川尻の鹿島祭り

2017年6月18日
6月に入り、さすがに暑い日が多くなってきた。
真夏日(30℃)に達することはないものの、夏日(25℃)を超える日が徐々に増える。
その季節の変化に合わせて、あたかも衣替えをするかのごとく、初夏のこの時期特有の行事が県内のあちこちで行われている。
今回紹介する「鹿島祭り」はまさしくそのような行事だ。

鹿島祭り
「鹿島大明神」として知られる、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮の祭神「武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)」を祀る鹿島信仰に由来している。
鹿島大明神は武神、航海神、地震除けの神として信仰されてきたが、鹿島神宮のある鹿嶋市付近がかつて日本の東端とされていたことから、主に東日本を中心に鹿島信仰が流布され、厄災を鹿島信仰によって払いのけるといった思想をもとに、東日本各地で鹿島祭り行事が生まれたらしい。
なので、鹿島神社はないが、鹿島祭りは行われているという地域もあり、いにしえから目立たないながらも脈々と受け継がれた行事であるということが言えよう。
因みに秋田県以外には青森県、茨城県、千葉県などにも同じような行事があるらしい。
「鹿嶋祭り」と表記されることもあるようだが、漢字が異なるだけで違いはないようだ。

肝心の祭りの中身だが、秋田県における鹿島祭りは以下の2つに大別される。
1.大型の鹿島人形を集落、村の境に祀る。
2.鹿島人形を小型の舟に乗せて川や海に流す。
1は集落を外部の厄災から守る人形道祖神として鹿島様を祀る、ということになり、秋田県内では湯沢市岩崎の鹿嶋祭りが有名だ。
おそらく「ショウキ様」、「ニンギョ様」を祀るのと形態としては同じだが、鹿島信仰が結びついているのが特徴ということになろう。
そして、今回紹介する秋田市川尻の鹿島祭りは2に該当する。
秋田市内ではほかにも「新屋の鹿島祭り」、「楢山の鹿島祭り」などが行われているし、県北では八峰町、県南では大仙市、横手市あたりでも行われている。
舟を川に流すことから2のほうは「鹿島流し」とも呼ばれるが、海岸沿い、雄物川流域などことごとく水利のある地域で行われるのが特徴であり、厄災を鹿島様に託して海や川に送り出す、という趣旨のようだ。

川尻の鹿島祭りは6月第三日曜日の開催となる。
9時に祭りが始まるという情報以外にタイムテーブルに関する情報がなかったが、幸いにも会場となる川尻地区は管理人の自宅から徒歩10分ほどなので、あまり念入りな下調べをせずともふら~っと出かけて観覧することができそうだ。
そして当日、6月18日を迎える。
9時頃に自宅を徒歩で出発、ほどなくして川尻地区に入る。
街歩きのごとくぶらぶらと歩いていると、おっありました。鹿島舟です。


思っていた以上にデカい。
事前に秋田県立図書館で「秋田の鹿嶋祭り調査報告書」なる報告書を借りて、いろいろ調べてみた。
それによると「鹿島舟」と呼ばれる船が台座の上に乗せられ、さらに台座ごと移動するために足元に台車を履いているのが基本的な構造らしい。
ということで、川に流されるのは上に乗っている鹿島舟だけで、決して台座・台車ごとザブーンといく訳ではない。

これが鹿島舟
鹿島人形(弁慶が錨を両手で上げている)を舳先へ配し、おびただしい数の小旗が飾られるのが特徴だ。

こちらが船の後方部分
見返し人形として案山子(かかし)人形が飾られている。
また、青、緑、赤、白、黄の5色の色紙を繋いだ帆が立てられているのが分かる。

この行事は川尻町内の3つの町内「毘沙門町」、「肝煎町」、「西表町」で行われる。
写真は毘沙門町の鹿島舟だ。
かつては3町内に加えて、新川町、東表町の計5町で行われていたが、昭和30年に政府が提唱した新生活運動(文化的、合理的生活を実現するため、古い因習の簡素化や廃止を謳った)に巻き込まれる形で行事は中止となる。
その後毘沙門町、肝煎町、西表町では行事が復活したが、新川町、東表町では復活していない。

