
      盆踊りマスターのふじけんさんならではの、気品溢れる願人を踊られたことでしょう!
      ぜひ一度八郎潟町で実物をご覧になってくださいませ。
      長い歴史を持つとともに、楽しく愉快な踊りです!

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