阿気本村の鹿嶋送り

2020年7月18日
待望の夏祭りシーズンが始まった、と言いたいところだが、コロナのせいでほとんどの行事が中止となってしまった2020年。土崎神明社の曳山行事、竿燈まつり、西馬音内の盆踊り、花輪ばやしといった大規模な行事から、七夕行事、盆踊りなど県内各地で行われる小さな行事まで、ほぼすべての行事の開催が見送られたと言っても過言ではないだろう。
とは言え、祭り・行事が一つも行われなかった訳ではなく、数は少ないながらも例年通り行われた行事もある。
今回はそのなかのひとつ横手市大雄の「阿気本村の鹿嶋送り」に出かけてみました。

今年は県内ほぼすべての自治体に、行事開催の問い合わせを行った。とりあえず、やってくれさえしたら都合はどうにかなるので、まずは行われる行事と行われない行事を明確にしておこうという訳だ。
そして、(我ながら心許ない)ローラー作戦に引っかかった行事の一つが今回の阿気本村の鹿嶋送りということになる。
ただ、横手市役所大雄庁舎の職員の方からの情報によると、例年に比べると規模は縮小され、ワラ人形を大舟に乗せての集落内巡行は実施されないそうだ。

当日。日中は増田町の実家に用事があったため、18時30分ほどに実家を出て、大雄庁舎職員の方から教えていただいた開催場所をカーナビにセットして現地へと向かう。
職員の方からは19時30分~神事を開始、大舟の巡行はなしという点のみ伺っていたが、果たして例年に近い形の開催なのか、全く様変わりした形での開催なのかはよく分からない。とにかく実施されることだけは確かなようなので、現地で様子を見たうえで取材するかどうか決めてみよう。
通常の形態とあまりに異なるようだと、それを記事化するのもどうなのか?という考えもあったし、そもそもコロナ禍真っ只中のこの時期、「集落外の人は観覧もNG」となる可能性もあったので、慎重にならざるを得ない。

県道29号線から阿気方面へ向かうと、丁字路を突き当る。そして右に曲がると‥


狭いスペースではあるが、人が集まり、お囃子が奏でられていた。
これはまごうことなき、お祭りの風景。平時であればいつもの見慣れた光景なのだろうが、コロナ禍で長くお祭りから遠ざかっていただけに感慨深い。
近くに車を止めて、あらためて会場となる、とある建設会社事務所(敷地内)へと向かう。勿論マスクの着用は欠かせない。
交通誘導をしていた地元の男性に伺うと、鑑賞する分には問題なさそうな様子だったので、そのまま見させてもらったのだが、本当ならば祭りの責任者の方にきちんと許可をいただかなければならないはずで、その点については甘かったとあとで反省をした。

会場内に2艘の鹿嶋船が並んでいる。

阿気本村の鹿嶋送りでは「上丁」「西丁」「宮丁」の3集落から鹿嶋船が出される。
本来なら各丁内の舟が3集落全ての通りを巡行するのだが、今年はコロナ対策という事で自丁内のみの巡行に留めたそうだ。今は上丁、宮丁が巡行を終えて、西丁を待っているところだ。
お祭りの当番は輪番制となっていて、今年は上丁が当番。なので、上丁の区域内にあるこちらの建設会社事務所が会場となっているらしい。
これまでおじゃました鹿嶋送り行事では、鹿嶋舟に同行して巡行の様子をつぶさに見てきたのだが、今回はコロナのこともあるし、西丁の鹿嶋舟を探すのは控えよう、ということで会場から動かないようにした。

