花輪ばやし

2018年8月20日
「秋田の小さな祭りたち」などと我ながら小生意気なブログタイトルだが、名前とは裏腹に8月は大規模な行事への訪問が続いた。
竿燈まつり、湯沢絵どうろう祭り、西馬音内盆踊り、一日市盆踊りといった具合である。
小さな行事もいいが、この時期特有の数万人規模の観客を集める大きな祭りもそのスケールに見合った興奮や感動を味あわせてくれる点で見逃すことはできない。
そんな中以前から鑑賞を熱望していた大きな行事が今回の「花輪ばやし」だ。

秋田の祭りのなかでは相当にメジャーであり認知度も高いと思うが、実は管理人は行事の詳細をよく知らない。
というか、山車・屋台行事はその豪快さ勇壮さとは裏腹に独特の細かい作法があり、初心者からすると少々敷居が高い。
いつものことだが、とりあえず行ってみればなんとかなるということで祭りの日に鹿角市花輪の地を踏むことに決定
因みに数年前に一度現地で駅前パレードの様子を鑑賞したのだが、そのときには行事の全貌など全く知らないまま、賑やかさだけを味わったような感じだったので、こちらのサイト(←鹿角出身の有志の方のHPです。とても分かり易くて助かりました!)で予習をして備えた。

当日 - 夕方行われた秋田市雄和の大正寺おけさの鑑賞を終えて一旦帰宅
早めの晩御飯をとったのち、20時に家を出て鹿角市に向かい、22時半過ぎに現地に無事到着 - 鹿角市文化の杜交流館コモッセ駐車場に車を置いて会場となる通りを目指す。

ところで、何故こんな遅い時間に来たかということだが、まずはこの祭りの主要スケジュールを以下に記しておきたい(花輪ばやし祭典委員会が発行した「花輪祭の屋台行事 花輪ばやし」から抜粋。なお、本来は8月16日の「幸稲荷神社・花輪神明社の祭礼」から祭りは始まると言われていて、「花輪ばやし」というのは19・20日の屋台巡行のことを指すようです)。
8月19日
12:00 花輪ばやし子供パレード
17:30 屋台発
18:35 御旅所詰/御旅所祈願
19:00 駅前広場 花輪町踊り
19:50 駅前行事

8月20日
00:00 朝詰
03:15 桝形行事
13:20 幸稲荷神社神還幸祭
14:00 門付け(角掛け)
19:00 駅前広場へ
20:40 駅前行事
21:30 赤鳥居詰
23:35 赤鳥居行事
スケジュールがとにかくてんこ盛り!!言ってしまえば、パッと始まってさっさと終わる山車・屋台行事などないのだが、花輪の人たちがこの1年溜め込んだエネルギーを一気に発散するかのごとく、この2日間は寝る間休む間も惜しんで花輪ばやしに没頭する。
以前に見た駅前行事の豪華さも素晴らしかったし、駅前から各町内へ戻る際の、手踊りが先導するパレードなど見所の多い行事ではあるが、夜中の静寂を打ち破るほどの喧騒を味わいたいということで今回は20日午前0時に始まる朝詰に絞って鑑賞することにした。
徹夜行事に憧れていた管理人のニーズにぴったりマッチするという点も理由の一つである。因みに翌日は平日だが、有休を取ったので心配する必要はありませーん(^^♪
ちなみに管理人が花輪に向かう道中の国道103号線でおびただしい数の車とすれ違ったが、おそらく駅前行事鑑賞を終えて大館市や秋田市へ帰る車列だったのだろう。

会場となる通りを歩いていると早速屋台発見!こちらは新町の屋台
ガランとしたアーケード通りにポツンと屋台がたたずんでいる姿は結構シュールだ。

この祭りでは計10町内の屋台がお目見えする。
①舟場元町
②舟場町
③新田町
④六日町
⑤谷地田町
⑥大町
⑦旭町
⑧新町
⑨横丁
⑩組丁

新町の屋台を右に眺め、直進すると今度は横丁の屋台がある。


今はこれから始まる朝詰に備えて皆で飲食しながら休憩中
横丁の皆さん、頑張ってくださーい!

