2018年8月17日
先の記事「猿倉人形芝居」の鑑賞を終えて、その流れで向かったのが今回の「西馬音内の盆踊り」
秋田県を代表する伝統行事のひとつであるとともに、近年は全国からの観光客や踊り手を集める大イベントとしてお馴染みだ。
8/16~18の3日間に渡って開催され、管理人はここ数年必ず1日だけ時間を作り訪れていて、一昨年、昨年の様子はこのブログでも紹介したとおりだ。
日本三大盆踊りのひとつでもあるこの行事の素晴らしさについては、今更管理人が説明する必要もないと思う。
深くかぶった編笠と美しい端縫い姿の女性たち、顔をすっぽりと隠す彦三頭巾を被った異様な風体の踊り手、優雅かつ繊細であるとともに誰もが気軽に踊れるわけではない難解な振り付け、野卑でありながら時にノスタルジックさを滲ませる唄とお囃子、そして妖しく揺れるかがり火‥
何から何まで素晴らしく、ちょっとした奇跡を見るようだ。見たことありません、という方には是非一度見て欲しいと本当に思うワケです。
当日
猿倉人形芝居の終演が11時半、西馬音内盆踊りが始まるのは19時半。これほどの長い時間を潰すのはなかなか大変だったが、湯沢市内をブラブラと彷徨って夕方になるのを待った。
時刻は17時。何とか時間をやり過ごして羽後町へ戻り、町役場駐車場に車を置いて盆踊り会場となる本町通りへ向かう。
天候は晴れ。まずはよかったよかった。
初日となった昨日は雨混じりの天気のため、羽後町体育館に会場を移しての開催となったのだが、昨年の記事にも書いたように体育館での踊りは味気ないことこの上なく、それだけは勘弁して欲しいというのがあった。
実は前日は大仙市大曲の角間川盆踊りの鑑賞を予定していたのだが、雨天のため中止となってしまった。
西馬音内は雨による中止こそないものの、管理人にとっては先に書いたような理由で全くもって歓迎できるものではない。
因みに前日はNHK-BSで「大中継!にっぽんのお盆」なるタイトルの番組が放送され、そのなかで西馬音内盆踊りも取り上げられたのだが、あいにく体育館からの中継となってしまい、全国に盆踊りの本当の姿を発信することができなかった。
羽後町役場から本町通りまでは歩いて10分ほど。店先に端縫い姿の女性が立っています、ではなくてこれはマネキンです。
西馬音内川にかかる二万石橋欄干の盆踊り像。名物です。
本町通りに到着。観客はまばらだが、通りじゅうにこれから始まる盆踊りへの期待感・高揚感が満ちているような気がする。
ところで以前当ブログへコメントをいただき、昨年お会いしたtnweugo1612さんと今年も会う約束をしていたのだが、電話で話したところ会場への到着が遅くなっているらしい。
というのも、昨日体育館での踊りに参加した際に館内のあまりの暑さにやられ熱中症のような症状を発症してしまい、今日は安静にしていたのだそうだ。
うわあ、マジですか(´;ω;`)体育館開催の影響を思わぬ形で受けてしまったワケだ。
今日は何とか参加できそうとのこと。無理せず楽しんでくださいね!