毘沙門町の宿となっている珍寳神社

「秋田の鹿嶋祭り調査報告書」によると、かつての鹿島祭りは子供たちの武者行列を先頭に、鹿島舟、曳き山車と続く豪華な行列が見られたそうだ。
また、参加者層も青年男性を中心に、ときには女性まで加わっての大行列だったらしい。
「秋田の鹿嶋祭り調査報告書」には大正11~12年ほどの新川町の祭りの写真が掲載されているが、たしかに土崎みなと祭りの曳き山かと見まごうほどぐらいの豪華絢爛さが分かる。
現在は祭りの主体は成人から子供に移っており、基本的には子供たちが人形の制作や運行に至るまで祭りの顔として大活躍している。

町内会の掲示板を見ると、祭りのスケジュール表が張られている。
見ると9時~神事、10~悪魔祓い出発、11時~舟の出発、という具合に細かく書かれているのだが、気になる一文があった。
「水道局付近で古来の風習に従い、舟を川に流したことに見立てて終了」
えっ?「流したことに見立てて‥」とは?川に舟を流すのではないですか?
地域の方にその点を伺ったところ、今は川に流すのを止めているらしい。
しかも、川流しを止めるように指示したのは海上保安庁とのこと
このあたりの河川は海まで距離がなく、舟がそのままの形を保ったまま海に流れ出る可能性が高い。
おそらく海上環境への影響を考慮して‥ということなのだろう。
某国を脱出した小舟が漂流しているのと間違えるから、といった理由ではないと思う。

そうこうしているとすぐ近くからお囃子の音が聞こえてきた。
どうやらお隣西表町の鹿島舟が出立したらしい。
これは見に行かねば!と小走りで移動

さすがに大通りである川尻総社通りは車通りが多く、運行に気を遣う。
それでも、威勢の良いお囃子と存在感あふれる鹿島舟はかなり目立っており、運転中にもかかわらず少し見入るドライバーがいたり、助手席の人がスマホで撮影したりしている。
「秋田の鹿嶋祭り調査報告書」によると、西表町においては以前作られていた山車に、人形ではなく、生身の人間に源義経や木村重成(大阪夏の陣で活躍した武将)の変装をさせて乗せていたという。
人形かと思ってたら、本物の人だったのか!!のインパクトはさぞかし凄いだろう。
ただ、それも昔の話であり今となっては往時を偲ぶだけである。

川尻総社神社前で休憩を取る。
皆に冷たい飲み物が配られる。暑い中ご苦労様です。


ここ川尻総社神社はかなり歴史のある神社で、川尻地区の人たちの心の拠り所というか、シンボルのような場所でもある。
管理人的には、先日西馬音内盆踊りを鑑賞した神社である。

休憩を終えた西表町の鹿島舟が出発
以前は「ジョヤサ!」の掛け声とともに巡回していたらしいが、今は掛け声を上げていない。
因みに毘沙門町は「ワッショイ!」、肝煎町は「ジョヤサ!」の掛け声とともに今も回っているらしい。

西表町は毘沙門町、肝煎町に比べて小さい子が多い印象だ。
この小さな子たちがもう少し大きくなって、先輩として年下の子たちに鹿島祭りの流儀を教えてあげる日も遠くないはずだ。

「秋田の鹿嶋祭り調査報告書」には、新生活運動の勃興により祭りが中止になるまで、祭りが年を追うごとに華美になり、それにかかる費用や人々の労力がかなりのものだったことが書かれている。
客人をもてなすと言っては夜を徹して飲み明かしたり、町内で競い合うかのように櫓を作って演芸や楽団の演奏などに興じたりなど、祭りの時は無礼講とばかりにかなり享楽的とも言える盛り上がりを見せたようだ。
この先、そのような光景が復活するとは思えないが、そういった歴史を背負ってきた鹿島祭りが今もなお続いている、ということが重要なのだと思う。

西表町の行列を見送ったのち、毘沙門町に戻ってみる。
こちらではちょうど「鬼」が町内の家々を巡回している最中だった。


鬼は鹿島舟に先立って家々を回り、悪魔祓いを行う。
「秋田の鹿嶋祭り調査報告書」によると、毘沙門町の鬼が手にしているのは御幣と錫杖(しゃくじょう)で、錫杖は鉄製の本物らしい。
また、細く長い麻を長髪に見立てて被るのが特徴でもあり、そのせいかこのあとに登場する肝煎町の鬼に比べてナマハゲを強く連想させる。
西表町の悪魔祓いは見れなかったが、同町では鬼ではなく鍾馗(しょうき)の面をつけて巡回しているそうだ。

