岡本新内/釜ヶ台番楽

2019年5月25日
秋田市中心部の風物詩となりつつある、「これが秋田だ!食と芸能大祭典(通称:コレアキッ!)」
勇壮な屋台・山車が練り歩く伝統芸能パレードを3年連続で鑑賞してきた馴染みのイベントであり、今回も行ってみようと早くから決めていたが、今年に限って言えばパレードはスルー。
エリアなかいち内特設ステージに登場予定の、ある伝統芸能にターゲットを絞っていた(結局伝統芸能パレードも見ちまいましたが、今回は記事にしません)。

「岡本新内」
人の名前のように聞こえるが、紛れもなく秋田県南に伝えられている伝統芸能だ。
横手市雄物川町が発祥の地とされていて、雄物川町史に「町に生まれた芸能」との題名つきでその内容が記されている。
「岡本新内は市川団之丞こと泉庄吉(文政12~明治12.3.28)によって創始された。団之丞は山形藩士戸部準四郎の娘を母として生まれ、13歳で山形の光明寺にあずけられたが出家をきらい、17歳の時寺を脱して江戸に出、七代団十郎の門に入って役者になった。天分に恵まれ精進もしてトントン拍子に出世したが兄弟子にねたまれて水銀剤含有の毒物を飲まされて声がたたなくなり上方役者を断念して田舎巡りの旅役者になったという。諸国流浪の末、沼館(※管理人注 雄物川町内の地区)に落着き町の娘たちや同好の人方に芸を教え、隙をみては一座を組んで山形・福島両県地方にまで巡業した。岡本新内は俗に岡本っこともいわれ、三味線・唄・踊りがそろって妙味がある。唄は男女の情愛の機微をうたって情緒纏綿たるものであった」
この後県南・県央各地へ伝わっていき、さらに初代岡本一寸平(おかもとちょっぺい)こと故柿崎シヨさん(当時横手市内在住)が牽引する形で全国へ広まり、最盛期にはレコードが発表され、財界人にたくさんのファンを生むに至った。
今はその当時の盛り上がりはないものの、県南を中心に確実に受け継がれている異色の芸能なのだ。

当日
食と芸能の大祭典は2日間(プレオープン日を合わせると3日)開催されるが、岡本新内がステージに登場するのは2日目の14:25~。その時間に間に合うように会場となるエリアなかいちへ向かう。
市内中心部を流れる旭川。毎年食と芸能大祭典のたびにこの景色を撮影している気がする。

会場へ到着

すごい大観衆!岡本新内、こんな人気あったのか!?ということではもちろんなく、秋田ノーザンハピネッツの選手たちがステージ上に上がっていてファンミーティングの真っ最中だった。
岡本新内はこのあとの登場となる。

ハピネッツのステージが終わるとともに観客は一斉に退場。チャンスとばかりに退場する観客と入れ替わりに最前列へ陣取って、岡本新内の登場を待つ。
そして定刻より少し遅れて開演。まずは司会の方がご挨拶

「岡本新内って知ってる人いますかあ?」と司会者がめっきり少なくなった観客に呼びかけると、管理人含めた数人が手を挙げていた。
秋田を代表する伝統的な舞踊といえば、例えば番楽であったり盆踊りであったりささらであったりと多種多様な訳だが、岡本新内のような踊りは他になく、オンリーワンの伝統芸能といった感がある。
そのことを踏まえれば「知る人ぞ知る」芸能との位置づけなのだろうし、エリアなかいちに詰めかけた観衆の中でも知っている人は数少ないのはやむを得ないと思う。
なお、あとから知ったのだが、司会者の男性は横手市内のパブ サロンmikadoの「ひでみママ」として横手では有名な方らしい。
名物ママとして大人気の一方で、横手かまくらFMでパーソナリティも努める、まさしく才色兼備(?)の人なのだ。

三味線が登場しました。

一人の女性が登場し、演目の開始


一般的には「お座敷踊り」と呼ばれる踊りで、これぞ日本舞踊といった趣だ。
秋田で一般的に見られる伝統芸能や盆踊りが(他から入ってきたものだとしても)土着の芸能として成立しているゆえ、秋田らしい薫りを纏っているのに対し、岡本新内はそのような要素は全くない。
当然、神的宗教的な要素もなく、この点だけでも管理人がこれまで見た行事・芸能と比べて大きく異なっている。
先に発祥の地は雄物川町と書いたが、雄物川町の人なら誰でも踊れるわけでもなく、日本舞踊によく見られる師弟制度によって成り立っているため、ごく限られた人だけが踊ることを許されている点も特徴的だ。
だが、カテゴライズするならば「伝統芸能」「郷土芸能」の枠にも収まってしまうという摩訶不思議な芸能でもある。
特に日本舞踊に詳しくない管理人がこの舞踊に惹かれるのは、この異端性あってこそだ。
因みに秋田魁新報が昭和46年に刊行した「秋田の民謡・芸能・文芸」には岡本新内の唄について「歌謡の分類では、民謡に対して芸謡と呼ばれる芸人の流行歌だ。その巧みな節回し、情緒纏綿なところが受け、県内で広範な流行圏を持つ”準民謡”の位置にある」と解説している。

