刈和野の大綱引き2020

2020年2月10日
小正月行事が数多く行われるこの時期、管理人が毎年楽しみにしているのが今回の「刈和野の大綱引き」
冬の夜の静けさと寒さを吹き飛ばすド迫力の行事で、秋田の小正月を代表する伝統行事だ。
管理人はここ10年ほどほぼ毎年通い続けていて(本ブログでも2018年2019年の様子をアップしております)、今年も例年通り、開催日2月10日に大仙市刈和野へ向かった。

秋田の伝統行事のなかでは相当にメジャーで、今さら基本的な説明など要らない気もするが、一応「秋田の祭り・行事」に掲載されている紹介文を転記しておく。「夜、町中心部を上町・下町に分け、長さ64mの雄綱、50mの雌綱にそれぞれ約30mの尻綱を足して結び合わせ、町中の人々で引き合います。上町が勝つと米の値段が上がり、下町が勝つと豊作という占いがつく小正月の予祝行事です。綱は行事1か月前から撚り合わす作業が行われ、当日夜、建元と呼ばれる世話人の指図で2本が結ばれます。綱合わせと呼ばれ、この瞬間は音を立ててはいけないこととなっていますが、結ばれると大きな興奮を醸し出します」
行事は曜日に関係なく、毎年2月10日に行われる。
当日は日中の綱伸ばし・小綱付け、19時~若衆の押し合い、20時~綱合わせなどを経て、21時前後から綱引きが始まることとなる。
また、秋田魁新報によると今年は7,300人の引き手が参加したそうで、「ジョヤーサノウ!」の掛け声とともに、これほどの大人数が一斉に綱を引く風景はまさに圧巻の一言。
大綱引き行事と言えば、沖縄県那覇市の那覇大綱挽が綱の大きさ、参加人数、引き手の数などの点でギネス認定世界一らしいが、決して広くはない大町通りを舞台に繰り広げられる刈和野の大綱引きは、北国の雪の夜の静けさと対比を成す豪快さを見せる行事でもあり、その極端なコントラストが他県の綱引き行事にはない美しさを見せてくれていると言えるだろう。
なお、上町は「二日町」、下町は「五日町」とも呼ばれている。

当日
18時に仕事を終えて、一路刈和野へと車を走らせる。
数年前までは道路にしっかりと雪が積もっていて、場所によってはスリップするような地点もあり、60km以上のスピードで運転するなんてとんでもない!というかんじだったが、ここ数年は道路に雪がない状態が続いており、今年も同様に雪がほとんどない。
行事の数日前に多量の雪が降り積もり、以前の冬のような状態になってくれるかもと期待したが、数日の間に融けてしまい、結局暖冬そのものの風景に逆戻りしてしまった。

19時半に刈和野のスーパー駐車場に到着。車を置いて会場へと徒歩で向かう。


冬の時期といえば雪景色が定番だが、この日は天気が良く、真ん丸いお月様が見える。
かつて月の満ち欠けが一ヶ月の基準となっていた頃、その年初めての満月にあたる旧暦1月15日が1年の始まりと定められていた。
新暦が導入されて以降は現在の1月1日が1年の始まりとなり、旧暦1月15日は「小正月」として、その名称のみが受け継がれるだけではあるが、冬の満月を眺めていると、500年以上の伝統を持つ大綱引き行事のいにしえの光景がすぐそこに広がっているような気分になってくる。

