勝平神社地口絵灯籠祭り2019

2019年5月13日
今回は秋田市保戸野鉄砲町の「勝平神社地口絵灯籠祭り」
車通りの多い幹線道路 新国道から少し入った勝平神社の境内にたくさんの絵灯籠が飾られる、情緒あふれるお祭りだ。
管理人は2年ぶりの訪問となる。「癒しの空間」「都会のオアシス」などと言うと陳腐なかんじになってしまうが、とにかくそんな形容詞がぴったりと当てはまる、大人向けのお祭りだ。

祭りは5月12・13日の2日にわたって行われる。今回は2日目となる13日に訪れた。
絵灯籠を鑑賞するお祭りなので何時から始まるとかいうのはないが、明かりを灯す夜の鑑賞がベストだろう。
ということで仕事終わりにふらっと立ち寄ってみる。
近くのスーパーマーケットに車を止めて、秋田中央郵便局横を抜け、参道と社殿を横切っている道路を進み、社殿へ。


夜の暗がりに絵灯籠のほのかな灯りが映える。
2年前に訪れた時と、ほとんど様子は変わっていない。
社殿の周辺と参道にたくさんの絵灯籠が飾られていてえも言われぬ風情がある。
後日読んだ秋田魁新報の記事によると、今年は300ほどの絵灯籠が飾られたそうだ。

参道を戻る形で進み、あらためて鳥居前から入る。


「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り行事報告書-」にこの祭りに関するレポートが掲載されている。
それによると、勝平神社について「康平年中、源頼義が鞍馬寺毘沙門天として勝平明神の名で仰ぎ、寛文2年(1662)川尻毘沙門町に移し、延宝6年(1678)いは八橋に還り、明治19年に保戸野鉄砲町の秋葉神社と合祀して現在地に再建。明治25年には勝平神社と改称し今に至るとされる」と記されている。
また、そういった経緯から地元の人々からは毘沙門さんと呼ばれて親しまれている、とのこと

参道を歩き、絵灯籠を一つ一つ鑑賞


参道沿いに飾られた絵灯籠は市内在住の神尾忠雄さんの作品となる。
神尾さんは半世紀以上、この行事に携わっておられて大部分の絵灯籠製作を手がけている。
ご本人から直接伺ったわけでないものの、「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り行事報告書-」に製作方法が記されている。
「神尾氏は年中目配りしながらその時々のものを材料として書きためておくという。これの祭日前までに燈籠を作り、地口絵紙を貼り付けていく。普通細長い角材(縦35cm、横24cm)の枠に、和紙または絹地を貼り、その上半分の部分に風刺、滑稽を兼ねた地口、または狂句(川柳)を書き、下半分にはそれに因んだ戯画を描いたものである。今日では43cm × 31cmとサイズが大きくなった。さらに外に剥き出しになる燈籠であるために、あらかじめビニールを被せて雨天にも対処できるようにしておく。総数約350個ぐらいを作るため、年中書かなければならない」

ほのぼのとした作風が特徴


独特のタッチで描かれる絵と地口。何とも言えない味があって見ていて飽きない。
日常の何気ない風景を切り取るセンスと、それを絵燈籠に書き写す技術。本当に素晴らしい。
単に絵画を描くのと違い、絵灯籠の灯りに照らされる前提だけに書き方も少し違ってくると思う。
絵心なぞ全く持ち合わせていない管理人が言うのもあれだが、余白をいかに上手に活かすのが上手く描けるかどうかのポイントのような気がする。

