富根報徳番楽/中館番楽/鰄渕番楽

2018年12月9日
今回は久々に県北地方の番楽の登場だ。
かつては老舗の料亭として営業し、現在は国の有形文化財に登録されている能代市柳町の「金勇」にて番楽団体が集まり、舞を披露する「能代市番楽競演会」がさる12月9日に開催された。
登場するのは、能代市の富根報徳番楽、鰄渕番楽、三種町の中館番楽の3団体。
富根報徳は昨年鑑賞したが、他2団体はまだ見たことがない、これは見なければいかん。なお、県北方面の番楽を鑑賞するのは6月の根子番楽以来となる。

当日
開催時間は10~12時ということで開演時間に間に合うように家を出たつもりだったが、初冬の雪が残る道路のおかげであまりスピードを出せない。で、結局会場到着まであと僅かというところで開演時間を迎えてしまった。付近に車を止めて小走りで金勇に向かう。


かつての木材加工の隆盛を背景として、秋田杉を贅沢に使って建設された金勇の母屋
大人の社交場として能代市民には馴染みの場所だったが、今はその役目を終えて観光交流施設「能代市旧料亭金勇」として再出発している。
それでも建物自体が放つ重厚さ、豪華さは変わっておらず、良質な天然秋田杉を使って建てられた母屋と、降りしきる雪が織り成す景色が素晴らしい。

中へ入ります。受付の方から「お二階へどうぞ」と案内を受け、いそいそと2階大広間へ。

大入り満員。後日読んだ秋田魁新報によると70人ほどの観客が集まったそうだ。
大広間の舞台寄り前半分が観客席、後ろ半分が番楽団体の使用スペースとなっていた。

舞台では一番手の富根報徳番楽が舞を始めていた。

冒頭に書いたように、管理人は昨年9月に能代市二ツ井町飛根富根にある愛宕神社境内で富根報徳番楽を鑑賞した。
9月の心地よい空気のなか、収穫前の作休みに行われる「作番楽」をのんびりと楽しんだのが、昨日のことのように思い出される。
今日は最初の演目「大黒舞」は見逃してしまったため、二番目の演目「さぎり舞」からの鑑賞となった。

「さぎり舞」についてだが、他団体で同名称の演目を舞っているという情報を管理人は持ち合わせていない(もしかするとあるのかもしれませんが、管理人的には知りません)。
もともと番楽の右も左も分からなかった管理人が番楽のいろはを学んだのは、富根報徳番楽に携わっている大高政秀さんの著書「秋田の民俗芸能 番楽を踊る」を読んでからだ。
専門的見地から書かれた書籍が多い番楽ではあるが、大高さんの著書は平易な言葉でしかも演じる側の感覚が文章化されていて、素人だった管理人にもすんなりと内容が入ってきた、
その「秋田の民俗芸能 番楽を踊る」では、さぎり舞について「さぎり舞(曽我)」と記述されている。
「曽我」とは武士舞「曽我兄弟」であることはおそらく間違いないし、さぎり舞は曽我兄弟をベースにした演目という理解で良いかと思う。そが → そがあ → さがあ → さぎい → さぎり、とか、そんなかんじで変化していったものか。。。よく分かりません!

途中までは典型的な武士舞が展開されるが、きつねが入ってくることで一気に雰囲気が変わる。

作番楽でも見られたきつねのムーンウォークがここでも炸裂!とにかく楽しいパートです。


武士舞に道化舞が無理やりドッキングしたかのような流れだが、笛・太鼓・手平鉦が奏でるお囃子がきちんと舞をまとめてくれる。
道化舞と言えば、富根報徳とこのあと登場する鰄渕番楽には「根子切り」という名称の、女舞とセットで舞われる(というか舞い手がしゃべり倒すだけの)珍しい演目がある。
8月に鑑賞した秋田市黒川番楽でも根子切り(橋架)が披露されたが、おそらくは激しい動きの舞が続くなかでの箸休め的な意味合いがあるように思う。