間もなく会場となる大通りへ到着。おおっ花火が上がっております🎆

会場へ到着。恒例の押し合いが行われている。

若衆の群れの上に上っている男性に目をやると、なんとギバちゃんでした😅😅😅


「ジョヤサ!」の掛け声とともに、下町の提灯を幾度も振りかざす熱いシーンではあるが、もうバテバテですやん、ギバちゃん😵😵😵
旧西仙北町教育委員会の編纂による「刈和野の大綱引き」に「押し合いは、刈和野大綱引実行部の若衆によって行われる。まず本部に設けられた祝い酒を飲んでドップ(※管理人注 上町・下町の境界)の所に出ていく。二日町の若衆と五日町の若衆が相対して両方から一気に出て押し合いを始める」と書かれているように、大綱引き前の景気づけ・前哨戦として場を盛り上げる。
ということで、押し合いを行うのは若衆と決まっているが、間もなく還暦を迎えるギバちゃんが輪に加わり、さらに若衆に支えられて上に立っている。押し合い参加者の最高齢・最高峰(若衆の上に乗っかってるんで)記録を更新しちゃったんじゃないか!?
因みに他の観客の方と話をしていると「ギバちゃんは来てるんですかね?」みたいなことをたまに尋ねられることがある。もちろん質問の意図はよく分かる。しかしながら、ギバちゃんが生まれ故郷の祭りである、この大綱引きをこよなく愛していることはあまりにも有名だし、綱の最後尾あたりの重要なポジションを任される(←たしか)ほどの、下町にとって欠くことのできない存在なのだ。
なので、「ギバちゃん来てますか?」という聞き方は誤りで、「ギバちゃんいますか?」が正しい尋ね方になるんじゃないだろうか、と個人的には思います(^_^;)

押し合い続いてます。


花火が打ちあがる夜空を背景に、若衆がひと際盛り上がる。
1年間の想い、というか勝負への執念をぶつけるように、声を張り上げて押し合いを続ける。
昨年は、引き合い開始からリードした上町が順調に勝利を手にするかと思われたが、まさかの猛反撃で試合をひっくり返した下町が勝利した。
こんな決着があんのか!というぐらいの見事な逆転劇で、さぞ下町は気持ちよかったことだろう。
一方の上町からすれば、是が非でも昨年の借りを返したいに違いない。そんな両町の気持ちがぶつかり合う、好試合を期待させる押し合いの光景。

押し合いが終わると綱合わせへと移行


見物客が綱に近寄らないように規制ロープが張られ、建元や両町関係者が「じゃ、やりますか~」とばかりにドップ付近に集結する。
決して派手さはないものの、この行事の裏ハイライトとでも呼ぶべき重要な場面が綱合わせだ。
まずは、先端同士が間隔を取って向かい合わせに置かれている、上町の「雄綱」と下町の「雌綱」を引き寄せる「綱の出し合い」から始まる。
いつもの年であれば管理人はドップ付近から動かずに、ひたすら写真や動画の撮影をしているが、今年はドップから離れて上町側で綱の出し合い~綱合わせに至るまでを見させてもらった。

大きくうねる大綱


大仙市作成のパンフレットに「建元は人の集まり具合を見て『綱の出し合い』を指示する。集まった人たちは提灯の振りに合わせて『ジョウヤサノー』の掛け声をかけながら綱を出し合う」と書かれているとおりで、字面で読むとどうということもないように思えるが、双方の綱の重さは10トンもある訳で、これほどのものを簡単に動かせるはずがない。
そして、今年はドップから離れて、綱の出し合いを間近で見ることができたので分かったのだが、綱をまるで大蛇のようにグネグネと湾曲させながら前に進ませているのだ。
綱の出し合いの参加者は(両町関係者以外は)観客のなかの有志の皆さん。ただし、綱に隙間がないほどの大人数が集まる訳ではないので、前側で引っ張ったと思ったら後方に移動してたゆませて‥というのを繰り返しながら、やっとの思いで前に進ませているのだ。
長くこの行事を見ておきながら、今さら具体的な綱の出し方を知るというのもちょっと恥ずかしいところもあるものの、あらためて綱の出し合い~綱合わせに至るまでのたいへんさを実感することができた。
また、今回は上町の出し合いの場面を鑑賞した訳だが、綱の長さ、形状から道路のかたちにいたるまでの諸条件が上町・下町では異なっているので、下町側の出し合い風景ははまた違ったものかもしれない。