本町通り沿いにある西馬音内盆踊り会館で過去の盆踊り映像を見たり、スーパーバザール西馬音内店でお菓子などを買って食べているうちにあたりは暗くなってきた。
めっちゃいい感じに日が暮れてまいりました!これだけでテンション⤴️⤴️
時刻は7時15分。盆踊りの始まりを告げる「寄せ太鼓」が鳴り響く。
かがり火が灯される。
火の周りには結構な数の観客がいて、皆カメラやスマホで撮影に勤しんでいる。
特に尋ねた訳でもないが、秋田県外からの観光客がほとんどのようだ。
その話し言葉から関西方面からのお客さんが特に多いような気がするが、どうなのだろう。
おそらくは、先祖の霊魂を呼ぶために点けるかがり火の意味を皆さん知っていて、西馬音内盆踊りの象徴として捉えてくれているのだと思う。オリンピックの聖火のような存在ということか。
かがり火が灯るとともに、観客がどんどん集まってくる。もう踊りが始まる寸前です。
今年は盆踊り会館前から鑑賞を開始することにした。
踊りが始まった当初は子供たちが大勢を占めていたのが、徐々に大人たち、そしてさらに時間が経つにつれて踊りの上級者たちが集まってくるはずだ。
今は盆踊り会館前には地元の子供たちが集まっていざ出陣!とばかりスタンバイしている時間であり、父兄の皆さんがサポートに忙しくしている。
そして19時半、踊りの開始です。ヒューヒュー♪~
今のところ客席は結構ガラガラだが、これから徐々に埋まってくるはずだ。
この盆踊りは3日間で10万人以上の観客を集めると言われている。
2年前に羽後町観光協会の方からお聞きしたのが、少し前までは観客数が年々増加の一途をたどったのが、数年前(2013~14年ぐらいと何となく推測)を境に数が減ってきているとの情報だった。
おそらくは一時の過熱ぶりが治まって安定した人気が保てるようになったということだろう。
因みに現地西馬音内では、久米宏がキャスターを務めたニュースステーションで、1999年に盆踊りの生中継が行われたのをきっかけに観客数が爆発的に増えた、と云われている。
音頭の美しい手さばき
踊りは「音頭」と「がんけ」の2種類があり、お囃子方は笛、大太鼓、小太鼓、三味線、鼓、鉦で編成されている。
県立図書館で読んだ「国の重要無形民俗文化財 西馬音内盆踊の記録」には、昭和46年に民族芸術研究所の北浦史郎氏が「月刊わらび」に寄稿した文章が掲載されている。そちらから抜粋したい。
「西馬音内盆踊りの最大の魅力は、快活でにぎやかな囃子と流麗優雅な踊りとの不思議な調和にあります。『音頭』の語りにみられる開放的な楽天性も、囃子の小気味よい躍動感も、ともに極めて農民的な生活感情にあふれているのですが、踊りはかならずしも『農民的』とは思えません。そしてこの相矛盾する二要素が組み合わさって『不調和の調和』といわれる絶妙の美を作り出しているのです。なぜ秋田の農民がこのような芸術をもち得たのか、この美意識はどのようにして生まれてきたのか-」
現在、西馬音内盆踊りに寄せられる多くの賛辞はこの北浦氏の文章に集約されているとおりであり、この踊りを知らない人たちには、まずはこの点が全国に数多ある盆踊りと西馬音内が一線を画する部分であることを知ってほしいと思う。
バザール西馬音内店前に移動
こちらのほうは駐車場にブルーシートが広く敷かれていることもあり、観客でごった返している。
地口が早くも絶好調
♪豊年だ 万作だ これぁまた良い秋だ 面白まぎれに ひとつ踊たば アバ腹万作だ
♪おら家のお多福ぁ めったにない事 びんとて髪結った お寺さいぐどで そば屋さひかかって みんなに笑われた
郷土を褒め称える内容や、豊年満作を喜ぶ内容などに紛れてエロティックな内容の地口も披露される。
これらは元々は踊りを盛り上げるために即興で歌われたものだったが、昭和10年に懸賞募集が行われるに至り、今や盆踊りには欠かせない要素となっている。
多くの踊り手が繰り出して場内は盛り上がる一方だが、気温が低くかなり涼しい。というか寒いぐらい
かがり火の近くにいると、火の暖かさが有難かったりする。