色鮮やかな鹿嶋人形


カラフルな鹿嶋人形
以前は各家庭で一体の人形を製作して船に飾るのが一般的だったが、今はお一人の方だけで作っているそうだ。
大雄村史では、同じ阿気地域内の「四津屋」の鹿嶋送りで使われる鹿嶋人形について「昔は皆、ガヅギと呼ばれる水辺の草(管理人注:マコモ。イネ科マコモ属の多年草)を刈って来て、自分で鹿島人形を作ったが、今はこの季節(7月20日が実施日)になると、村の女たちが内職仕事に鹿島人形を作り、店頭に出回るので、それを買って済ます人も多くなった。ただ、鹿島人形の背中に立てた幟に鹿島大明神・加勢鹿島大明神と書いたり、自分の家の名前を書いたりして、鹿島舟に乗せる」と紹介されている。
ガヅギを材料に使う点は阿気本村とは異なるし、同史は20年ほど前に書かれたものなので多少の違いはあるかもしれないが、阿気地域ひいては旧大雄村内の鹿嶋人形の製作の様子を伝えてくれているように思う。

ガヅギを使った頭部


船体はかなりしっかりした立派な造りだ。
この後、近くを流れる雄物川へ行き、鹿嶋人形とワラのみを川に流すらしい。
五穀豊穣や悪疫退散の願いを鹿嶋人形に託して、川へ流す行事であることから、県内の鹿嶋送り行事を分布をみると雄物川沿いの地域に密集していることが分かる。
当初は舟を一艘まるごと流すのが一般的だったらしいが、現在では毎年舟を新調する手間や、環境面への配慮などから舟を流さないスタイルが増えてきた。
以前に見た大仙市上淀川の鹿島流しのような、舟が悠々と川を下っていく様子をもう一度見たいものだ。

巡行を終えた西丁の舟が入ってきた。

舟が3艘となり、一段と活気づく。


左から西丁、上丁、宮丁と並ぶ。
3艘を比べると鹿嶋人形は皆同じだが、舟の造りが結構異なっていて、リヤカーに舟を乗せたタイプの西丁と上丁に対し、宮丁は周りを覆っているワラで車輪が隠れるようになっている。
大雄村史では四津屋の鹿嶋送りを例に取り、「鹿島船の骨組を作るにはまず、U字型の木部を用意し、土台とする。左右中央と三か所木枠を立てる。昔は土台の左右に木棒を取り付け、輿のようにして人力で担いだものだが、それからリヤカーを使うようになり、現在は下部に滑車を取り付け、転がすようにしている」と舟の構造について説明している。
これを読むと、リヤカータイプが昔のもので、車輪付きのほうが新しいタイプのようだ。

太鼓の音が賑やかに響いています🥁🥁🥁


県南の鹿嶋送りの大きな特徴として、移動式の太鼓屋台「サイサイ囃子」がセットになっている点が挙げられる。
車輪付きの小型の屋台に2基の太鼓を据え付けたもので、横手市の送り盆行事でも見られる、旧平鹿郡含む横手市の行事ではたいへんポピュラーな祭り道具だ。
これまで見てきた秋田市内の鹿嶋送り(新屋・勝平)では、鹿嶋舟の船尾に太鼓が括りつけられていたのに対し、鹿嶋舟プラスサイサイ囃子の組み合わせがこの地域の特徴ということになるのだろう。
演奏するのは主に子供たちで、行事の数日前から練習を始めたそうだ。なお、会場では子供たちの叩く太鼓とは別に、笛と太鼓の音色が響いていたが、こちらは音源を流していたものとなる。

提灯を掲げた軽トラックが止まっています。

地元の方に教えていただいたところによると、(大雄庁舎の職員の方の仰る)大舟というのはこのトラックのことらしい。
そして、例年であれば大型トラックに(おそらくは大型の)鹿嶋様を乗せて大舟として巡行している訳だが、今年は軽トラに替わったうえに集落内の巡行も取りやめとなってしまった訳だ。
冒頭書いたように今夏はたくさんの伝統行事が中止になってしまったが、この1ヶ月半後に県北地方のとある道祖神祭りでご一緒した、秋田道祖神研究の第一人者小松和彦さん、イラストレーターの宮原葉月さんから伺ったところによると、鹿島送りや鹿島様(人形道祖神)の行事は比較的行われたようだ。(たしかに小松さんのブログを拝見すると、多数の鹿嶋送り・鹿島様行事が紹介されています。鹿島様のいるところに小松さん・宮原さんあり😄)
ただ、どこも規模は例年に比べ縮小傾向にあったようで、現在の状況に配慮しながらの開催だったことが分かる。