綱の出し合いはまだまだ続く。


「ジョウヤサノー!」の掛け声に合わせて、綱が少しずつドップへと寄っていく。
若衆の押し合い、綱の引き合いといった盛り上がる場面に比べると静的なシーンではあるが、これはこれで小正月行事の風情が感じられて味わい深い。
菅江真澄の「月の出羽路」に、刈和野の近隣大仙市神宮寺の綱引きの描写がある。「此のわらを集て大綱を糾ひ、東西と分て雌綱雄綱二筋を会て、其大綱に千筋の小綱を木の根の生ひわたるやうに付て、此小綱にここらの人男女、童、盲人にいたるまですがりてひきしらふに、寒(さえ)わたる夜ごろもしらず、かたぬぎ身に汗して雪ふみしたき、負劣らじとて曳に引ぬ。雄綱勝ぬれば秋の田の実のよからず、雌綱曳勝ときは、秋の千町も八束の稲穂うち寄せて民草栄ふといへり」(現代語訳 / WEBサイト「菅江真澄と歩く旅の記録」様より) → 「この藁(※管理人注 地元の子供たちが集めた藁)を集めて大綱になって、東西に分けて雌綱雄綱の二本を合わせる。その大綱には、千本もの小綱を木の根のように付け、小綱には町の男女・子供・盲にいたるまですがりついて、引き合うのである。さえわたる夜のふけるのも知らず、片脱ぎの体に汗して、雪を踏みしめ、負けず劣らず曳き合っている。雄綱が勝つと、秋田の稔りが良くなく、雌綱が勝つ時は秋の千町田に八束穂(やつがお)が打ち寄せて民草が栄えると言う」


昭和28年に神宮寺の大綱引きは途絶することになるが、神宮寺の人たちが寒空の下、心から行事を楽しんでいるのが菅江真澄の文章から伝わってくるようだ。
おそらく刈和野の大綱引きも500年の長きにわたり、地元の人々によって支えられ、地元の人々に活気を与えてきた唯一無二の存在なのだろう。
県外で暮らす上町・下町出身者は盆・正月に帰省することはなくても、この行事の行われる2月10日には必ず帰ってくるという。
小学生の子供にしても、普段は大の仲良しの友人が敵方の町内の場合には2月10日が近づくにつれ、徐々に友人と距離を置き始めて、行事の直前ぐらいには敵としか思わなくなるという(← 以前どこかのサイトで読んだ情報ですけど)。
刈和野で育った人にとっては魂を捧げると言っても過言でないぐらいの、人生の大きな部分を占めるのがこの行事なのだ。

綱の出し合いが進むと同時に会場に続々と人が集まりだす。
上町は黄色、下町は赤がチームカラーとなっていて、自町の色の鉢巻きが誰彼となく渡される。
両町とも一人でも多くの助っ人を得ようを結構必死。一昨年は上町の圧勝で幕を閉じたが、敗れた下町の建元の方から伺ったところによると、雨天が災いして引き手が思ったように集まらなかったらしい。
このように勢力不均衡が生じるとあっという間に勝負が決してしまう訳で、そればかりは両町とも回避したいはず。ただ、小綱(大綱につけられる引き用の綱)に付く人数 = 無限大、という訳でもなく、多くても両町合わせて8,000人弱ぐらいの人数に調整されるようだ(引き手過多の状態になると、大綱が「ブチッ!!」と切れてしまうリスクが高まるそうです)。

ドップ付近へと移動する。

綱合わせが始まったようが、人だかりがスゴくて何が行われているのかよく見えない。
例年であれば、押し合いの場面からドップ近くに陣取るのでドップ周辺の動きが良く見えるが、今年はそうはいかない状況だ。
「刈和野の大綱引き」には「この綱合わせは、大綱引き行事の中でももっとも劇的な場面であるので、大勢の人々が綱合わせの場面を見ようとしてドップの周辺に集まってくる。しかし、危険であるため、けっして側に近寄ってはならないことになっているのである。挿入した綱は「蛇口結び」という結び方で雌綱に結ぶ。サバグチの所に上がっている1人の建元の指図により、まず挿入した雄綱を雌綱の側(北側)におろして輪を作り、ケンを雌綱の下をくぐらせて反対側(南側)に持っていって高く立て、今度は雌綱の上を越して先に作った輪の中に入れる。こうして輪を持ち上げながらケンを引き押しするのであるが、これを数回繰り返しているうちに、結び合いがちょうど合う状態になっていく」と書かれている。
要は雄綱と雌綱が結ばれて、引き合いの準備万端の状態へと移り替わっていくわけだ。