日中はそれなりに暑かったのだが、日が落ちてからのこの寒さはなんなのだろうか。先の記事「秋田竿燈まつり」でも書いたように今年は7月に暑さのピークが来たようで、8月になると早くも秋の気配が漂うのだった。
ということで見ている方にはちょっと厳しいものはあったが、踊り手にとっては実に踊りやすかった(例年は汗だくになる踊り手もいるし)のではないだろうか。
時刻は20時半
先に書いたように、上級者はこの後三々五々集まってくるのが恒例だが、今日は心なしか上級者と思しき踊り手が揃うのが早い気がする。
昨日、体育館での開催となったことで参加を見送った踊り手も多かったようで、管理人が数年前からお世話になっている本町通り沿いのあるお宅の方は体育館前まで車で移動したものの、結局踊りを諦めて館内に入らずに帰ったそうだ。
やはり昨日踊れなかったフラストレーションを一気に今日発散しようということで、早い時間であるにもかかわらず多数の踊り手が集結しているのだろう。
伴奏は「とり音頭」
19時半~21時頃までは音頭が延々と踊られるが、お囃子について言えば音頭ととり音頭が頻繁に代る代る演奏されることになる。
振りに違いはないものの、お囃子については6小節を繰り返す音頭に対し、とり音頭は24小節となり、旋律がかなり複雑だ。
また、「国の重要無形民俗文化財 西馬音内盆踊の記録」によると、三味線については音頭・とり音頭ともに笛の奏でるメロディーに合わせるように自己流で弾くそうだが、とり音頭に関しては昔は決まった演奏があったそうで、第一人者である仙道地区・元西地区在住者から指導を受けた方曰く、「現在演奏されているものとはまるでちがった格調の高いもので、津軽三味線に似た演奏技法が用いられていた」そうだ。
よく知られていることだが、この盆踊りは昭和10年に日本青年館で行われた「第9回全国郷土舞踊民謡大会」への出演を機に、それまでの振りやお囃子を再編して現在見られるような踊りに仕立てられたものだ。
「秋田・芸能伝承昔語り」に、西馬音内盆踊りの超一流の踊り手であるとともに踊りの普及に尽力された大橋栄(おおはしさかえ)さんの談話が掲載されている。
大橋さんは昭和8~9年頃に踊りを覚えたそうで、「姿見を立てて酒樽をたたいて、そして近所の80過ぎた爺さまや婆さまを連れて来て、昔の踊りを踊ってもらって、そっからいいところ取って、そこさ自分が考えたのを入れて創りあげたのが、今の形だす。だから『音頭』でも『ガンケ』でも今のようになったのは、昭和10年の4月頃だったと思うんす」と、羽後町女子青年団の方々によって今の振りが形作られた頃を振り返っている。
この地に脈々と受け継がれた踊りに、女子青年団の皆さんの創意工夫が重ねられた産物こそが今私たちが見ている踊りなのだ。
長時間に渡って踊り続けられた音頭が一旦終わり、少しの休憩をおいた後に再開となる。
管理人もほっと一息とばかりに周辺をウロウロ
バザール駐車場で見つけた可愛い秋田犬。人懐っこく子供たちに撫でられて嬉しそうにしていたが、かがり火に照らされた姿は獲物を狙うオオカミのように見えなくもない。
これもかがり火の放つ妖気の為せるワザか。
時刻は21時になり、再び踊りが始まる。まずは「がんけ」
ここからは音頭とがんけが交互に踊られる。
賑やかなお囃子の中を優美に踊る対比が音頭の特徴だとすれば、ノスタルジックさの漂うメロディと流麗な振りががんけの特徴だ。
「不調和の調和」と云われる変態的な魅力を持つ音頭と異なり、がんけのほうは踊りとお囃子に統一感があるのでビギナーには受け入れやすいと思う。
事実、管理人も以前は音頭のある種ゴチャゴチャしたかんじが苦手で、がんけばかりを真剣に鑑賞していた時期もあった。
因みに実際に踊っている方の話を聞くと、音頭とがんけは全くの別の踊りだと思っている、とのことだった。
「がんけ」の名称の由来については、いろいろな説があるもののはっきりとしていない。
踊りの形が雁が飛ぶ陣形に似ているので「雁形」であるとか、仏教伝道の「勧化」であるとか、仏語の「願生、化生」であるとか様々な説がある。
