新屋の鹿島祭り

2018年6月10日
6月ともなれば日に日に暑くなり、夏の一歩手前の雰囲気に満ちてくる。
そしてこの時期の秋田で盛んに行われるのが「鹿島祭り」
管理人がこれまでに見たのは昨年の川尻の鹿島祭りだけだが、同じ秋田市内の新屋で大規模な鹿島祭りが行われることは以前から知っていた。
子供の行事ではあるが、聞けば結構大規模で新屋じゅうを上げての一大イベントらしい。
これは見ねばならないだろう。

行事は6月第二日曜日に行われる。
ところで「鹿島祭り」とはどんな祭りか?
簡単に言えば「町内を引き回した鹿島舟を川に流して厄災を祓い清める行事」とでもなろうか。
茨城県鹿島町の鹿島神社を礎とする鹿島信仰に基づいた祭りで主に東日本、それも秋田県内では多くの地域で現在も行われている伝統行事である。
そして、町内の厄を祓うと同時に子供たちの健康祈願、立派な成長を願う行事としての側面も持ち合わせていて、ここ新屋では古くから端午の節句の行事として続けられてきた。
今でも子供たちが中心の行事であるとともに、新屋においては地域を上げての大きな行事となっている訳だ。

当日
管理人宅からは車で10分も走れば新屋に着いてしまう。
で、苦もなく新屋の中心地に入ったわけだが、鹿島舟はどこかいな~?などと探す必要もないぐらい、あちこちで巡行中
あとで聞いたところによると20町内と1団体、合計21艘の鹿島舟が参加したらしい。
新屋駅前のスーパー駐車場に車を止めると早速一艘の舟がこちらへ向かってきた。


こちらは高美町の鹿島舟
舟の大きさといい、五色の吹流しのカラフルさといい、子供たちとその親御さんを中心に構成される行列の人数といい、確かに規模が大きく賑やかだ。
鹿島祭りと聞くと観光とは結びつかない、地域のコミュニティの中だけで脈々と受け継がれてきたイメージがあるのだが、この豪勢とも云えるぐらいの鹿島舟のさまは他県にも自慢したくなるぐらいの優れたコンテンツでもあると思う。
事実、昭和59年から千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館に民俗部門の展示物として、新屋の鹿島舟が常設展示されていたりする。

鹿島舟を出す町内および団体は先に書いたように20あまりほどだが、これらは全て自町内を出発後に新屋日吉神社を目指す。
そして日吉神社でお祓いを受けて、神社から授かった御幣を船首につけて町内へと戻っていくルートで巡行する。
高美町御一行は現在日吉神社を背に進行しているので、おそらく御幣を授かって戻る最中なのだろう。
神社へ向かう途中の他の町内とすれ違うこともしばしば

そして、JR羽越線の踏切へ
おおっ、鹿島舟とJR貨物列車の夢のコラボが実現!って、そこまで盛り上がるかんじでもなかった。

踏切向こうから南団地の舟がやってきました。

舟には町内名や「鹿島丸」などと書かれた帆が張られており、そのうしろには見返り人形が配置されている。
市立新屋図書館で読んだ、川口 彌之助さんという方の著書「鹿島さん・七夕・遊山 新屋の三大郷土行事追想録」には、かつては武者人形一辺倒だった見返り人形が「時代とともに工夫され、社会の流行や風刺を警告する表現の人形となったり、近年交通安全を呼びかける飾り物など、見物する人々はこの見返りに興味をそそられその趣向を特に楽しみにしている」と記されている。
多くの見返り人形を観察したのだが、アニメのキャラクターであったり、現在人気急上昇中の秋田犬であったり、子供たちに馴染みのあるキャラクターが選ばれていた。

南団地の見返り人形は「トトロ」。今日は乗り物をネコバスから鹿島舟に変えたわけだ。
人形は祭りの一ヶ月ほど前から、地区ごとにお父さんたちが平日夜に集合してこつこつと作ることになっているそうだ。