大綱に巻き付けていた小綱が解放される。このあたりから会場に緊張感が漂い始める。

管理人はこれまで、引き合いの開始時はドップ周辺に位置を取りながら、勝負がつきそうな頃合いを見計らって優勢の町内の方へ移動するスタイルで鑑賞していたが、その鑑賞スタイルに飽きてきたというのと、勝ち馬に乗る的なこすっからさを我ながら感じるところがあったので、今年は一方の町内に張り付くことに決めていた。
ということで、昨年の雪辱を期して燃えに燃えているに違いない、上町側に陣取ることにしました。上町、頑張っていこー!下町も頑張ろー!😄

今や遅しと引き合い開始を待つ上町側の皆さん


これも毎年書いている情報だが、綱合わせの場面では大きな声を上げること、サントウ(提灯)を高く上げることは厳禁とされている。
それにより、引き合いが始まったと誤認した引き手たちが一斉に引き始めたら、ドップ周辺で綱合わせを仕切っている建元はじめ、多くの引き手が転倒して怪我を負う可能性があるからだ。
ということで、引き合い開始の直前は場内が信じられないぐらいにシーンとするし、仮にぺちゃくちゃお喋りに興じる引き手がいたとしても、別の引き手の方から「シーッ」とお喋りを止めるよう促される。
会場全体に緊張感が沸々と湧き上がる。

そして‥引き合いが始まりました❗❗w(( ̄ ̄0 ̄ ̄))w


「ジョヤーサノウ!!」の掛け声、打ち振られるサントウ、大きく前後に動く大綱‥、引き合い開始と同時に直前の静けさが打ち破られ、会場が一気に沸き立つ。
小さなお子さんから結構年配の方に至るまで、まさに老若男女問わず、声を張り上げて精いっぱいの力で綱を引く。
地元の方もいれば、県内外からの観光客や、最近特に目立つようになった外国からの方々など、いろんな所から刈和野に参集した人たちが、この瞬間だけは心を一つにして一心不乱に勝利を目指す。
毎年この場面を見ているが、見るたびに心が揺さぶられる本当に素晴らしい光景だ。

ジョヤーサノウ!!頑張れ~😄


以前の記事にも書いたが、管理人自身は上町・下町のいずれかにも肩入れすることなく、「赤勝て白勝て」の気持ちで毎年鑑賞しているが、今年はずっと上町のほうばかりをウロウロしていて、結局下町側に入ることは全くなかった。
となると、自然と「上町頑張れ」の気持ちが湧いてくるし、現に上町が勝たないことには勝利に沸き立つ瞬間を見ることはできない。
ということで、今年ばかりは上町を応援することに決めました!頑張れー!上町、負けるなよー!!(来年は下町を応援したいと思います。なお、上町を応援するといっても、上町にとって有益なことは何一つしてません、ゴメンなさい!)

戦況は上町が攻勢❗オオオオッ!!(ノ゚д゚)ノ


一気に持っていくほどの勢いはないものの、着実に上町が綱を引き込んでいる。
上町側にいるので下町の様子を知るべくもないが、おそらく綱を引くのを止めて腰を落とす防御戦法(耐える、みたいな意味の「堪えれー【こでえれー】」と呼ばれる)を適時繰り出し、反攻の機会をうかがっていることだろう。
このあたりの駆け引きも結構重要で、ただの綱の引っ張り合いではない、競技としての奥深さも兼ね備えた行事なのだ。
「刈和野の大綱引き」では「綱の引き合いは『ジョウヤサノーで引く』のと『こでえる』のと『ジョヤサー、ジョヤサーの連続で一気に引く』の3つが組み合わさって行われる。したがって、この3つをどう組み合わせて引くかが両町にとっての勝つための作戦でもあり、かけひきでもある。サントウ振りは、こうした引き合いのすべてにかかわっているので、非常に重要な役割を担っているのである」と解説されている。

完全に上町が優位に立っている。このまま勝負が決まってしまうかのようです、どうした、下町!?(-Ⅱ-;)