先に書いたNHK-BS「大中継!にっぽんのお盆」に出演された秋田の民俗学研究の第一人者 齊藤壽胤先生は「願生、化生」説を真説とされているようで、番組の中で由来について丁寧に解説をされていた。
移動して別の場所で鑑賞
端縫い姿が美しい。
8月5日に本町通りで開かれた「藍と端縫いまつり」を訪れた。
各家庭で大切に保管されてきた藍染や端縫いが一斉に披露されたのだが、本町通りのご婦人たちから衣装にまつわる話を聞いたことで、そこに込められた思いの一端に触れることができた。
そして今日の盆踊り本番
母から娘、娘から孫へと代々受け継いできた衣装が今日もあちらこちらで着られていたはずだ。
「国の重要無形民俗文化財 西馬音内盆踊の記録」には、切れ布を継ぎ接ぎして制作される端縫いを着て踊ることについて「祖母か母の若き日の形見として残っていたものがあるとすれば、それを自分の肌につけて、ともに踊り、踊りながら追憶にふけるという夢もあったことでしょう」と記されている。
お盆のいっとき、現世に戻ってきた祖先の魂と一緒に踊る - いくら盆踊りの規模が大きくなろうとも、この本懐が変わることはないと思う。
時刻は22時
音頭とがんけが代わり代わり踊られるが、その合間にほんの短い休憩を取ることができる。
その時間を使って、一休み中のtnweugo1612さんにお会いした。ご無沙汰しております、1年ぶりです!体調も回復したようで何よりだ。
また、当ブログにたびたびコメントをくださり、盆踊り会場でお会いすることの多かったふじけんさんとも再会
ふじけんさんは東成瀬村の田子内盆踊り、湯沢市岩崎の岩崎盆踊りで踊られて今日はここ西馬音内に来られたとのこと
スゲー。そんな盆踊り秋田県民でも知らねー(°д°)西馬音内のあとは一日市、毛馬内と移動されるそうで、その行動力には驚かされるばかりだ。
そして、日本全国の盆踊りを渡り歩く盆オドラーとして知られる佐藤智彦さんにも引合せていただいた。
数日前にはTBS系の番組「マツコの知らない世界」で紹介されたほどに盆踊り界では知られた方であり、そのイカつい風貌(失礼!)とは裏腹に柔らかい物腰が印象的な方だった。
皆さん、本当に充実感溢れた表情をしていて、こちらもついつい嬉しくなってしまう。
毎年のことだが、このあたりでちょっとした鑑賞疲れが起こり、集中が効かなくなる。
ただ、それこそが幽玄への入口であり、この盆踊りの真価を味わえる時間帯だと個人的に感じている。
自身が踊っているわけではないものの、今目の前で展開されている盆踊り風景に自分が溶け込んでいるかのような感覚 - この盆踊りの真骨頂だ。
歌詞について言えば、音頭のほうは定番の歌詞以外は時流に即した内容のものが作られては消え、を繰り返してきたのに対し、がんけのほうはほぼ不変で継承されている。
世相や風俗をテーマとすることの多い音頭に比べて、がんけのほうは抽象的というか概念的というか、音頭ほど露骨な歌詞はないし、ましては起承転結が盛り込まれているわけでもない。
中には他地方の民謡・甚句から転用されたと思われる歌詞もあるが、がんけはそのメロディや演奏によって醸し出されるムードからイメージされる情景を描いたような作品が多いような気がする。
管理人が特に好きなのは ♪お盆恋しや かがり火恋し まして踊り子 なお恋し と ♪踊る姿にゃ 人目でほれた 彦三頭巾で 顔知らぬ の2点だ。
がんけから音頭、そして音頭からがんけへとめまぐるしく演奏が変わる。
がんけの叙情に浸っていると、一瞬にして地口バリバリの音頭へと演奏が切り替わる訳だが、この時間帯になると地口は下ネタのオンパレードとなり、詩情豊かながんけを彼方に追いやってしまうぐらいのエロくだらない唄の連続となる。
そのなかでよく歌われるのが ♪兄(あん)さん兄さん踊りこ見るたて そんなに立て見るな 立っていいのは電信柱と あんちゃの××ばかり
標準語に翻訳せずともその意は理解できると思う。
ただ、秋田県南人である管理人から言わせてもらうと××は「立つ」ものではなく「イガる」ものだと思っていて、実はこの点をずっと気にしている。まあ、どうでもいいんですけど県南の皆さん、正しいのはどっちなんですかね?