今度は別方向から駅前地区の鹿島舟が登場、南団地と合流して日吉神社方向へ向かう。
わずか数100mほどの範囲で4艘もの鹿島舟と遭遇したことになる。
話には聞いていたが、この盛況ぶりはすごい。

新屋駅方向から日吉神社を目指す町内は県道56号線沿いの交番駐車場で一時待機し、順番待ちをする。
ということで、今がおそらく奉納ラッシュなのだろう、交番駐車場は鹿島舟であふれていた。
めいめいが勝手に巡行し、好きな時間に神社に入っているようにも見えるが、あとで調べたところによると、奉納の順番がしっかりと決められており、かつ時間もおよそ10分刻みぐらいに細かく設定されていたのだった。


こちらの町内のゴジラは超精巧!まさか東宝の撮影所から拝借してきたのか‥

日吉神社大鳥居前では奉納の順番待ちの列が。入口付近は舟と町内の人々、関係者でごった返しています。

中へ入ると、少し進んだ場所に祭壇が設けられている。ここでお祓いが行われるようだ。

先の町内のお祓いが終わるまで、舟は待機することになるので、飾り付けを細かく観察


可愛らしくも威厳ある表情の鹿島人形
多数の人形が鹿島舟に乗っているが、これらは町内の人たちが分担して作って用意したものだ。
以前は製作専門の方がいて、その方が一人で受注・製作していたこともあったらしい。
そして、多くの鹿島人形の首には笹巻きがかけられている。
笹巻き - 秋田県民にはお馴染みの食べ物だと思う。
本来は5月の端午の節句やさなぶりに合わせて各家庭で振舞われるものだが、今は道の駅などでも扱われていて簡単に買い求めることができるようになった。
管理人は基本、食に無頓着なので思い入れのある郷土食などはないが、笹巻きだけは別だ。
5・6月頃になり、笹巻きがおやつに出されるのが子供心にも待ち遠しかったし、今でも道の駅で見かけるとついつい財布の紐を緩めてしまう。まさしく「ソウルフード」

そしてお祓いの順番が回ってくる。鹿島舟が大鳥居をくぐり境内へと入る。

お祓い


子供が中心の行事だけあって、お祓いの前列は子供たちが固めていた。
そして無病息災、健やかな成長を祈願する。
昔は端午の節句の行事ということもあり、男の子だけが参加していたそうだが、今は女の子も参加している。
「鹿島さん・七夕・遊山 新屋の三大郷土行事追想録」には、「子供の生まれた年の鹿島さんには、家々からお神酒を寄付するのが例だった」とある。今もこの風習は残っているのだろうか。

そしてお祓いが終わり、駅前の鹿島舟がはけると、早速次の町内 愛宕町が入ってくる。


こちらの見返り人形は、特に県南地区に顕著な巨大な人形道祖神(鹿島さま)がモチーフになっている。
鹿島さまは村境に立てられて厄災から集落を守る存在(お祭り)であり、今日のような鹿島祭りとは中身が異なるのだが、同種の行事とされている。
現代的なキャラクターを見返り人形に採用する町内が多い中、このようなトラディショナルな人形があるのは嬉しいところだ。
なお、見返り人形に仕立てるキャラクターについては、大人たちが決める町内もあれば、子供たちに決めさせている町内もあるそうだ。

お祓い所の少し右側には‥


おおっ!笹巻きの臨時販売所が!これは買わなきゃなりません。

笹巻きの唯一の難点が、笹の葉をはがす際に手がべたべたになること(なんてったってもち米を蒸している訳ですし)だが、ここで食べますと売り子のお二人に伝えたところ、丁寧に笹の葉をはがしてくれた。これは地味に嬉しい。

砂糖入りきなこをまぶした笹巻き3個にほうじ茶もついてきた。午前のおやつには最高です。美味かったー、言うことなし!