朝詰については「花輪祭の屋台行事 花輪ばやし」と一緒に県立図書館から借りた「花輪ばやし専門誌 花輪ばやしマガジン 2015vol.29」からその内容を紹介したい。つーか、こんな専門誌があったんですね~
「御旅所にあった御輿が『上』方の町外れ『桝形』まで移動する。それに伴って華麗な屋台が若者たちの手によって町内をねり歩き、桝形に詰め、神様の神聖な時間に各町内の得意曲を奉納演奏します。途中、他町内を通過する際、両町の代表による『町境いの挨拶』が行われ、それがパレード中のひとつの見どころです。闇間に響く本ばやしの太鼓の音に町中が興奮のるつぼと化します」
ということで、0時から始まる朝詰の見所は「各町内の屋台の移動 = パレードと、他町内を通過するためのやり取り」と言えるだろう。
コースについては近くのコンビニでいただいた↓の見取り図をご参照あれ(クリックで拡大します)。


地図左上付近の組丁から出発、次々と町内が合流して最終的には右下の稲村橋まで全10町内が巡行する。
先に紹介した、有志の方運営によるHPから抜粋させていただくと「花輪の町には七ヵ所の町内の境い目、つまり『町境』があります。舟場元町と舟場町、舟場町と新田町と六日町、六日町と谷地田町、谷地田町と大町、大町と新町と旭町、新町と横丁と組丁、横丁と組丁の境い目です」ということで、これら7つの地点で町境の挨拶が行われることになる。
また、舟場元町・舟場町・新田町・六日町・谷地田町の5町を上五町、大町・旭町・新町・横丁・組丁の5丁を下五町と呼ぶそうだ。

横丁を通過すると、幸稲荷神社の鳥居があった。

「産土神さん」として地元で親しまれている幸稲荷神社は花輪の総鎮守であるとともに、花輪ばやしを奉納する神社でもある。
これからの朝詰観覧に先立ってひと拝みしといたほうがいいとは思ったが、地元の方に聞いたところ本殿は鳥居から歩いて20分かかるらしい。止めておこうか。

鳥居から少し進むと組丁の会所がありました。


これから始まる朝詰に備えてまずは乾杯
厚かましくも管理人も仲間に入れていただき、いろんな話を聞かせてもらった。
もちろん花輪ばやしにまつわる説明やよもやま話が大半だったが、管理人的には鹿角の人たちは自らのアイデンティティをどう捉えているのか知りたいというちょっとした疑問があったので、そのへんの話も聞いてみた。
江戸時代より南部藩に属し、戊辰戦争では官軍側についた秋田藩と戦うまでに至りながら、廃藩置県により明治4年に秋田県に編入された地域に生まれ育った人は果たして自らのことを秋田県人と意識しているものなのか?やはり南部人としてのアイデンティティが強いものなのか?
直截な答えは得られなかったものの、自らを秋田県人と意識はしているものの、外から秋田という地域を引いて見る資質が備わっているような印象を受けた。
また「秋田の人は『鹿角は遠い』というけど、俺たちからすれば『秋田が遠い』ってことだよ」とも仰っていて、秋田に属しつつも秋田とは違うという意識も伝わってきた。
なお、この時期に最高潮の盛り上がりを見せていた高校野球金足農業のこと(この時点でベスト4進出決定)は「そりゃ、応援してるよー!」とのことだった。

会所をあとにしてもう少し先へ進む。この先に組丁の屋台が

ありました。真っ暗な中に屋台の灯りが一際明るい。
花輪ばやしマガジンで「日本三大ばやしのひとつとされ、夜通し練り歩く豪華絢爛な十台の屋台」と紹介されているとおりで、黒を基調としつつも華やかな印象を与えるデザインで夜闇によく映える。
そしてその迫力もすごい!
管理人は先に述べた駅前行事のほかに、秋田市内で行われた食と芸能大祭典で2度屋台を直に見る機会があったが、そのときに運行されたのは出張用屋台で、本物より少々小さく作られているらしい。


