蒲田天神講

2018年3月3日
さすがに3月ともなれば春の陽気が感じられる日が増えてくる。
同時に、1・2月にはあれほど盛んに行われていた伝統行事がぼちぼち落ち着いてくるのもこの時期の特徴だ。
それにしても、管理人だけが思っているのかもしれないが、秋田には冬と夏を感じさせてくれる行事・祭りは多いものの、春と秋を感じさせてくれる行事というのがなかなか見当たらない。
「長い冬の終わりを告げる早春に相応しい行事を見たい!」という、そんな管理人の欲求を満たしてくれそうなのが今回の「蒲田天神講」だ。

実は、この行事には以前から興味を持っていて、昨年の秋に訪問を予定したが(行事は3・11月の年2回、月の初~中旬のどこかの土曜日で行われる)、都合が悪く行けなかった経緯がある。
今回の訪問にあたって由利本荘市教育委員会に開催日を問い合わせたところ、3月3日に行われるというので蒲田集落行きを早々に決定
なお、集落の呼び名は「かまた」ではなく「がまだ」となります。

さて当日
16時に蒲田集落に到着
行事開始の17時には少し時間があるのでそのへんをぶらぶら。集落横を流れる川は水が澄んでいてたいへん綺麗だった。

集落内の様子。写真だけで見るとそれほどでもないが、実は結構寒い。
やはり、冬~春への移行期だけあってまだまだ防寒対策は欠かせない。

時刻は16時半
この行事の宿となる蒲田公民館に到着。中から子供たちの声が聞こえる。

中に入ると幾人かの子供たちとその親御さんと思しき男性、女性がいらっしゃった。
いきなりの訪問で恐縮したが、由利本荘市教育委員会に連絡した際、教育委員会から集落のほうに「お客さん(管理人)が行くかも」と伝達されていたようで快く迎えていただいた。
こういうのは本当に有難いです。
逆に昨年11月も教育委員会に開催日を尋ねていたのだが、そっちのほうは結局管理人が行かなかった訳なので、何だか肩透かしを食らわせちゃったみたいで申し訳ありませんでしたm(_ _)m

中に入ると子供たちが元気に遊びまわってますよ。

いきなり登場した得体の知れない男(管理人)そっちのけに、子供たちは部屋中を駆けずり回って元気いっぱい
これから行事につきまとうけど気にしないでね。


秋田の祭り・行事」によると、この行事は「天神様を敬い子供たちの学業の進歩を祈願する」行事ということだ。
そして内容については「午後5時に公民館前に集合、行列を組み、天神様の神体を棒持して天満宮の碑に向かいます。天満宮の碑に椿や紅葉を奉納し、太鼓の合図で大声を出します。その後公民館に戻り床の間の天神様を拝んだあとで、ご馳走をいただきます」とある。
今は17時の出発を待って子供たちが公民館で待機中という訳だ。

親御さんからお聞きしたところによると、今日行事に参加する子供は全部で17人とのこと
管理人が予想していたよりも全然多い。
というのも「秋田の祭り・行事」に掲載されている写真では6人ほどだし、以前DVD版を鑑賞した「由利本荘市 民俗芸能と祭りガイドブック」でも10人に満たないぐらいの人数だったと記憶している。
何がともあれ少子化が叫ばれて久しい秋田において、子供の数が多いのは当然ながら良いことです。
なお、内訳を紹介しておくと‥
6年生・・2人
5年生・・1人
4年生・・2人
3年生・・1人
2年生・・5人
1年生・・2人
新1年生・・4人
という具合だ。
この行事は蒲田集落の小学校1年生~中学校3年生までの子が参加することになり、この4月から小学校に入る子については入学間近ということで参加する慣わしなのだそうだ(小中学生で構成される「」ということです)。
また、年長の子が行事の仕切り役というかリーダー役を務めるが、現在は小6の男の子1人女の子1人がいちばん年長であり、この先中3になるまで仕切り役を務めることとなる。
そして子供たちの親御さんご夫婦2組がサポート役(当番制)として行事の支援を行う。

上座を見ると‥


天神様の掛け軸と御室、そして御神酒が用意されている。
慎ましく置かれた御室がこの行事の全てを語っているかのようだ。
県立図書館で読んだ「由利の民俗(上巻)」によれば、天神講は旧由利町内でも蒲田集落を含む鮎川地区に突出して多く組織されたそうだ。
他の地区では皆無(唯一、東滝沢地区の曲沢集落では確認できたらしい)であり、なぜこのような分布を示しているのかは分からないとのこと
明治時代に始まったという説はあるものの、その起源は定かではなく謎の多い行事のようだ。