エンディングは武士舞らしく、太刀を合わせる活発な舞へ

「曽我兄弟」自体は曽我五郎・十郎兄弟の仇討ちをテーマにした、番楽では結構お馴染みの演目だが、何故そこにきつねが乱入してくるのかはよく分からない。
古来から日本ではきつねは人を化かすものとして認知されているが、きつねとこの演目に何か関連はあるのだろうか?
曽我兄弟を舞うことでその地に巣食う怨霊を鎮めるみたいなことを何かの本で読んだことがあるが、これはきつね = 怨霊と類似するものとの考え方なのか?
それとも、そんな深い意味はなく道化役としてきつねでも上げてみるか?とかそんなノリで始まったのだろうか。
うーむ。分からないことだらけだ。

さぎり舞に続いては「翁舞」


「大黒舞」と「さぎり舞」は昨年鑑賞できたが、翁舞は鑑賞できなかったので興味深く見させてもらった。
翁舞で舞い手がつける白面は、「三番叟」でつけられる黒面と合わせて、富根報徳のアイコン的象徴であると大高さんが自著で紹介されている。
つまりはそれほどに富根報徳、ひいては番楽という芸能の本質的部分が翁舞(と三番叟)に凝縮されているということだ。
大高さんの文章から抜粋すると「番楽という芸能の目的の一つは『翁舞』などにみられる加持祈祷にある。加持祈祷とは、病気・災難などをはらうために行う儀式であり、神仏のご加護をねがい、言葉によって除災増福をいのる行為をいう。そのねがいは五穀豊穣であり、天下泰平であり、国家安穏である」とのこと。
番楽とは芸能として鑑賞する娯楽である一方、深い祈りの気持ちを込めて舞われる神聖な儀式でもあるのだ。

翁の所作をじっくりと見る。


後半は「荒舞」と呼ばれる闊達な拍子に乗ってリズミカルな舞を見せるものの、全体的にはゆったりとした所作が続く。
それにしても、舞台の背景となる太い松の木の絵が翁舞とよくマッチしている。
富根報徳の番楽幕は紅白の横縞模様で、それはそれで結構独特で面白いが、クラシックな画法で描かれた重厚な松の木の前で披露される舞にはひと味もふた味も違った面白さがある。
また、富根報徳の舞い手は必ず頭に「富根報徳番楽」と書かれた鉢巻(手拭い?)を巻いており、これも他団体ではあまり見られない特徴だと思う。

富根報徳番楽の舞が終わった。
今日は2演目のみの鑑賞となってしまったが、昨年同様に二ツ井飛根富根の地に根付いた素晴らしい舞を見せてもらった。
秋空の下でのんびりと飲食しながら、ときにはゴロンとゴザに横になりながら番楽を楽しむ地元の人たちの姿が印象的だった作番楽にもう一度お邪魔したいと思う。
ここで小休憩の時間となる。観客席後方に多数の面が置かれていて、管理人もちょっと見させてもらう。


今では現役を退いたような面もいくつか展示されていて、観客が集まって見入っていた。
現在は軽量素材を使用した面が主に使われていて、昔ながらの木製の面を実際につけるということはあまりないそうだが、木製の古い面は一度壊してしまうと修復不能なのだそうだ。
それほどの面をこのように間近で見られるというのは実に貴重な機会だと思う。

続いては中館番楽の登場。まずは「曽我舞」


先ほどの富根報徳の「さぎり舞」同様に、闊達な武士舞が繰り広げられる。
衣装や所作はもちろんさぎり舞とは大きく異なっていて、中館番楽のほうは根子番楽の影響を受けているらしい。
中館番楽は、今年9月に鑑賞した「森岳歌舞伎」が演じられた「伝統芸能の祭典inみたね」に出演しており、そのパンフレットに紹介文が掲載されているので抜粋すると「番楽の始まりは、江戸時代以前と言われ、阿仁の根子(旧阿仁町)地域から山越えをしてきたマタギが獣の皮や熊の胆などを売りながら宿をとり、その際伝授したものと言われており、根子番楽と同じ系統とされている」そうだ。
なお、中館番楽では名称がずばり「武士舞」となっている演目もあり、これなどは各演目を披露する際必ず最初に舞われるものであることから、根子番楽でいうところの「露払い」に相当する舞と考えられる。

