大沢盆踊り

2019年8月17日
8月も中旬を過ぎていよいよ盆踊り行事真っ盛り
秋田県三大盆踊りも16日の西馬音内を皮切りに一日市~毛馬内と続くし、今年もあっちこっち行きまっせ~と一人盛り上がる管理人だったが、ちょっとスケジュールが狂ってきていた。
16日に鑑賞予定だった大曲の角間川盆踊りは雨天により中止、翌17日に予定していた大館市比内町の扇田盆踊りに至っては、今年は開催見送りとのこと。先に記事化した田子内盆踊り男鹿の盆踊りは初見ではないし、このあとは三大盆踊りを見に行くつもりだし、ちょっと新味に欠けてしまっている。

という訳で(っていう言い方は大変失礼なのは承知ですが‥)、急遽鑑賞スケジュールに組み入れたのが今回の大沢盆踊りだ。
国際教養大学が開設しているサイト「秋田民俗芸能アーカイブス」で8月17日に行われる盆踊りを検索したところ、見事にヒット!場所は横手市雄物川町 - そこであれば羽後町にも近いし、大沢盆踊り~西馬音内盆踊りへとハシゴも可能、ということでどんな盆踊りかほとんど知らないまま雄物川行き(と、その後の西馬音内行き)を決めたのだった。
なお、秋田県内では藤里町のほうにも「大沢地区盆踊り(通称:大沢盆踊り)」なる同名の行事があるそうだ。

当日夕方に自宅を出発。出羽グリーンロードをひたすら南下し、雄物川町へと入る。
「秋田民俗芸能アーカイブス」では「会場:大沢農村公園」となっていたので場所を調べたところ、簡単に特定はできた。
同サイトの情報はたいへん細やかなうえ、専門的な解説も付けられているので大変役立っているが、いかんせん調査時より7~8年経過しているので、現在は日程が変更になっていたり、行事が中断していたりする場合がある。
大沢農村公園に着くまで安心できんぞ、まあやってなかったら西馬音内に直行するだけなので心配ないか‥とかいろんなことを考えて会場へ到着してみると‥


人はまばらなものの前方に立派な櫓が組まれていて、これから盆踊りが行われるのは間違いない。ホッと一安心(^^♪)陽が沈む少し前の、青空がとっても綺麗で思わず気分が良くなってしまう。
まずは、秋田民俗芸能アーカイブスに記載されている行事の説明を引用したい。
天和年間(1681~1683年)の初めころ12ヶ村をもって大沢村がまとめられたとされ、村ができたころとほぼ同じ時代に盆踊りがなされたと伝えられている。松雲寺(しょううんじ)を現在地に移すと、送り盆の日(16日)に墓に設置したお棚を境内で燃やして、その火の回りを周りながら盆踊りをおこなったという。この後村の下、中、上と場所を変えて、三晩から四晩も踊るものであったとされる。また、ここの盆踊りが秋田音頭と類似する踊りであることから、江戸時代前期ころに佐竹城下(旧秋田市)で生まれたとする秋田音頭(御国音頭)が雄物川流域を遡上して伝わることにより、踊り方や地口にも工夫を加えて独自なものとして踊られたものという説もある。演目には大沢盆踊りと甚句がある。囃子は太鼓と笛のみとなっているが、地口の文句は相当数ある。

いいかんじに陽が暮れてきました。同時に人が集まり始めた。

時刻は19時を迎えて盆踊りがスタート!とはならず、まずはカラオケ大会。のど自慢の歌い手がステージ脇に集合

なかなか歌が始まらないと思っていたら、機材トラブルが発生したらしい。

結局機材トラブルが復旧しなかったので、カラオケは後回しにして盆踊りを始めることとなった。中央のバーベキューコンロの薪に火がつけられる。

寄せ太鼓が奏でられる。

踊りの輪ができる。そして「大沢盆踊り」が始まる。


フィールドいっぱいに輪が広がるので踊り手が結構スカスカだが、これぐらいスペースがあれば前後を気にすることなく、踊りに没頭できるだろう。
お揃いの水色の着物を召した年配の方々や、浴衣姿の若い女性が踊っている。
秋田民俗芸能アーカイブスでは「演目には大沢盆踊りと甚句がある」と説明されているが、今日は甚句は披露されなかった。
また、2012年に記録された国際教養大学の民俗芸能アーカイブスDVDを視聴したところ、大沢盆踊りについてはお囃子が♪ヤットセ~大沢音頭ですから始まっていたのに対し、今日の鑑賞では♪ヤットセ~秋田音頭ですに変わっていた。