そろそろ下町の反攻がくるかと思って見ていたが、その様子はない。
このまま上町が勝ちを得ることになるのか?大逆転があるのか?管理人的にはこれからの展開が気になるものの、目に見えて上町の攻勢が激しくなっていく。
綱引きと言えば「全日本綱引き選手権」みたいなかんじの、力vs力の真っ向勝負を想像される方は多いと思うが、この綱引きはちょっと違う。
「ジョヤー」で力を緩めて、「サノウ!」でグッと引く。それの繰り返しとなる。また、「刈和野の大綱引き」に「引き合いの時、二日町、五日町の両方が同時に『ジョヤサノー』で引くことはない。これは相引きといって、綱が切れる原因ともなり、もっとも嫌われているものであり、必ず両町が交互に『ジョウヤサノー』の掛声で引くのである」と記されているとおり、こちらが「ジョヤー」と力を緩めているときは、必然的に敵方が「サノウ!」と引いているときなので、要は引っ張って、引っ張られを繰り返しながら、徐々に自陣に引き込んでいく綱引きなのだ。
そして上町はと言えば、「ジョヤー」のときにはほとんど前に動くことなく、「サノウ!」でグイッとかなりの長さを引き込んでいる。これは一気に勝負がつきそうだ。強い!強すぎるぞ上町!!

勝負が終盤に近付いたようだ。


押しまくる上町❗❗いや、綱引きだから「引きまくる」か?なんてことはどうでもいいとして、そろそろ勝負が決しようとするこの時に、上町の建元から「声出せー!!」「まだまだあっ!!」といっそう盛んに声が上がる。
昨年はかなり優勢に引き合いを進めていた上町が、一瞬「勝ったのか?まだか?」みたいな空気になると同時に掛け声が止まり、そこから形勢逆転してどんでん返しを食らってしまった。
いわば一瞬の油断が生じたところを下町に一気に持っていかれた、悔やんでも悔やみきれない負け試合だったわけだ。
建元が必死に声を上げて隙が生じないようにしているのは、間違いなく昨年の反省から来るものであり、雪辱に燃える心情が手に取るように伝わってくる。
管理人はかなり以前は引き合いに参加していたが、その経験から言うと、建元の掛け声は本当に重要だと思う。
3,000人以上のパワーをより効果的に綱に伝えるには、建元の掛け声に息を合わせて引くことが必要だし、何より皆を鼓舞する大切な役割を担っている。言ってみれば建元の号令一つ一つが勝ち負けに直結するぐらい、重たいものなのだ。
また、管理人的には、戦局を適切に読んで、状況に相応しい掛け声を発せられるかも重要な要素だと思う。
下町についた年、ほとんど勝ったにもかかわらず、上町にひっくり返されて逆転負けを食らったことがある。建元から「もう少しだ!」と盛んに声が上がり、勝ちはほぼ間違いなしと確信していたものの、「もう少しって言ってるけど、いつまで引っ張ってなきゃいかんの???」と攻め疲れの状態に陥ってしまい(おそらく管理人だけでなく、周囲の引き手も同じ心境だったように感じました)、結局逆転を許してしまった。
なので、単純に声を上げれば良いというものでもなく、掛け声のタイミングと、何を伝えるのかという点は本当に大事だと思う。大切なことなので、もう一回言います、掛け声大事!!!😅