踊りは終盤に差し掛かっています。
「秋田・芸能伝承者昔語り」には大橋栄さんと、太鼓の名手だった山内伊太郎さんの対談が掲載されている。
山内さん「櫓の上で太鼓叩いている時でも、踊ってる人さ合わせて叩いてるわけだす。それが踊りを全然知らない人が大勢入ってくると、どこさ合わせていいものやら、わからなくなってしまうんす」
大橋さん「ここの盆踊りはなんす、お囃子の人と踊りの人の呼吸がぴったり合って、まるで糸でつながっているような気持ちで踊ってるから、本当に真剣なもんだすよ」
現在は振りを全く知らない人が飛び入りすることはほとんどないうえに、全国・秋田県じゅうから集結する踊り手の皆さんも十分に練習と研鑽を重ねられてくる訳なので、いわゆる「踊りが荒れる」ことは皆無だが、お囃子方と踊り手が気持ちを一つにして踊らなければいけないことには変わらないと思う。
そして、その気持ちというのはこの盆踊りをより美しく、より素晴らしいものにしたいという矜持ではないだろうか。
振り付けの難解さから敷居が高いと思われがちな西馬音内盆踊りだが、先祖を迎える心を持ち、盆踊りの歴史とあゆみを理解し、正しく踊りに向き合いさえすれば、誰にでも門戸は開かれていると思う。
最後の音頭
音頭からがんけに変わり、しばらくは普通のテンポでの演奏が続く。
その後テンポが急激に早まり、次はゆっくりとなる。そして再びアップテンポへと転調、この踊りの終わりが告げられようとしている。
時刻は23時
踊り手と観客が櫓の前に集まり、お囃子方の演奏する寄せ太鼓(切り)を以て、本日の踊りは終了
毎年のことだが、お囃子方の熱のこもった演奏に踊り手と観客が手拍子を合わせて盛り上がる場面は感動的だ。
盆踊りを締めるに相応しい大団円をお囃子方が演出、演奏を見守る人たちがお囃子方と心を通わせて盆踊りが無事に終わった喜び(と幾分かの寂しさ)を共有するセレモニーのような風景で、管理人も大好きなシーンだ。
今年もお馴染みのこの場面まで立ち会えた満足感とともに会場をあとにした。
例年と特に変わった部分もないが(否定的意味ではない)、変わってないがゆえにその素晴らしさをあらためて知ることができたと思う。
それにしても知れば知るほど惹きつけられる本当に不思議な盆踊りである。
それはやはり、この踊りの本質的な部分が、とうの昔に失われてしまったノスタルジックさを内包しているからではないだろうか。
表層的な特徴や特色についてはたくさんの人が知るところではあるが、個としてこの踊りと対峙したときには否が応でも己の内なる心象風景と向き合わされているような気がしている。
たくさんの踊り手や観光客を集める大規模な盆踊りである一方で、極私的な問いかけをぶつけてくる非常に近い存在でもあり、それはまるで踊りの輪のなかにもうひとりの自分を見出したかのごとく、なのだ。
来年もまたもうひとりの自分に会いに西馬音内に行くのだろう。
※地図は西馬音内盆踊り会館
akitafesさん
長らくご無沙汰してしまいました。
この日はこちらでお世話になった方が「踊りを見てみたい」という事で、普段は行かないバザール側で踊っていたところを撮られました。(笑)
今年も篝火の周りで亡き人を偲びながら、できれば“品よく”踊りたいです。
櫓前ではなく隅っこで・・・
ふじけんさん
ご無沙汰しております!
ですよね?あの着物の柄はふじけんさん?いやいやふじけんさん、バザール側には来ないし‥と軽く混乱していたのですが、判明してよかったです(笑)
早いもので今年ももうすぐ本番の時期ですね!
練習にもさぞかし熱が入っていることと思いますが、くれぐれも体調など崩されませんように!
隅っこと言わず会場の端から端まで踊り回ってくださいませ(笑)