お祓い所を見ると南団地の鹿島舟のお祓いが終わり、舳先にお神酒をかけ御幣をつけている最中だった。

今度は日吉神社をあとに新屋商店街方向に進んでみます。

日吉神社からみると新屋駅とは反対側の方向となる商店街側にもたくさんの鹿島舟が巡行していた。


こちらの町内は「日の出町」
日の出町の巡行には太鼓の他に笛と唄のお囃子がついてくる。
唄の歌詞は‥
♪ショッ ショッ ショウ
鹿島のおぐりショウ ショッショッ ショウ
寺のかげまでおぐるまで ショウ
といったものだが、これはかつて寺(現天竜寺)の東側を流れていた雄物川へ鹿島流しをしていたことが元になっているそうだ。
「鹿島さん・七夕・遊山 新屋の三大郷土行事追想録」によると、このように鹿島祭りの歌詞が現在まで残って歌われているのは非常に貴重なのだそうだ。

どんどん鹿島舟がやってくるが、すでにお祓いを済ませて町内に戻る舟も多数。こちらは「上表町」

祭りを鑑賞し始めた頃には曇り空だったものの、このあたりから日差しがちょっと眩しいぐらいになってきた。
それでも、それほど暑くはなく市立新屋図書館で読んだ中川良太郎さんという方の著書「新屋風土記」に、この祭りの行われる季節の描写として「この6月と言えば5月とならんで新屋では一年のうちでもっともいい季節で、木々の芽もすっかり濃い緑となり、風もまた心地よく、町をゆく人たちの装いもようやく夏を思わせるものとなるころである」とあるように、初夏の爽やかな空気の中での巡行がとても心地よい。


ここ新屋商店街は国登録有形文化財の指定を受けている古い建物や、湧水などが点在する古き良き町並みが見られる地域として知られている。
今日のような爽やかな日差しのなかでぶらり町歩きというのも楽しいと思う。

続いては中表町


こちらはまた大人数だなあ、とも思うが、地元の年配女性と話をしたところ「昔に比べると地味になったよ」とのことだった。
こんなたくさんの舟と行列なのに、昔はさらに賑やかだったのか!と驚くものの、以前に川尻の鹿島祭りについて調べた際に知ったのだが、明治~昭和(戦前)にかけて鹿島舟が異様なほどに絢爛豪華になり、土崎港まつりの曳山と見まごうほどだったらしいし、おそらく新屋の鹿島祭りも同じような変遷をたどったのだろう。
また、近年は21ほどの町内・団体が参加しているが、以前まで参加していた4~5の町内は行事を担う若い人が減ってしまったということで参加を取りやめてしまったそうだ。

下表町がやってまいりました。


この祭りには、新屋大川町にキャンパスを置く秋田公立美術大学の学生さんが、近年ポスター・チラシ製作、人形制作といった形で関わるようになった。
同大学には秋田県外の学生さんも結構在籍しているらしいが、古くから継承される伝統行事に、若くて新しい活力やアイデアがミックスされて、より魅力あふれる行事になれる可能性を秘めていると思う。
大学と地域の理想的な共存のかたちがここにある。

休憩中の上表町の舟とすれ違うように、向こうからまたまた大人数の一団が

十條団地でした。


「鹿島さん・七夕・遊山 新屋の三大郷土行事追想録」によると、かつては町内同士がすれ違う際に太鼓の叩き比べをしたそうだ。
そして各町から選ばれた判定員が双方の太鼓を聞き比べた結果、自町の勝ち!と判定し、互いの町内ともに「勝った~!」と喜びながらすれ違うのが習わしだったらしい。
太鼓の優劣を競うでもなく、互いの町内が和気あいあいと祭りを楽しんでいた様子が浮かんでくるようで微笑ましい。

さて巡行を終えて宿に戻った愛宕町では早くも舟が解体され始めた。


台車部分はそのままに、周囲に付けられていたガジギ(マコモ※主に水辺に群生するイネ科の多年草)はビニール袋にまとめられ、人形や旗が外さられる。
人形の首にかけていた笹巻きももちろん回収、あとで皆でいただくそうだ。