出発前の屋台を丹念に覗かせてもらった。
これほど間近で屋台を見る機会はないのでとても興味深く拝見
先に紹介したHPに「屋台で使われる楽器の基本構成は、中太鼓2、小太鼓8~9、笛3、三味線2、摺り鉦1となっています」とあるように、屋台にはいくつかの太鼓がすでに括りつけられている。
普段屋台は道の駅かづのあんとらあに展示されていて、いつでも見ることは可能だが、祭りの場で見る屋台は一際勇壮だ。
なお、これほどの豪華さを誇る屋台なので、修復には数百万円とかのレベルでお金がかかるらしい。
2014年に「花輪祭の屋台行事」として国の重要無形民俗文化財指定を受けたことによる補助金制度を活用し、各町ごとに順次修復を行っているもの修復を希望する町内の順番待ちが続いているそうだ。

巡行開始の時刻が迫ってきた。先ほどいろいろ話を聞かせてもらった組丁の会所に先回りします。


各町内の「頭」が組丁の会所を訪れ、挨拶を行う。
各町には若者会と呼ばれる組織があり、そのなかで正頭を筆頭に頭、外交長といった様々や役があると同時に、各町内の頭が集まり若者頭協議会も組織されていて、そこでは会長・副会長2名・交通施設部長(および副部長2名)・総務部長・外交部長(および副部長2名)などの役職が割り当てられている。
主に自町内の運行をまとめるのが若者会で、全町内の運行を横串で取り仕切り、祭り全体の統制を図るのが若者頭協議会ということになっているようだ。
この後の巡行においても各町の会所で同じように御神酒を授ける場面が見られた。

そして組丁の屋台がやってまいりました!

本屋台囃子の調べにのって屋台が進む。


秋田の他の地ではまず聞くことのできない独特のお囃子だ。
賑やかな演奏ながら、そこはかとなく哀愁の漂うメロディでこの祭りを盛り上げる。
そして太鼓方の若者たちの掛け声も勢いを与えている。
花輪ばやしには本屋台囃子の他に「日本滝」「霧囃子」「羯鼓(かっこ)」「宇現響」「追込」「不二田」「拳囃子」「吉原格子」「矢車」「シャギリ」「祇園」の計12曲が受け継がれており、各町には十八番のレパートリーがあるらしい。

さてこれからが朝詰の見所のひとつ、町境の交渉だ。

組丁を待ち受ける横丁 - 若者が屋台の前に仁王立ちする。
緊張感がこちらにも伝わってきて、まるで西部劇の打ち合いシーン直前のようでえらいかっこいい。「荒野の用心棒」か「夕陽のガンマン」か。

こちらは組丁側

そして各町の頭に続いて組丁が前進、横丁と対峙する。

町境の挨拶が行われる。

屋台と屋台が正対したからといってすぐに何か動きがあるワケではない。
ここからしばらくの間行われるのが町境の挨拶ということになるのだが、はっきり言うと管理人も何が行われているか詳しくは分からない。
組丁、横丁の人たち以外にもそれら役付きの人たちが揃っていることもあって非常に多数の人たちがこの場面に立ち会っており、その動きは複雑を極める。
おそらくは隣町を通行するための交渉が「外交」によって行われ、その結果を伝令・共有して最終的に両町合意のうえで町境を決定し、一方の町の通過を許可するといったことが行われているはずだ。

両町の外交がせめぎ合うシーンは緊迫感に溢れているし、お囃子は威勢良く鳴らされていて、屋台同士が近づいてお囃子合戦が行われているときはそれなりの賑やかさだが、粛々と執り行われる町境の挨拶は静的な印象を与える。
喧騒と静寂が入り混じったような不思議な雰囲気だ。
(屋台行事と類似性のある)県内の山車行事と言えば、土崎港まつりや角館のまつりが挙げられるが、それらに比べて陰影が濃いというか、賑やかなお囃子をバックに顔色ひとつ変えず直立不動の姿勢をとっている若者たちが異様ですらある。
興奮を内に秘めているかのようだ。