こちらが天神の碑に奉納される椿の枝

春には椿、秋には紅葉が奉納される。
まるで祭具が四季を表現しているみたいで、えも言われぬ風情が感じられる。
「由利の民俗(上巻)」にこの行事の詳細が記されているが、それによると椿や紅葉は子供たちが山から採ってきたものを奉納するという。
また、1人のお父さんから教えていただいたところによると、この後のご馳走のメニューから、行事の開催日に至るまで大抵のことを子供たちが決定するらしい。
子供たちが行事にかかわる、という以上に行事自体が子供たちによって運営されているのだ。

待機中の子供たちは基本的に自由にしていて問題ないが、本来は学業の神様への祈願の日であることから、皆で仲良く勉強して過ごすのが本来の姿のようだ。
ただ、子供たちがせっかく集まって一緒に過ごすのだし、そのへんはあまり厳しくしていないそうで、遊んで過ごすのもありということになっている(ただ、さすがに電子ゲームはマズかろうということになっている)。
今どきの子たちの間ではカードゲームが流行りらしく、皆が熱中しているのだった。

お神酒と御前魚(おみざかな)のスルメ

全員揃ったところでリーダー役の男の子女の子が「みんなー集まってー」と皆を集め、子供たちが順番に椿の枝に御幣を結びつける。
いよいよ巡行に向けて準備が始まるようだ。


さすがに17人もの子たちが集まるとワイワイと賑やかです。
年長の2人が、まるで世話女房のように1人1人に細やかに所作を教える。
「僕たちもこの行事の進め方とかよく分からなくて。子供たちのほうが詳しいぐらいですよ」と、1人のお父さんに教えていただいた。
たしかに親御さんが指示出しせずとも、年長の2人が時間を確認しながら自主的に行動し、下の子供たちがその呼びかけに従って動くという構図が成り立っている。
名ばかりではない、子供たちによる本物の「講」の行事ということが分かる。

そろそろ天神様の碑に向かって出発します。

椿を持って先頭を歩くのはいちばん年少の子たちと決められている。
このシーンに限らず、基本的には子供たちが何かをする際には年少の子が先に行うことになる。
大人の行事ならばそのへんをアバウトに進めることもあるのだろうが、子供たちの几帳面さのあらわれなのか、年少者が先のルールは厳密に守られていた。

道路に雪はないものの未だ春浅いなか、子供たちが元気に巡行。とても素敵な光景だ。
「由利の民俗(上巻)」に、この行事に参加していた鮎川小学校児童の作文が紹介されている。
作文は「天神講はたいへん古くから伝わっている行事なので、もっとたくさんの人が参加して大事にしていきたいと思います」と結ばれている。
地元の行事を大事にしていきたい、という何気ない一文に蒲田への愛着が込められているようで思わずウルッとしてしまう。
この先、蒲田に残る子、都会に出ていく子など様々な道を歩むことになると思うが、この行事を良き思い出としていつまでも忘れないで欲しいと思う。


子供たちの巡行を微笑ましく眺めていたら、あっという間に天神の碑のある八幡神社に着いてしまった。
時間にして3分ほどの巡行

ここ八幡神社には蒲田集落の氏神が祀られている。
そして鳥居に至るまでの階段には‥

このように砂が盛られている。
集落の方もこの由来はよく分からないとのことだったが、「由利の民俗(上巻)」によると「神様の通り道」と呼ばれるようだ。
ただ、それがどのような意味を持つのかは書かれていなかった。
当然、盛砂を行ったのは子供たちである。


当日に神社境内や参道の清掃ののち盛砂を作ったらしいが、蒲田育ちのあるお母さんに言わせれば「私たちが子供の頃は一気に砂を盛ってはいけないということで、両手で砂をすくって手を擦り合わせて落ちる砂を盛ったんですよ」とのこと
当然ながら、それはそれは時間がかかったそうだ。

天神の碑が立っている鳥居手前右手の少し開けた場所に皆が到着
椿を奉納し、天神の碑に注連縄をかける。
因みにここには天神の碑の他に「田神」「庚申」の碑も立っている。

一人ずつ順番に碑にロウソクを立てて10円玉を捧げる。

続いては御神酒をいただく。
小学生ということでごく少量だが、日本酒がリーダー役の女の子から振舞われた(言っておきますが、御神酒を一杯頂くぐらいであれば「飲酒」には当たらないと解釈されているので、これは未成年飲酒とはなりません。念のため)。