ちょっと紛らわしい説明をするようで申し訳ないんですが、、、


DVDを見ると大沢盆踊りではなく甚句のほうの歌い出しが♪ヤットセ~秋田音頭ですとなっていた。
甚句は振りや地口は大沢盆踊りと同じだが、笛の奏でるメロディが大きく異なる。
なので、本来は大沢盆踊りと違う演目として成立している必要があるものの、今日踊られなかったことを踏まえるとすでに消滅している可能性がある。
そして消滅するにあたって歌い出し部分を大沢盆踊りに引き渡した、と推測するのだが、真相はどうなんだろう。
本当は現地で詳しい方にお聞きすればよいのだが、いかんせん準備・予備知識なしだったもので(;_;)



現在は「秋田音頭」「秋田はなまる音頭」「交通安全音頭」の3つが踊られている。
秋田音頭は前述のように大沢盆踊りの別称と捉えてよいと思う。他の2曲は音源を流す形で踊られるものとなる。
振りは一見シンプルだが何気に複雑そうなもので、県南地域でよく見られる、秋田音頭をベースとした踊りの系統と見てよいだろう。
県南の盆踊りは大きな動きをあまり見せず、肘から先の細かい動きが特徴だと思うのだが、地域性と振りとのあいだに何か関係とかあるんだろうか。

大沢盆踊りが終わり、保存会会長さんのご挨拶

秋田民俗芸能アーカイブスの行事紹介「天和年間(1681~1683年)の初めころ12ヶ村をもって大沢村がまとめられたとされ、村ができたころとほぼ同じ時代に盆踊りがなされたと伝えられている。」と同じ説明がされたのちに、「この盆踊りが始まったのが天和元年、そして今年は令和元年ということであらためて今年を原点の年としましょう!盆踊りを今以上に発展させなければ我らのご先祖も浮かばれません!」と熱い決意表明で挨拶が締めくくられたのだった。

続いて「秋田はなまる音頭」会長さんも一緒に踊ります。


名前から想像できるように「音頭」といっても別に古い曲ではなく、戦後に誕生した新しい盆踊りの流れを汲む踊りだ。
秋田音頭の笛・太鼓・地口によるお囃子から現代風の演奏に切り替わると、空気が変わって皆がリラックスする様子が伝わってくる。
盆踊りの余興としての踊りの位置づけになると思うが、会長さんによると大沢盆踊りはテンポが早く、手数も多いので結局どの踊りも難易度が高いらしい。
なお、この後「交通安全音頭」が踊られるはずだが、その前に羽後町への移動を開始したので結局鑑賞できなかった。

再び大沢盆踊り


このあたりになると、鑑賞に来ていた地元の人たちが少しずつ踊りの輪に加わり始めて、踊り手の数が増えてくる。
着物や浴衣姿の人もいれば、私服の人もいるし、秋田民俗芸能アーカイブスDVDには頬被りをした男性が一緒に踊る姿も映っていた。
この後鑑賞予定の西馬音内の盆踊りが、その統一感溢れる衣装である種の様式美を作り出している一方で、この雑多な感じこそが本来の盆踊りだったわけで、そこには地元愛と踊る喜びとが一体となった人々の思いが溢れているかのようだ。

踊りの輪が広がってきた。


秋田民俗芸能アーカイブスの説明文の通り、とにかく地口がバラエティに富んでいる。
中にはよく聞かれるものも混じっているが、オリジナリティ溢れる作品がたくさん歌われる。
♪おら家のジサマ 晩酌のおかずに塩っぺえもの 大好ぎだ
タラコに筋子 塩辛にたくあん これだばあの世行き
♪一郎に三郎 イチコにケイコ おめだぢ何だっけな
オレが難儀して 作った料理 たいして箸つけね
また、地名を変え、他地域でも唄われている地口も含まれていた。
♪おら家のオヤジど 隣のオヤジ 浅舞さ飲みに行った
酒の肴に ナス漬け出されて 塩っぺがったなあドヒャグ(※「仲間」「友達」とかの意味)
♪隣の婆サマ 今宿町さ ○○(聞き取りできず)ッコ買いに行った
買ってみだども あまり高ぎゃどって こごなえど取っきゃでけれ(※「ここの家のと取り替えてくれ」の意味)