組丁と横丁が合流し、進んだ先には新町が。今度は横丁と新町が対峙します。


壮麗な屋台が3基も集まる様子はきらびやかで結構見ごたえがある。
「花輪ばやし専門誌 花輪ばやしマガジン 2015vol.29」には、新町の屋台について「昭和32年に宮内庁の宮大工・土館治六氏によって建築、昭和54年に全面改築して現在の型になりました」と記されている。
各町ともにそれぞれ意匠が凝らされていて、ちょっとした違いを楽しむのも一興ではないだろうか。
なお、以前は宮大工に屋台の製作を委託していたのが、昭和40年に組丁の屋台が初めて地元の大工に依頼されたそうだ。

ここからはアーケード街へと入り、新町と大町、旭町の3町内が丁字路を境界として向かい合うことになる。


アーケード街に入ると、ギャラリーの数が増えて活気づいてくる。
それはいいのだが、とにかくこの日は寒かった!
涼しいとかを通り越して、はっきりと寒いと言えるほどで、ギャラリーの中にはジャンパーを着込んでいる人もいるぐらいだ。
東京暮らしをしていたときに、向こうの友人から「秋田って夏も寒いもんなの?」と尋ねられることがあり「そんなことねえよ。夏はいっちょまえに暑いよ」と答えていたのだが、この鹿角市の寒さを体感すると管理人の回答がとんでもない誤りだったような気がする。
友人よ、すまなかった。。。

そしてアーケード内丁字路で新町と大町、旭町が三つ巴で向かい合う。

3町がお囃子をぶつけ合うように演奏する様はかなりエキサイティングで、多くの観客が見入っていた。
花輪ばやしの中で一番多くの観客を集めるのは駅前行事だと思うが、朝詰にもそれなりの観客が詰めかけていて深夜にひっそり行われるというかんじではない。
観光客も多いようだが、地元の方々も大挙して集まっていて屋台に声援を送っている。
屋台の巡行に加わっている人たちのみならず、花輪の人たち皆にとって8月19・20日の2日間は特別な日なのが分かる。


新町

大町

旭町


数年前に鑑賞した際にも駅前行事集合前にお囃子合戦の場面があったが、朝詰での町内同士の対決には緊張感と気合いが感じられて、賑やかさが売りの駅前行事とは明らかにカラーが異なっている。
どの場面を鑑賞するかで受ける印象も異なるだろうし、時間が確保できるのであれば19~20日までぶっ通しで見てみたいと思う。

続いては大町と谷地田町が対峙する。


大町と谷地田町と六日町は、「本三町」と呼ばれており屋台行事発祥の町内とされているそうだ。
この祭りは元久元年(1204年)の幸稲荷神社創建時から続いていると云われているものの、正確にそのことを記した文献がないため、起源は謎に包まれている。
平安時代に京都から移入したという説もあるし、花輪在住の小田切康人さんという方の著作はずばり「花輪ばやしのルーツは奥州平泉にあった」というタイトルであり、ルーツについては諸説あるようだ。
因みに花輪のお祭りを記録した最古の資料は、明和2年(1765年)の「御銅山御定目帳」という書物で、その頃の祭りには相撲や芝居なども行われていたそうだ。

大町と谷地田町の挨拶が終わり、次は谷地田町が次の六日町を目指す。
実は今日の朝詰鑑賞の一番の決め手は両町の町境の挨拶にある。
この両町については未だ町境が確定しておらず、古くから続く因縁が未だにくすぶっている状態であり、結構ガチな屋台の押し合いが行われるのだった。