そしてついに上町がジョヤサをかける❗オオーw(*゚o゚*)w


約20分にわたる戦いは上町に軍配が上がった。おめでとー、上町の皆さん\(^▽^)/
ぶっちぎりの勝利とはならなかったものの、終わってみればワンサイドゲームと呼んでよいほどの完勝だった。
「ジョヤサをかける」とは、それまで拮抗していた引き合いを終わらせる意味で「ジョヤーサノウ」の掛声を「ジョヤサ!」の連呼に切り替えることを言う。
という訳で、ジョヤサをかけるのは将棋の「王手!」というか、勝利宣言みたいなものであり、管理人が「例年は勝ちそうな町内のほうに移動して鑑賞している」と先に書いたが、要はジョヤサをかけるシーンを見たいのだ。
それまでの苦しい引き合いを経て、勝利を確信した瞬間に最前列の建元が「ジョヤサ!」を連呼し始めて、それがやがて町内全体へ伝わって「ジョヤサ!」の大合唱となる。そして何よりも引き手たちの表情。どの顔も喜びに満ちていて、誇らしげだ。
静から動へと一気に切り替わる引き合い開始の瞬間も素晴らしいが、管理人が毎年感動のあまり涙を堪えながら鑑賞するのが「ジョヤサをかける」シーン。なのだが、今年は上町がジョヤサをかけ始めてから、すぐに終了となってしまったため、あまり余韻に浸ることができなかった。
ただ、このことは裏を返せば「上町が100%の勝利を確信するまで『ジョヤサをかける』をしなかった」ことになると思う。
昨年はいったんジョヤサをかけた後に下町に大逆転されたこともあって、今年はタイミングを慎重に見計らっていたに違いない。管理人的には勝利の行進然とした、ジョヤサをかけるシーンをもっと見たかったが、上町にとってはまさに盤石の試合運びだったのではないだろうか。

勝利の雄叫びがあちこちで沸き起こる。バンザーイ!🙌🙌🙌


上町にとってはまさしくカタルシスの瞬間。
少しの間、人々の歓声や再三に渡る万歳で場内は興奮に包まれる。
この後は観客は会場を後にして、上町・下町関係者は綱のほごし方(綱の結び目を大槌やテコを使って解く)へ移行するが、以前は引き合い終了直後にも押し合いが行われていたようだ。
「刈和野の大綱引き」には、引き合いに負けた側が「負けた悔しさをせめて押し合いで勝とうというのであろうか、ここで大いに気勢をあげるのである」と書かれていて、収まらない興奮の受け皿的な意味合いで押し合いが行われていたことが分かる。
負けた側としてはこの悔しさを来年まで取っておこう、という気持ちは当然あるだろうが、この綱引きは浮島神社への奉納行事でもある訳で、そのために心を浄化しておく必要があるだろうことを思えば、引き合い後の押し合いというのもそれなりに意義のある所作だったように思う。

歓声が収まると同時に、観客が会場をあとにする。


先ほどまでの激戦の渦中にあった大綱が置かれている。
引き合い前にもたくさんの大綱の写真を撮ったが、心なしか引き合い前と後では大綱がちょっと違ったように見えるのは気のせいだろうか。
こののち、大綱は浮島神社への奉納され、神社境内の東側の斜面に安置されることとなるが、浮島神社は小高い丘の上にあるため、綱を引きずって参道を上るのは非常に難儀らしく(今は重機を併用して上に上げるらしいですが)、作業が終了するのは午前2時ぐらいと言われている。
そうして奉納された大綱は1年経つと綺麗に土に還り、その痕跡を残すことはないそうだ。

管理人も会場をあとにする。

会場までの道中にたくさん飾られているミニかまくら。引き合い終了後にはそのほとんどの蝋燭が消えてしまっているが、中にはあかあかと点いているものもある。
今年は少雪の影響で、真冬の行事感は大分薄らいでしまったものの、こうして例年と変わらない明かりを灯しているミニかまくらを見ていると、行事が無事に終わったことをあらためて実感できた。

昨年の借りを返すべく、終始ハードに攻め続けた上町の完勝に終わった今年の大綱引き
来年は下町も黙っていないだろうし、上町は2連覇を目指して返り討ちを目論んでいることだろう。
ただ、やはり気になるのが新型コロナウィルス。2020年夏の時点においても感染者は全国的に増加する一方であり、実際(8月開催の)多くの伝統行事がその影響を受ける形となってしまっている。
この行事が、前年秋に大綱用の藁を確保するところから始まることを考えれば、結構早い段階で開催有無を決定する必要があるようにも思うし、全国から観光客が集まる点、多くの人が密集して引き合いをする点を踏まえると、コロナがはっきりと収束しないかぎり開催の見込みはないように思えてしまう。
ということで、この記事を書いている時点で2021年の状況は不明瞭そのものだが、刈和野の人たちの大綱引きに対する愛情や熱量は微塵も変わらないだろうし、来年になるか再来年になるかは分からないものの、降り注ぐ雪のなか「ジョヤーサノウ!」の大合唱を再び聞ける日を心待ちにしたい。


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