周囲の賑やかさをよそに、三味線の音色と唄が静かに響く。


今日は旧横手市の皆さんの団体が出演しているが、ひでみママに教えていただいたところによると、普段は花柳流や若柳流といった日本舞踊の流派に属しながら年2回の門弟会で岡本新内を披露しているそうだ。
また、youtubeには雄物川町岡本新内伝承会の発表会に小学校の女の子たちが演奏で参加している動画があがっている。
本家としての心意気と、若い世代にこの芸能を継承していきたいとの意思が伝わってくるようだ。
なお、雄物川町史には「横手市(※管理人注 旧横手市のこと)の柿崎一寸平が岡本新内家元となっているが、それは団之丞の岡本に創案を加え花柳界好みに改作したものである」と書かれていて、「本家はこっちだよ」とのプライドをそこはかとなく感じ取ることができる。

続いて「せめて一夜さ」


雄物川町史に「せめて一夜さ」の歌詞が記されている。
せめて一ト夜さ仮り寝にも 妻と一言いわれたら
 この一念もはれべきに どうした因果か片思い
 いやがらしやんす顔見れば わたしや愚痴ゆえなお可愛い
哀切溢れる恋の想いが分りやすく描写されていて、どんなテーマを持った唄かがすぐに読み取れる。
「秋田の民謡・芸能・文芸」によると、岡本新内の「新内」とは江戸浄瑠璃の創始者で三味線奏者でもあった「鶴賀新内」から取ったもので、鶴賀自身のせつない声を張り上げる泣き語りで有名だった、と紹介したうえで「幕末には、この新内語りでやる歌舞伎の『心中物』が大受けし、退廃した世情に投じて遊里での情死ブームを巻き起こした。このため文化初年、遊郭への出入り禁止になったという因縁の歌だ」と記されている。
今、ステージ上で展開されている「せめて一夜さ」の唄、三味線にもそのような魔力が宿っている、というのは大げさだろうか。

途中から二人踊りに


「せめて一夜さ」は岡本新内の代表的な舞踊、唄と位置づけられている。
愛し合う男女の心情があまねく表現されている良曲で人気ということなのだろうか。
今日は「せめて一夜さ」のみだったが、秋田民俗芸能アーカイブスDVDやyoutubeの動画を見ると、「せめて一夜さ」と同じ節と長さで唄われる「せめて雀の」「初手はたがえに」が2番・3番のように続いていたので、通常はその3曲でワンセットのようだ。

続いて「横手小唄」ステージには先の2演目で登場した3人が登場。


ひでみママが「普段はあまり踊ることはありません」と紹介した曲で、これまでとは雰囲気の異なる楽しい唄だ。
これなどは実際に芸妓がお座敷を盛り上げるために歌って踊った唄だろうから、おそらくは(農村部ではない)旧横手市の岡本オリジナルのように思うのだが、どうだろうか。
現在、県内では発祥地雄物川町、発展の地旧横手市を中心に伝承団体が活動しているようだが、「秋田の民謡・芸能・文芸」には「雄物川町今宿、田沢湖町、大曲市角間川、十文字町、由利郡鳥海村、秋田市土崎に分布していて、少しずつ変わっている(※管理人注 町名は以前のもの)」と書かれている。
さすがに昭和46年当時と今では状況が異なっていると思うが、現在は雄物川町、旧横手市以外の伝承地でどのような活動状況になっているのか、ちょっと知りたいところではある。
また、ひでみママからは岡本新内同様に花柳界の匂いを残しつつ、地域に根付いた芸能の一つとして長崎ぶらぶら節というのがある、ということも教えていただいた。

お座敷の雰囲気満点の曲です。


始まってから終わるまであっという間の30分だった。
とにかく以前から気になって仕方なかった芸能の一つだったので、かぶりつきで鑑賞できて感無量だ。
今回は秋田市への出張公演の形だったが、門弟会、発表会という形で定期公演が行われているし、子供たちだけによる発表会も実施されているようだ。
典型的な日本舞踊の形を取りつつ、郷土芸能としてこんにちまで継承されている、この稀有な伝統芸能にはこれからも注目していきたいと思う。