曽我兄弟がお互いの腕を取り合って押したり引いたりを繰り返す所作はおそらくオリジナルだと思う。
この後保存会の代表の方と話をさせてもらったのだが、曰く「根子の影響を受けていると言われてるけど、踊りは結構違うよ」とのことだった。


太刀をぶつけ合う舞から、並んで扇で舞うパートへ移行したと思ったら、「さぎり舞」同様に道化役が出てきて2人の間で踊りだす。
道化役の面を見たらまさしくきつね!これは富根報徳番楽と共通する要素だ。
由利本荘市の本海獅子舞番楽では演目に登場する道化役のことを「ツォッツォク」と呼んでいるが、ここで登場したきつねはまさしくツォッツォクのような衣裳だ。
ちょっとだけ出て、舞に変化を与えて素早く立ち去る、まさにトリックスター。そう考えると先ほどの富根報徳のさぎり舞のきつねも、本来はツォッツォクが出発点だったのが、全身真っ白の異様な出で立ちとなり、曽我兄弟を食うぐらいの舞を見せるまでに進化したとも考えられる。
実際に、さぎり舞のあとに団体の代表の方が「今日のきつねはまた一段とアドリブが長かったですね~」みたいなことを仰っていた。

こちらはお囃子方。根子番楽でお馴染みの拍子板を使っている。

根子番楽では拍子板を結構力強く叩いて、「パーン!」とデカイ音を出すのだが、中館ではそこまで目立つ音を出すことはなかった。
県立図書館で借りた、秋田民俗芸能アーカイブスDVDに演奏の様子が映し出されていたが、それを見ると若干抑え目に叩いているようなかんじだった。

中館番楽の概要をちょっと紹介しておきたい。
「中館」と書くとまるでそういった地域名があるように思えるが、これは三種町琴丘地区の中沢・館村の二集落が合わさった名称となる。
活動としては8月の盆公演(8月13日に中沢公民館、14日に館村公民館と教えてもらったと記憶していますが、管理人の記憶違いで逆の可能性もあります)がメインとなり、現在継承されているのは7演目【武士舞・三刀抜(みつぬき)・鈴木の三郎・高太刀(たかだち)・曽我舞・えびす舞・翁舞】
8月の盆公演に向けて6月くらいから週一回ペースで練習し、8月に入るとほぼ毎日練習を積むそうだ。
昭和33年に保存会が結成され、基本的には集落全戸が会員になっていて、今日は総勢14名での参加とのこと。

続いては「鈴木の三郎」こちらも本格的な武士舞


県立図書館で読んだ「琴丘町郷土史」によると、鈴木の三郎は「城攻めの様子と強さの誇りを舞にしたもので、番楽の中でも最も勇壮な舞と言われている」とのこと。
力強くカッコイイ舞だ。
扇の舞から刀の舞へと移行するのが武士舞のセオリーだが、ここでは太鼓を持ちながら舞を続ける「胴取り」が見られる。
管理人が胴取りを見たのはこれまで本海獅子舞番楽 前ノ沢講中と山形県遊佐町の杉沢比山の2団体の舞で、演目はいずれも「信夫」だった。
演目の名称は違えども共通する所作が含まれていたり、演目名が同じでも所作が結構違ったりするところが面白い。

刀を持っての舞


「琴丘町郷土史」には「中館番楽は、他のもの(※管理人注 他番楽団体のこと)に比し内容は殆ど同じであるが、テンポの遅いのがその特徴でもある」と記されている。
さらに「専門家の話によれば、この特徴の出た原因は、若者が師であった場合と、老人が師であった場合の動きの差が自然に『遅さ』の形になったものだろうといっている」と記述されているが、管理人はそれほどテンポが遅いとは感じなかった。
ただ、中館番楽の誕生に大きく関わっているであろう根子番楽と比べると遅く感じるので、その点のことを言っているのではないかと思うがどうだろうか?(もっとも根子番楽のテンポの速さは数ある番楽団体のなかでも際立っています)