参道はのんびりした雰囲気


絵灯籠祭りは250年ほどの歴史を持つと言われている。
もともとは「地口行灯」と呼ばれる行事で、勝平神社に限らず全国の多数の神社で行われていたようだ。
初めは地口を書いただけのシンプルなものに絵が添えられるようになり、やがて同じ絵灯籠が続いたのでは物足らんとばかりに、毎年新作が作られるようになったらしい。
が、時代の経過とともに地口絵灯籠を飾る神社は減っていき、県内では勝平神社ぐらいでしか見られなくなった。
なぜに勝平神社でのみ続いていったかはよく分からないが、「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り行事報告書-」には文久元年生まれの小林徳治と、その弟佐宗朝之助なる2人の人物がいて、その2人が絵灯籠の制作・奉納に携わっていたとの記述がある。
このように名が残っているぐらいなので、おそらく2人の作品のレベルは相当のものだったと思う。
そして、そのことによって地口絵灯籠が勝平神社祭礼の名物となっていったと想像するのだが、どうだろうか。

作品のバリエーションも豊かです。


時事問題を扱った題材も見られた。
地口には世相や社会に対する風刺も含まれていて、ときとして辛辣な政治批判を伴うこともあるが、神尾さんの作品には刺や必要以上の風刺はなく、絵灯籠を通じて見る人を楽しませるというスタンスを外すことはない。
明治の頃に神社総代だった山中駒蔵という人物の作品は結構有名だったらしく、神社の祭礼に多くの人が集まるのを見込んで社会風刺を交えた地口を披露することがあったそうだ。
明治という新しい時代に生きる市井の人として、訴えずにはいられない何かがあったのだろう。

観客はあまり多くない。


こちらは似顔絵灯籠。7人の顔が描かれているが、おそらくは神尾さんお気に入りのスポーツ選手、アスリートだと思う。
右端には豪風関。相撲好き(のはず)の神尾さんからすれば、郷土の星 豪風関の活躍に心から拍手しただろうし、引退にはひとかたならぬ思いをお持ちだと思う。
江戸~明治時代にかけて、浮世絵の様式の一つ「相撲錦絵」が多数描かれたことを踏まえれば、江戸時代から続く行事にお相撲さんを描いた絵灯籠を飾るというのは、まさしく伝統にのっとった作品であると言えないだろうか。

社殿付近に再度戻る。


社殿の周りには神尾さんのお弟子さんとでも言おうか、保戸野鉄砲町の人たちや小学生たちを中心に書かれた絵灯籠が飾られている。
絵灯籠という小さなキャンバスに、思い思いの地口と挿絵が描かれていて、一つ一つ個性が感じられる作品ばかりだ。
元々神尾さんが保戸野鉄砲町の町内会子ども会の児童たちに教えていたものが、そのうちに親御さんたちも習い始めて、今に至っているそうだ。
神尾さんがあくまでも中心の行事(祭礼そのものは神社総代や役員が執り仕切っている)ではあるものの、保戸野鉄砲町の皆さんで支えているお祭りなのだ。

社殿周辺も絵灯籠で賑やか


社殿の周りのいくつかの絵灯籠にはLED電球が仕込まれていた。
結構青がかった白色で、昼光色と呼ばれる種類の色らしい(一般的な絵灯籠の色は「電球色」)。
情緒という点ではかなり物足りないものがあるが、これはこれで地口や挿絵を現代風にアップデートすれば結構面白いかもしれない。

落ち着いた空間

訪れる人はあまり多くないが、それでも客足が絶えることはない。
一つの絵灯籠の前で微動だにせず見入っている人もいれば、仲間や同僚とあれこれ喋りながら鑑賞する人もいて様々だ。
それでも皆がこの平穏さを楽しんでいるようで、心地よい時間が流れている。
管理人も30分ほど満喫したのち、勝平神社をあとにした。

5月の爽やかな夜にのんびりと絵灯籠鑑賞を楽しんだ。
一昨年の記事にも書いたが、大人の祭りといったかんじで、派手さや賑やかさはないものの、しっとりと心に染み込んでくる。
境内に小さな灯りが居並ぶ様子に、神尾さんの作品の持つペーソスが相まって、洗練された空間を提供してくれる稀有なお祭りだと思う。
これからも市民に癒しを与える素敵な祭りとして続いていってほしい。


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