日本酒ってどんな味なのかなあ‥と興味津々

当然「ういーっ日本酒うめえなあ」となるはずもなく、皆一様にしかめっ面になってしまう。口直しのスルメが大人気だった。

そして碑に向かって皆で叫ぶ。

管理人的には、大勢の子供たちが声を張り上げるシーンは昨年2月の大保のカマクラ行事で見て以来だ。
あのときは小正月行事の鳥追いとして子供たちが家々を巡回して叫んでいたが、蒲田の天神講は「天神様を呼ぶために大きな声を出す」とされており、太鼓が「ダダダダダダ‥」と連打される間叫ぶ決まりになっている。
「由利の民俗(上巻)」には「この行為は数回繰り返される」と書かれているが、今は1回だけ行われている。

天神の碑の参拝を終えて、公民館に戻るとみんなお待ちかねのご馳走の時間となる。

親御さんたちが作ったカレーライスをリーダーが皆に取り分ける。

小さい子から順番にカレーを給仕。美味しそうなカレーにみんな笑顔です。
かつては集落全戸から米や野菜を調達して、それを材料として調理していたらしいが、現在は寄付を募る形で集落の人たちからの協力を得ているそうだ。

旨そうです。

カレーライスに野菜サラダ、フルーツもついて食べごたえあります。
料理については子供たちからのリクエスト制であり、以前はスパゲッティやハンバーグなどが出たこともあったらしいが、今はカレーライスが定番となっている。
手軽だし、美味しいし、何より子供たちが大好きだし、カレーライスでよいと思います!
また、飲み物はCCレモンとアップルジュースが人気だったが、今の子供たちはミックスして飲むのがデフォルトのようだ。

ご馳走の前に御室へ一礼


このときばかりは元気な子供たちが一瞬静かになる。
以前はこのタイミングで「天神様のうた」が歌われたらしい。
また、子供たちの席順については年長者から順に上座に着くことになっていて、同い年の子がいる場合には先に生まれた子が上座に着くことが厳密に守られているそうだ。
見過ごしそうになってしまうぐらいの細かいしきたりがきちんと継承されている点が素晴らしい。

子供たちが美味しそうにご飯を食べる。

あれだけ元気だった子供たちが、一言も発せずご飯に集中。子供らしくていい場面

リーダーである小6の男の子女の子にとっては、皆をまとめる長としての責任感を身につけるにはもってこいの行事だし、リーダーの指示にしたがう子たちにとっても社会性、協調性を養うとても良い機会だと思う。
個人主義的な考え方が浸透する現在においては、「年長者の言うことを聞きましょう」「みんな一緒に行動しましょう」といった前時代的な教えは軽んぜられる傾向にあるが、行事を通じて昔からの教えを実践するという意味でもたいへん有意義な行事ではないだろうか。

子供たちを見守るかのような御室の佇まい

「由利の民俗(上巻)」では、蒲田集落を「昔からの伝統ある講を、出来る限り忠実に残そうと努力している」と紹介している。
時代の要請とともに変わる部分もあるにせよ、子供たちが中心になって行事を執り行う講の性質には何も変わりはないし、2組の親御さんが輪番で当番を受け持ったり、食器を各自持参する決まりなどはいにしえの有り様そのままに受け継がれており、同著が記しているとおりであることを実感できた。

外はもうすっかり暗くなってます。

このあと21時ぐらいまで皆で飲んで騒いで、いや楽しく語らい遊びながら過ごすそうだ。
管理人もそろそろおじゃまするとしよう。
公民館をあとにしようとしていると、1人のお父さんがお土産として缶ビール2本とつまみをくださった。
急に来て、行事にべったりくっつくだけの管理人を快く迎えていただいたうえ、お土産までくださってありがとうございましたm(_ _)m

すっかり日が暮れて山の端が薄暗くなっている。風車のシルエットが印象的

長い冬の終わり、そして待ちに待った春の到来を感じさせる風景のなか、子供たちがいにしえからの伝統を受け継ぎながらを行事を執り行う様子を見せてもらった。
時代に合わせて行事のしきたりや運用を変えることもできるはずだが、そうはせずになるべくきちんと残そうとする集落の人たちの気概も伝わってくる素敵な行事だった。
そして、素直で純朴な子供たちが行事を楽しんでいる様子が目一杯伝わり、たいへん微笑ましい気持ちにもなれた。
早春の爽やかな風を伝えてくれる、とても印象的な行事がここ蒲田集落で行われていることを1人でも多くの人に知ってほしいと思う。


“蒲田天神講” への2件の返信

    1. 柿崎力さん
      コメントありがとうございます!
      子供たちの元気の良さと、蒲田の地に受け継がれる伝統が融合した、ささやかながらとても印象的な行事でした。
      以前はこのような形態の行事が由利本荘のいろんな場所で行われていたらしいのですが、今はここ蒲田集落だけとのこと
      少し寂しい気もしますね。
      次は11月、椿を紅葉の枝に持ち替えて開催される予定です!

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