そして人形、旗などが仮舟に積み込まれる。
仮舟とはいわばミニ鹿島舟とでも言える、雄物川に流すための舟のことであり、小さいながらも帆が張られていて、舳先に御幣もつけられている。


軽トラの荷台に仮舟を載せて、そのまま雄物川に直行して川流しをすることになる。
この祭りのことを調べたところ、舟を川に流すと書いたものもあれば、今はもう流さないと記しているものなどもあり、そのあたりが判然としていなかったのだが、今日伺ったところによると確かに流しているそうだ。
それも町内ごとに川べりのどのあたりから流す、ということが決められているらしい。
昔は仮舟を町内の若者たちが担ぎ上げながら雄物川まで運んだそうで、「鹿島さん・七夕・遊山 新屋の三大郷土行事追想録」の中で、著者の川口彌之助さんが若い時分に運搬の途中で一休みした折に、人形の首にかけてあった笹巻きを食べたときのことを「味もないが噛むと、うる米のほどよい甘さが口の中にしみた」と述懐されている。
川口さんのこの祭りに対する思いや、ささやかな喜びが伝わってくるような素敵な一文だと思う。

北新町。一番手として登場した栗田支援学校から数えて20番目の町内となる。

一通り鑑賞したようなようなので、そろそろ帰ろうかと車を置いてある新屋駅方向へ向かう。
日吉神社付近は先程に比べてもさらに多くの鹿島舟が集まっていた。
すごい大船団!元寇か?バルチック艦隊か!

時刻は12時
午前中の爽やかさに変わって、暑さがいよいよ本格的になってきた。
それでも吹き流しが風に揺れる様を見ていると、不思議と一服の涼を得られたようで心地よい気分になる。
初夏に相応しい好天のなか、にこにこと楽しげな子供たち、そして郷土の誇りとも呼べるお祭りを心から満喫している人たちの笑顔を見ることができてとても満足だ。


お祓いの行列はまだまだ続いているが、駅前スーパー駐車場に置いた車に戻り、新屋をあとにしたのだった。

話に聞いていたとおりの、新屋を代表する一大イベント、一大行事だった。
これほどの規模であれば観光イベントとして運営することも可能だと思うが、決してそんなことにはならないだろう。
それは徹底した手作り感覚とでも言うか、新屋の人たちが自らのアイデンティティを確かめるための手段として、鹿島舟を作り、舟とともに巡行し、お祓いを受けるといった行為を自分たち自身で行うことが重要なのであって、決して商業化とは相容れない素朴さみたいなものが根底にあるからだと思う。
そして、その素朴さが共感を集める形で、新屋の人たちのみならず、伝統行事を愛する人たちの心の琴線に触れる何かを生み出しているのだろう。
これからも郷土の大切な祭りとしてずっと続いていってほしい。


“新屋の鹿島祭り” への6件の返信

  1. 初めてコメントさせていただきます。

    新屋の北部(雄物川を挟んで北側)勝平地区在住の者です。
    こちらでも鹿島祭りは行われております、新屋に比べると規模は小さいですし、我々が子供の頃よりは参加者も少なくなって、運行時間も短くなってしまいました。