浴衣姿の女性たちの優雅な振り


秋田民俗芸能アーカイブスDVDを見るとさらに多くの地口が歌われていた。
♪車の運転 上手なふりして 山道ブッ走り
急なカーブで ハンドル取られて 谷底まっしぐら
♪アホだアホだと ごしゃいでみでも 今更どうもならね
息子が起こした 車の事故見て 家じゅう真っ青だ
♪隣の爺サマ もの好きたげで 月賦でバイク買った
運転するすべ 全ぐ知らねで バッパ何とせばええ?
ここの盆踊りは先祖供養と交通安全啓蒙が目的なのか?というぐらいに車とかバイクとかが登場する作品が多く、これが大沢の地口の特徴だ(った?)と思う。
それにしても、悲惨な交通事故がテーマになっている作品でも、すっとぼけた地口に乗ると何故か妙な味が出てしまう。
地口については、枯れたかんじで飄々としながらも何だか艶っぽいその語り口、言ってみれば声の持つ雰囲気が生命線じゃないだろうか。
今の若い世代は秋田弁離れが顕著だと聞くが、地口を歌うという観点で言えば「秋田弁を喋れるか?」ということ以上に「この声色を出せるか?」のほうが重要な気がする。

お囃子方も盛り上がっている。

急激な音程の上がり下がりを聞かせる笛の出だしや、掛け声がよく聞かれる♪あーそれそれや、♪あーそりゃそりゃではなく♪まずまずとなっているところなど、多彩な地口以外にも特徴が満載だ。
また、子供たちを中心に編成される太鼓方は、ひと叩きひと叩きに力を込めて精一杯の演奏をしているのが伝わってきた。みんな、頑張れ!

野卑な地口と対象をなす綺麗な所作


「県南の盆踊り」と管理人もついひと言で言ってしまっているが、県南といっても大仙市、横手市、湯沢市では地域性が微妙に異なるし、必然的に盆踊りも異なってくるのが普通だと思う。
ここ大沢は以前は明治村という村名で、雄勝郡の一部(現在の雄勝郡は羽後町と東成瀬村で構成されている)だったそうで、地域的文化的に羽後町に近い可能性もあるし、西馬音内とは表層が異なるだけで芯に当たる部分は案外似通っているかもしれない。
また、雄物川町の中心地となっている沼館(旧沼館村)にも盆踊りがかつてあったそうだが、そちらのほうは距離的に近い浅舞などと類似性があったと推測できるし、県南各地の盆踊りの繋がりを想像してみるのもなかなか面白いと思う。

無事に機材が直ったようでカラオケ大会が始まった。

カラオケ大会のあとは交通安全音頭が踊られて、大沢盆踊りで締められる流れだと思うが、ぼちぼち西馬音内への移動を開始することにした。
年配男性の方から「これ持ってけ」と冷たいオレンジジュースを頂いた。夜になっても暑さの引かないなか、とても嬉しい差し入れだ。ありがとうございましたm(_ _)m

宵の空の爽やかさと、万国旗が掲げられた少し古びた会場の雰囲気が実に程よいかんじだった。
決してメジャーではないし、大沢の地で粛々と続けられてきた行事ではあるが、保存会会長さんのご挨拶からはこのあとも盆踊りを末永く継承していくという決意が感じ取られたし、県内に数ある盆踊りの中にあっても個性をしっかりと見せられる盆踊りだと思う。
これからも8月17日の大沢の風物詩として愛され続けて欲しい。


4 Replies to “大沢盆踊り”

  1. 大沢盆踊りは初めて見ました。
    秋田音頭の地口ですが、笛に特徴がありますね。
    踊りも角間川や増田の2・3・5番に似ている感じでしたが、所作の意味があるのかな?とか、とても興味深いです!

    1. ふじけんさん
      コメントありがとうございます。
      増田の2・3・5番!う~ん、地元ながら全く知りません(苦笑)
      仰るとおり、大沢盆踊りは笛に特徴がありましたね。
      あと、ユニークな地口も素晴らしかったです。
      一度ご訪問くださいませ~

      1. akitafesさん
        増田の盆踊りは(かつては15番まで)5番まであり、覚えるのが難儀でしたが、所作の意味合いを教えて頂いたらすんなり入ってきました。
        増田城の人柱にされた姫様に因んでいて・・・
        ① 泣き悲しむ
        ② 穴を堀る
        ③ 乳母から奪う
        ④ 穴に投げ込む
        ⑤ 供養膳
        だそうなので知った上で見ると、また違った見方ができるかもしれませんね。

        1. ふじけんさん
          コメントありがとうございます!
          増田の盆踊り、そんな意味があったんですかあ!?
          悲劇の姫君を弔う踊りだったんですねー、勉強になりました(というか、地元なんだし知っとかなきゃいけないですね、、、)
          盆踊りシーズンはさぞお忙しいと思いますが、是非増田の盆踊りにもお越し下さいね~

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です