谷地田町内にある御旅所(この先にあります)
各町内を一巡した御神体が、8月16日~20日の間だけ安置される場所だ。

前方に六日町の屋台発見


谷地田町の屋台 - 花輪ばやしの屋台群は「腰抜け屋台」として知られている。
太鼓叩きの位置に床がなく、歩きながら太鼓を叩くことから「腰抜け」と言われていて、それが一般的な形態となっているのだが、谷地田町だけは2年前まで金網の床が張られたタイプだった。
また、かつては腰抜け屋台だけでなく、サギリ屋台、人形屋台などいろいろな種類の屋台があったそうで、谷地田町の屋台は翁媼(おうおう)に扮した女性が前方の左右に座るサギリ屋台の特徴が残っていると云われている。

谷地田町を迎え討つ(?)六日町の面々 - すでに緊張感が溢れている。
時刻は1時30分過ぎのまさしく深夜真っ只中だが、たくさんの人だかりができている。
やはりこの大一番にはたくさんの人が注目しているのだろう。

そして押し合いが始まった!!


両町が正対するなり、交渉を担う両町の副外交長同士が激しく競り合う。予定調和一切抜き、これはマジです。
管理人の隣で観覧されていた谷地田町のご婦人は、変わりゆく戦況にエキサイトして歓声を上げる。
そして屋台同士の押し合い、提灯がぐらぐらと前後に揺れてその迫力が伝わってくる。
修復にウン100万円かかるという屋台がこんな扱われ方して大丈夫か?とも思ってしまうが、いにしえより脈々と続く両町の流儀でもある訳で、このときばかりは相手町を圧倒することにだけ没頭しているかのようだ。

どうにか押し合いが終わる。

六日町を先頭に進む。

新田町



前の六日町と谷地田町の熱いバトルとは一転、外交同士のぶつかり合いもなく平和にまとまったようだ。
横で鑑賞していた新田町在住の女性の方に伺ったところ、新田町、舟場町、舟場元町といったところは古い町内でこれまで円滑な関係をずっと築いてきたので六日町vs谷地田町みたいなことにはならないそうだ。
町同士の関係性も様々な訳だ。
ちなみにこちらの女性は「桝形行事が一番好きですね。各町内がいろんな曲を演奏するのを毎年楽しみにしてますよ」と仰っていた。
ということで、新田町内の桝形の付近まで少し歩いてみました。


この後稲村橋から各屋台は枡形へ移動して神事を執り行う。
駅前行事、朝詰の賑やかなパレードとは全く異なり、屋台がお囃子を奉納する様はまさしく厳粛な祭祀空間と化すらしい。
そして最後は花輪に伝わる手締め「サンサ」を唱えて、前日から続いた行事はこの日の早朝に一旦区切りを迎えることになる。

さて、朝詰に戻ります。これから先は稲村橋を目指して一直線に進む。

舟場町の屋台

新田町のあたりをふらっと散策していたため、舟場町と舟場元町の町境の挨拶を見逃してしまった。
ただ、これにて全10町内が稲村橋を目指し、進む体制が整ったわけでいよいよ朝詰の大団円を迎えることになる。

巡行は続く。

お婆ちゃん、寒くないですか?


稲村橋へ10基の屋台が揃う場面を朝詰のクライマックスと紹介しているサイトも多く、朝詰ひとつ取ってもその楽しみ方はそれぞれ、ということが分かる。
県内では珍しい屋台行事、しかも全国に誇れるレベルの行事であることを踏まえればもっとたくさんの秋田県人に現地鹿角に足を運んで実際に見て欲しいと思う。

そして午前3時を過ぎて全町内が稲村橋に集結
めいめいが本屋台囃子を奏でて、その盛り上がりは最高潮を迎える。
漆黒の闇とまばゆいばかりの屋台の灯りが極端なコントラストとなっていて本当に見事だ。