鬼役を務めるのは年長の少年だし、鬼に先立って家々に来訪を告げるのも子供たちの仕事だ。

悪魔祓いが結構な時間を要しそうだったので、肝煎町へ移動する。
こちらはすでに鹿島舟が運行を開始していたようだ。
一旦休憩中

肝煎町においても鬼が家々を巡回している最中だったが、この祭りには鹿島舟が鬼の前を進行してはいけないという決まりがあるらしい。
なので鬼が家々をあらかた回り終わったあとに鹿島舟が進むのが決まりだが、どうやら肝煎町では鬼の訪問に時間がかかっているようだ。
毘沙門町の年配の男性から、毘沙門町は家々が通り沿いに集中しているが、肝煎町は大通りから枝分かれする道沿いに家があるので巡回に時間がかかる、ということを教えてもらった。
鹿島舟は「鬼待ち」の状態になっており、再度出発するまでに時間がかかるようだ。

「秋田の鹿嶋祭り調査報告書」には、昭和30年に行事が中止になった3年後に、子供たちの思い出に、と肝煎町で小型の鹿島舟を作ってリヤカーに乗せて運行したことが行事復活のきっかけとなった旨の記述がある。
行事復活の立役者ともいうべき肝煎町の人たちには人一倍思い入れの強い行事であろう。

鬼も頑張って家々を回っているが、毘沙門町の男性に教えていただいたように家があちこちの通りの奥まった場所にあったりするため、巡回にかなり時間がかかっている。
大人たちに「早く回って!」「次はこっち(の家)だ!」などと急かされて、鬼がてんてこ舞いになっている。
鬼が焦っているのを見る機会はなかなかないと思う。

因みに肝煎町の場合、船を川に流さないのは同じだが、人形や旗だけを段ボールに入れて川に流すそうだ。
以前鹿島舟を流していた頃は、人形に水をかけたり、鬼が泳いで舟の後をしばらく追いかけたり、と結構楽しい雰囲気で流していたらしい。
一度そんな場面を見てみたいなあ‥

毘沙門町の運行開始時間11時が迫ってきた。
肝煎町のほうも気になったが、最初にいろいろ見させていただいた毘沙門町に再々度向かってみる。
運行準備はすっかり整ったようだ。

そして出発!

6月の青空の下、太鼓の音が高らかに響く。
ここ川尻町は秋田市内でも中心地に近く、あまり田舎の風情を感じる地域ではない。
が、とても素朴でいにしえの香りを伝えるお囃子の音を聞くと、なぜか懐かしい田園風景が思い起こされる。

川尻総社通りに出る。

すると前方に先ほどの肝煎町の鹿島舟が!おお、ニアミス!
と思ったが、それほど「ニア」でもないし、どっちみち1時半には3町内の舟が集合するらしいのでそれほど興奮するシチュエーションでもなかった。

毘沙門町内の境まで運行した後Uターン


子供たちと大人たち、年配の方が力を合わせて鹿島舟を曳く。
祭りに関わった人たちにとって、好天に恵まれた思い出深い一日になったと思う。

しばらくのあいだ運行が続くはずだが、この後用事があったのでここまでの観覧とした。
3町内がそれぞれのルートを巡回し、ときには休憩を入れながら、ときには合流して最終的に実際には流さないものの鹿島流しを終えて行事は終了となる。
3町の鹿島舟が、かつての盛り上がりを甦らせるかのごとく大通りを闊歩する姿は何だか清々しかった。

ということで管理人の自宅から非常に近い場所にもかかわらず、これまで観覧したことがなかった川尻の鹿島行事を短い時間ではあったが楽しませてもらった。
かつての豪華さや力の入り具合はないが、それゆえか好ましさというか朗らかさを感じさせる祭りだった。
「以前は盛り上がった祭りだった」みたいな書き方をすると、翻って現在は盛り上がらない地味な祭りなのか?ということになってしまうが、この祭りにおいては一時の加熱ぶりが尋常でなかったのであって、今は身の丈にあった規模になったと解釈してよいだろう。
また、賑やかさが失せたとしても、それにより祭り本来の風情が顔を出すこともある訳で、決してダウンサイジングが良くないこととは言い切れないと思う。
そんなことを考えさせられる、素朴でほのぼのとした祭りに出会えたことに感謝したい。


“川尻の鹿島祭り” への2件の返信

    1. 隣人1号さん
      いつもありがとうございます!
      この場合の悪魔祓いというのは「邪気払い」とか「厄除け」という意味があるようですね。
      で、まさに鬼の魔力を用いてそれらを制するというのが方法らしいので、毒をもって毒を制す‥ということになるのでしょうね。
      「敵の敵は味方」という考え方にも近い?面白いものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です