「鈴木の三郎」に続いて最終演目「えびす舞」。亀に乗って出てきました。そう。えびす舞の主役は浦島太郎なんです。


「琴丘町郷土史」で、「晩年の浦島太郎が在りし日をしのびながら、歩き馴れた浜辺で魚つりに親しむ様子をあらわしているが、楽しさの中に浦島太郎を知る人々に、そぞろ物のあわれを感じさせる物語りの舞である」と紹介されている。
竜宮城から帰ったあとに「開けるな」と言われていた玉手箱を開けたせいで、一気に年老いてしまった浦島太郎の後日談的な演目ということなのだろう。
それにしても、竜宮城での贅沢な暮らしぶりから一転、浜辺で釣りをする老人となってしまった浦島太郎が主役の舞だけに、琴丘町郷土史の紹介文の通り、単に釣りの楽しさを表現するだけではない哀愁のようなものが漂っている気がする。
なお、室町時代に作られた挿絵入り短編集「御伽草子」のなかの一編として、浦島太郎の物語が初めて世に出たのだが、そこでは浦島太郎は玉手箱を開けた途端鶴に変わり、空に飛んでいくというエンディングになっている。

舞台のすぐ前に男性が座り、釣り糸がピンと張るように補助しています。

どうしても釣果を得たい浦島太郎は願掛けを行う。

餌まきをしている姿を表現するとともに、会場にお菓子を撒くわけです。

苦労の甲斐あって、大物が連れました。このまま喜びの舞へと移り、舞は終了となる。

中館番楽を初めて鑑賞した。
根子の影響下にあるとはされているが、保存会代表の仰るとおり共通する部分があるというだけで直接的な影響を感じさせるほどではなかった。
おそらく根子の猟師が持ち込んだ番楽が中沢・館村の人々に定着する間にどんどんオリジナルな発展を遂げたものなのだろう。
秋田民俗芸能アーカイブスDVDには小中学生の舞う「三刀抜」の様子が映っていたが、そこでは先日の釜ヶ台番楽で見た「三人達」の所作(3人の舞い手が刀の両端を持ち、その下を潜ったり上を飛び越えたりする)が混じっていたし、根子以外にも様々な番楽の要素がミックスされて形成されたと考える方が自然ではないだろうか。
非常に興味深い舞を見れた思いだ。

最後の団体、鰄渕番楽の登場です。

ところで、皆さんこの番楽の名前読めますか?「かいらげふち」と読みます。管理人は存じておらず、「わにぶち?ん~、さめぶち?」とか自問してました。

まずは「露払い」

露払いは最初に舞われ披露されることになっていて、今日は能代東中学校の生徒さん8名によって舞われた。
舞が始まってから少しの間、中館番楽保存会の代表の方の話をお聞きしていたのだが、そろそろ写真撮影などしようかなと思っていたところ、3分ほどで舞が終わってしまった。
ということで写真は1枚もありません。しかも動画も全員を撮れてないし、、、
県立図書館で読んだ「能代市史《特別編》民俗」によると、各演目の伝習は集落の集会所を使って行われるが、以前は露払いは一度鰄渕神明社で舞わないと穢れると言われていて、かつ他所で舞うことは決してなかったそうだ。
また、他団体がそうだったように鰄渕においてもかつては女人禁制だったわけで、もし古人が今日の露払いを鑑賞したとしたらかなり驚いてしまうことだろう。
今日登場した女の子たちは去年から練習を開始したばかりだそうだが、鰄渕の未来の姿を象徴しているとも言えるだろう。

鰄渕についても、概要を紹介しておきたい。
ときは源平合戦の頃。壇之浦の戦いのあと、平家一族離散に際してその一派が落人として鰄渕に住み着いたのがきっかけと言われていて、同じく平家の落人が伝えたと言われる根子番楽と同じ伝承経路を持つとされている。
現在は、露払い・荒面・千歳・翁・三番叟・若子・根っこ切り・鈴木・恵比須の9演目が伝承されており、8月13日に鰄渕神明社において番楽が披露される。
また、番楽幕には金勇の舞台背景と同じく大きな松が描かれているが、この松が信仰の象徴的な意味合いを持つとされているがゆえ、お囃子方は本来は番楽幕のほうを向いて演奏するのだそうだ。

続いては「荒面」こちらは小学5年生の男の子による舞。すごいぞ、頑張れー!!