今はどうかよく知らないが、管理人が子供の頃はこの日8月20日は夏休みの最終日と定められていた。
盛夏の太陽の下で思う存分外で遊んだ楽しい夏休みが終わる一抹の寂しさと、稲村橋に並ぶ屋台の見せる、賑やかながらどこか哀愁を伝える雰囲気がだぶってしまう。
それもこれも、この祭りの深い陰影がもたらしているのだろう。
3時間以上に渡った朝詰に続いて、各町内はこれから枡形行事へと移行。管理人も十分に花輪ばやしの素晴らしさを堪能したことを実感しつつ、稲村橋を離れて帰路につく。
ちなみにコモッセ駐車場へ向かう途中に、なんと当日にこの祭りのことを知り急遽大阪~東京~盛岡経由で鹿角まで来てしまったという兵庫県の男性と言葉を交わした。
「夜の祭りや思うてたんやけど、こんな朝までやんねんな~」とびっくりされていた様子。盛岡へ向かう始発電車の時刻まで枡形行事を見て過ごすそうだ。
また、大館方面への始発を待っていた秋田市の女性2人組とも知り合い(ナンパしたワケではないです)、管理人の車にお乗せして一緒に秋田市へ帰った。
お2人は県内の行事によく一緒に出かけるそうで、こののち8月25日開催の大曲の花火をかなり楽しみにされているらしく、昼花火の素晴らしさを力説していた。そのうち管理人も見てみます、昼花火。

はじけた盛り上がりを見せる行事とはひと味もふた味も違った、抑制された高揚感がとても印象的な独特のテンションに彩られた祭りだった。
冒頭に書いたように管理人がこの祭りに注目していた理由としては、やはり鹿角というマージナルな地で脈々と受け継がれてきた伝統文化だというのがある。
秋田の他の地と交わる伝統文化でないばかりか、隣県岩手にも類似する行事がある訳でなく、この花輪の地だけに受け継がれる稀有さと、真夏の2日間だけ咲き狂うかの如く奏でられるお囃子と、絢爛豪華という形容詞がぴったりの屋台が登場する興奮が掛け合わさった魅力あふれる行事だ。
花輪という地であるがゆえに作り出される複雑な深みがこの祭りの特徴だと思う。
県都秋田から遠く離れた鹿角の地に、毅然とした佇まいを見せながら脈々と受け継がれてきたこの祭りにこれからも注目していきたい。


2 Replies to “花輪ばやし”

  1. スケールの大きなお祭りですね。
    「花輪ばやし」はワールドゲームズinあきたの開会式(これもかなり昔の事ですね)で一度見た事があります。お囃子のテンポとノリは独特ですよね。すべてがポジティブになってしまいそうな曲調です。
    私も奏者として一度はやってみたかったです。

    県南の位置からは「花輪」はとても遠く、中学時代に全県スキー大会で一度行っただけです。
    また、鹿角も県の太鼓フェスティバルで一度だけ・・。
    大きな行事やイベントがあっても、なかなか行けない地域です。もちろん県北のみなさんも県南地域はそう思われているでしょうね。

    さて、今年に入り1月に「もちつき舞」、2月に「鳥舞」をまいーれで公演してきました。
    また今年も秋のお祭り初出演を目指し、新人さんたちとがんばって行こうと練習を始めました。

    もうすぐ春ですね。

    1. TAIKO BEATさん
      コメントありがとうございます。
      秋田の他地域とは全く関連が見いだせない、独特の雰囲気を持った行事でした。
      8月の前半に行われる「花輪ねぷた」は青森を中心としたねぶた/ねぷたの一形態であることがすぐ分かるものの、花輪ばやしのほうはその出自も含めて謎が多く、興味が尽きません。
      たしかに県南から花輪はかなり遠い場所ですよね。
      県南の東側の地域の人たちであれば、秋田道で一度北上市に出てそこから東北道を北上し花輪を目指す手はあるもののそれでも遠いですよね~。
      「もちつき舞」「鳥舞」の公演おつかれさまでした!
      前ノ沢講中、太鼓保存会の皆さんの活動もこれから本格的になる頃でしょうか。
      ご健康に留意し頑張ってくださいませ。いつか、その素晴らしい演奏を拝見したいと思います!

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