    私も子供の時は武者人形をこしらえて(骨組みと頭部が渡されて、着物を自分で着せて自家製のちまきを首にかけた記憶があります)朝の早い時間に町内を曳き回したものです。

    なお、うちの町内の掛け声は
    「ショッショッショ デデショッショ 寺のかげまで送りまでショ」
    だと思います。

    他のお祭りでもお会いしているような気がします、いつかお会いできたらいいですね。

    1. 天然芝さん
      コメントありがとうございます!
      たしかに天然芝さんが仰いますように、雄物川北部の地区の鹿島祭りは規模的には大きくないようですね。
      雄物川南部の地区の鹿島舟が商店街をほとんど制圧(?)していたのに比べると、北部のほうは行き交う車に気をつけながらの運行だったような気がします。
      ただ、そういった中でも粛々と行事を行い、伝統を引き継ぐ皆さんの努力には本当に頭が下がりますし、是非当ブログでも一度取り上げたいと思っています。
      それにしても「新屋の鹿島祭り」を、日吉神社を鎮守とする地区の祭りとしてしまうと、北部の地区の鹿島祭りはその定義から外れてしまうように思いますが、どうなんでしょう?
      「新屋北部の鹿島祭り」と命名のうえ、新しい祭りとしてスタート!というのは非現実的ですかね。。。
      記事の中でも紹介した「鹿島さん・七夕・遊山」によると、「ショッショッショ デデショッショ‥」は正しくは七夕の際の掛け声らしいです。
      鹿島祭りの掛け声と非常に似ているので、ある時点から混同されている、と著者の川口彌之助さんが指摘されていました。
      なお、「デデ」とは「出穂」のことらしいです。
      実際に鹿島祭りに参加されたご体験から、書き込みをいただきありがとうございます。
      いつかどこかのお祭りでお会いできるのを楽しみにしております!

  2. 急なコメント失礼します。ふと懐かしくなり調べた結果こちらのブログにたどり着きました。私自身、幼い頃は鹿島祭りに参加していたので非常に懐かしいです。私は新屋の今回紹介されていない橋の向こう側に住んでいたので、出来れば次回はそちらをレポートしていただけたら…などと勝手ですがお願い申し上げます。私がやっていたころは、子供たちが「しょっしょっしょ!」と謎の掛け声をお囃子に合わせて言ったものですがなくなってしまったのかな…と疑問に思いました。橋の反対側と反対側で違うのでしょうか。いずれにせよ楽しいブログありがとうございます。懐かしい気持ちになりました。

    1. miさん
      コメントありがとうございます!
      毎度毎度面白みのない文章ばかりのブログですが、お読みいただいて嬉しい限りです!
      実は行事に行く途中に、雄物川の北東側(新屋朝日町、新屋豊町など)の地区でも鹿島舟が一艘巡行しているのを目撃しました。
      ただ、今回記事にした雄物川南西側の新屋地区の方に、そのことを話しても「今でも(北東側では)2~3の町内が鹿島舟を出しているみたいだけど、よく知らねえんだ。何せ日吉神社でお祓いを受けるのは雄物川のこっち側の町内だけだしな」と仰っていて、あまり詳しいことを伺えませんでした。
      それでも帰りしな、新屋朝日町内の公園(博多ラーメンぞんたくの向かい側あたり)で直会っぽい集まりが催されていたのを見かけましたし、miさんの地元の鹿島祭りはしっかりと続いているようです。
      同じ新屋地区でもずいぶんと様子が異なるようなので、いずれ見てみたいですね~
      来年、再来年いつになるかはちょっと未定ですが(⌒_⌒;、miさんに楽しんでいただけるような記事を書きたいと思います!

  3. 私も秋田市在住ですが、このお祭りはまだ見に行ったことがありません。今年この日、「鹿島祭り」にするか雄勝町の「小町まつり」にするか悩んで後者を選択しました。来年は「鹿島祭り」に行ってみます。昨年の川尻の鹿島祭りの記事も拝見しました。来年はこちらも押さえてみたいです。

    1. 降魔成道さん
      コメントありがとうございます!
      6月10日ですが、実は管理人も小町まつりと鹿島祭りのどちらにするかかなり検討したんですよ!
      というのも当日夕方から県南の行事を鑑賞することを先に決めていたので、秋田市から行くか、湯沢市から行くかで結構悩んでたんです。
      で、結局鹿島祭りを選んだのですが、来年は小町まつりを第一候補に‥と今から考えています。降魔成道さんの逆パターンですね(^_^;)
      鹿島祭り、是非一度ご覧になってみてください!
      子供たちの元気さと鹿島舟の賑やかさが何故か懐かしさを感じさせてくれる、心温まる行事ですよ!

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