鰄渕は全ての演目で面をつけて舞うとされている(「露払い」については面をつけていなかったが、この演目はそもそも上演前の舞台浄めの舞なので、正式な演目とはされていないということかと)。
それはいいのだが、面をつけた舞い手は前の方がよく見えないらしく、舞台中央まで手を引かれながら移動して舞を開始していた。
それほどまでに視野の確保が難しい中、くるくる回転したり、大きく振りかぶったりという動きがよくできるものだ、とそちらのほうにも感心してしまった。
「能代市史《特別編》民俗」に「鰄渕番楽は十面を用いて舞われるのだが、名称のわからなくなった面が四面ある」と記されている。
それらの面は先に紹介した番楽面コーナーに置かれていたようだが、面に対する何かこだわりのようなものがあるのだろうか。
そして、それは平家の落人が伝えたということで、面をつける = 顔を隠すといった理由から来るものなのか?などと考えてしまった。

刀の舞


「荒面」も正しく武士舞の系譜に連なる演目であることが分かる。
荒面は鰄渕の演目の全ての基本とされていて、これを習得しないと他演目はマスターできないと言われている。
それにしても小学5年生の子がソロで舞うというのは本当に素晴らしい。
鰄渕は昭和58年に一度途絶えるという苦境を味わった。その後、平成2年に再興し、平成4年から神明社での舞が復活したわけだが、その間にたった一人の笛奏者の方が亡くなってしまい、伝承ができなくなってしまった。
そこで、関係者は笛の演奏が記録されている映像をわらび座(民族芸術研究所)に持ち込んで採譜、ようやく伝承にこぎつけたという経緯がある。
そこまでの苦労をしながら受け継いだ芸能が、小学生の子によって舞われるというのは実に感慨深いものがある。

そして本日最後の演目「恵比須」


浦島太郎が釣りに興じる姿を舞う内容で、中館番楽の「えびす舞」と同じではあるが、両団体の違いを楽しむことができて面白い。
この舞は必ず演目の最後に披露されるとのこと。
「能代市史《特別編》民俗」によると、この舞は「山海の産物が豊饒になるようにと祈る舞とみられる」そうで、決して釣りに遊び惚けている姿を描写するのが目的ではないようだ。
そのような切実な意味を持たせつつも、舞はあくまで明るく楽しく、といった相反する要素が同居するのが真骨頂とでも言えようか。
また、恵比須を舞うのは高校2年の男の子なのだそうな。これまた若い!

餌まきをする → 釣りをする → 大きな鯛を釣るという流れ


一際どでかい鯛を釣り上げて舞は終わりとなる。
観客にお菓子が撒かれたり、釣り上げるところの所作がユーモラスだったり、釣れた時には観客から拍手が湧き起ったりと最後に盛り上げるに相応しい内容の演目だ。
秋田民俗芸能アーカイブスDVDには2011年の神明社での上演の様子が収録されているが、それを見ると根っこ切りと並んで観客の笑いを誘っていた。
番楽のエンターテインメント性を伝えてくれる貴重な演目だと思う。
番楽には神秘的・儀式的なもの、面白おかしいものなどいろいろな演目があるが、最後は会場が大笑いに包まれて本当に楽しかった。
なお、管理人のすぐ真横で鰄渕のSNS担当の方が動画撮影されていたが、今日出演した3団体全ての演目、神明社での上演の様子をyoutubeにアップされているので、そちらのほうも是非ご視聴いただきたい。

3団体の舞が終わり、皆が会場をあとにする。

管理人はといえば、以前当ブログに書き込みをいただいた富根報徳番楽のゆかこさんや、昨年五城目町の番楽競演会で番楽についていろいろと情報をくださった由利本荘市鳥海町在住の男性と少し話をしたあとに会場をあとにした。
朝がたに降っていた雪は止み、陽が差すぐらいになっていて、帰りの運転は実に快適だった。

3団体それぞれの特徴や違いが見られてとても楽しかった。
金勇での競演会は、能代市街の活性化、伝統芸能の担い手育成、上演の場の提供等を目的として2014年から始まった。
あまりお目にかかることのない能代市や三種町の番楽を鑑賞できる貴重な機会なので、是非たくさんの人に見てほしいし、初冬の風物詩としてこれからも観客を楽しませてほしいと思う。


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