あたりが暗くなってきた。


鹿嶋送りや鹿島様の行事はコロナ禍にもかかわらず、結構行われたと書いたが、横手市西部の大雄・雄物川あたりでは取りやめとなったケースが多かった。
先に名前を挙げた大雄の「四津屋」と「八柏」、雄物川では「深井」「薄井」「南形」などが中止(※管理人調べ)になったようで、開催有無については地区単位でまちまちだったと言えると思う。

神事が始まりました。


今年は上丁が当番なのでこの場所で神事が執り行われたが、宮丁・西丁が当番の時には別の場所で神事を行うこととなる。
秋田市内の鹿嶋祭りについていえば、新屋・川尻の鹿嶋送りは神事のみ行われて巡行は中止となったし、鹿嶋送りに限らず春から夏にかけて行われるはずだった伝統行事のほとんどは、神事のみ執り行うスタイルとなった。
コロナの心配がある以上、見物人が多数集まる「風流」としての側面が失われるのはやむを得ないし、妥当な判断だと思う。
そんななか、阿気本村ではお盆の帰省時期に重なってはいないこと、集落外からの観光客が多数訪れる行事ではないことなどを勘案し、鹿嶋舟を出すことに決めたと地元の方に教えていただいた。
コロナ禍の現在、開催するか否かで悩んでいる伝統行事関係者は未だに多いと思うが、これが正解というものを見つけるのが非常に難しく、そのときどきの状況に合わせて適切に判断するしかない現状は本当にたいへんだ。

そろそろ雄物川へ向けて出発


2~30人ぐらいが会場に集まり、皆自由に過ごしている。
仲間とお喋りをしたり、舟の周りをぐるりと回って眺めたり、子供たちの太鼓演奏をじっと聞いていたり‥
地域の集まりの延長線上にあるぐらいの、こじんまりとした祭りで、大きな盛り上がりが待っている訳ではないうえ、今年はコロナのせいで、さらに規模が縮小してしまった。
それでも、地域の人たちが今年も開催しよう、と決定したことに大きな意義があると思う。
3月から本格化したコロナ禍によって、各種行事・イベントの中止が相次ぎ、管理人自身気持ちがやや弱っている部分があったし、収束を迎えていない現在も状態はあまり変わっていない。
そんな状況下において伝統行事が「何もない」と「僅かだが、行われている」では雲泥の差がある。
地元の人たちしか知らないぐらいの小規模の行事である阿気本村の鹿嶋送りが、コロナの弊害を乗り越えて何とか今年も行われたことに、(大げさな言い方になってしまうが)希望の光を見出せた思いだ。

雄物川への巡行が始まりました。


3艘の鹿嶋舟と大舟(軽トラック)が順番に雄物川へと向かう。
一旦は収まっていたお囃子が鳴り響いて、すっかり暗くなった場内にふたたび喧噪が訪れる。
会場に集まっていた人の多くが舟に付き添って川沿いへと向かったが、管理人は会場で見送ることにした。
聞けば、日暮れ後の雄物川沿いは真っ暗で、足元に気を付けないといけないらしい。皆さん、転んだりしないように😀

会場の片づけが始まった。

40分ぐらいの訪問に過ぎなかったが、夏の夕暮れにカラフルな鹿嶋人形が映える美しさが印象に残った祭りだった。
言ってしまえば、民家の庭先ぐらいの狭いスペースに地域の人たちが集まって、のんびり過ごす様子を見ただけではあるが、それでも可愛らしい浴衣姿の子供たちが笑顔で叩く太鼓の音色が賑やかさを伝えてくれて、ひととき高揚した気分を味わうことができた。
願わくば、来年はコロナの心配をすることなく、高らかなサイサイ囃子の音色とともに鹿嶋舟の巡行ができるようになってほしい。


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