25分ほどのステージが終わり、ちょっと息抜きということで千秋公園入口 中土橋あたりをぶらぶら


夕方からパレード予定の各団体が休憩中。というか太鼓を叩いたり、掛け声をあげたり、土崎みなと祭りに至っては演芸部が踊りまで披露している。
パレードでの晴れ姿もよいものだが、中土橋の各団体もいきいきしていて、素の表情を見れたようで得をした気分だ。
冒頭書いたように今回はこれら団体のパレード出演シーンは記事化しないことにしたが、例年同様にパレードが盛り上がったことも付け加えておきたい。

岡本新内は終わったが(この後アゴラ広場に場所を変えて15:05~2度目の踊りを披露)、にかほ市の釜ヶ台番楽のステージがあったため、そちらも鑑賞することにしていた。
釜ヶ台は昨年3月のにかほっと、9月のフォンテAKITAに続いて3度目の鑑賞となる。
特設ステージに戻ると、すでに演目が始まっていたが、今度は最前列に座ることができず、6~7列目ぐらいからの鑑賞となった。
こちらの演目は「二人舞」


釜ヶ台番楽はにかほ市内外でかなり積極的な活動を展開しているが、本来であれば簡単に鑑賞できるシロモノではないはず。
若い世代が中心となってマスメディアへの顔出しや、SNSを使っての情宣・普及に努めているおかげで、たくさんの鑑賞機会に恵まれている側面もある。
貴重な伝統芸能を身近に感じさせてくれる功績はとても大きいと思うし、9月のフォンテAKITAでの鑑賞の折には本海流の最も重要な舞である獅子舞に小学生の子を起用するという大胆な挑戦も行っていて、数ある番楽団体の中でも現在もっともホットなのが釜ヶ台なのだ。

題名は「二人舞」だが、一人舞へと変わります。


獅子舞、神舞、式舞、武士舞、女舞、道化舞から20演目ほどのレパートリーを持っていて、この演目の多さも魅力のひとつだ。
今日舞われた「二人舞」について、関係者から詳細をお聞きすることはできなかったが、おそらくは式舞のひとつだと思う。
県立図書館で借りた「本海番楽-鳥海山麓に伝わる修験の舞-」に「二人舞」なる名称の演目は記されていなかったが、「素面にシャグマを被り、ハダコに襷がけ、袴姿の二人が扇と錫杖をもち、相舞に舞う神楽風の演目」といった内容から同著では「地神舞」と紹介している演目と同じ気がするがどうなのだろう。
因みににかほ市に伝わる他団体、伊勢居地番楽、冬師番楽では「地神舞」が舞われるようだ。

次は「さかさま番楽」


さかさま番楽については以前から名前だけは知っていて、どんな演目か想像していたが、面白おかしい舞を見せる道化舞だった。
昨年3月ににかほっとで見た「番楽太郎」同様に、舞い手が股と背中にシャグマをつけて足に手ぬぐいを巻いている典型的な道化舞、という以上にお囃子や所作含めてほぼ番楽太郎と同じようだ。
違っているのは面と頬被りぐらいだろうか。

ハチャメチャな動きを見せる舞。結構かわいかったりする。


秋田民俗芸能アーカイブスDVD(8月20日の送り盆公演)やyoutubeの動画(8月14日の初棚公演)をいくつか見たが、とにかく道化舞の舞い手たちが客席に下りて客をいじりまくる。
番楽太郎、さかさま番楽、餅搗き、やっちゃぎ獅子など、客席に降りてはそこらにいる観客を捕まえて背負ったり、抱きかかえたりして番楽幕の後ろへさらっていってしまう(さすがに今日はステージが高くて出来なかったが)。
番楽と言えば、古式ゆかしき伝統芸能、というのは間違いないが、釜ヶ台の道化舞についてはアトラクション的な面白さがあって目が離せない。番楽初心者であっても十分に楽しめる内容だ。
今日は「二人舞」「さかさま番楽」の二演目だけだったが、未見の演目も多いので機会があれば是非4度目の鑑賞に挑戦してみたいと思う。

賞味1時間とそれほど長くない時間だったものの、「岡本新内」「釜ヶ台番楽」の2つの芸能を楽しむことができた。
釜ヶ台についてはすでに3度鑑賞したことになるが、さすがに20ほどの演目数があるだけあって、まだまだ楽しむ余地が存分にありそうだ。
そして、岡本新内。先に異端の芸能と紹介したが、その実体は正統的な日本舞踊であり、「秋田であって秋田でない」と表現できそうなユニークさに溢れている。
これほどの芸能がひっそりと、だが確実に受け継がれてきたことに驚く一方、今日登場された皆さんはじめ、関係者の熱意が欠かせないことをあらためて実感した。
決して目立ちはしないが、「せめて一夜さ」の歌詞のように艶かしくも鮮やかな踊りを見せる素晴らしい伝統芸能をこれからも応援していきたい。


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