2021年2月14日
先の記事「アメッコ市」鑑賞を終えた後に、大館市から小坂町へ移動して鑑賞したのが今回の「川上地区の雪中田植え」
会場となる川上公民館は以前訪れた「濁川の虫送り」「川上地区連合盆踊り」などで管理人的にはお馴染みの場所であり、それらの行事の際に連絡先を交換した川上地区内の濁川在住 中村義信さんから「よかったら毎年2月14日に行われる雪中田植えも見にきてください」と前々からお声がけいただいていたのが訪問のきっかけだ。
2021年の2月14日は運よく日曜日!この好機逃すまい!ということでせっせと出かけてまいりました。
アメッコ市のあとにランチを取ったのち小坂町へと移動、13時20分に川上公民館へ到着
義信さんから教えていただいた当日スケジュールは以下の通り
13:30 稲作学習会
14:30 雪中田植え準備(学習会終了後)
15:00 雪中田植え
15:30 終了
ということで、13時30分~稲作学習会参加にちょうど良い時間に到着
公民館内の一室に入ると‥
あれ?思っていたのと雰囲気が違う‥
管理人的には雪中田植えがメインであり、その前段階としての「稲作学習会」と思い込んでいたので、例えば「雪中田植えの起源について」とか「川上地区の雪中田植えの歴史」とかそんな切り口の学習会だと思っていたのだが、全く違った。JAかづの職員の方を招いての米作りと収量・販売に関する報告会だった!
管理人は全くの部外者&全くの門外漢なワケで、こんな真剣な場にいること自体完全な場違いだし(おまけに発表者であるJA職員の方の真横に座っているし‥)、川上地区の皆さんにとっても何の益にもならないが、管理人分の資料までご用意くださったとあっては参加しない訳にはいかない。1時間の学習会で川上地区の米作の現状とこれからの見通しについて、しっかりと学ばせてもらいました🙇♂️
学習会後半の質疑応答のパートでは結構突っ込んだ議論が交わされ、その分時間が押してしまったが、14時45分に終了。雪中田植えのために一同屋外へと移動
公民館入り口付近の雪が積もっている一角に分け入って木の杭を立て始める。正確に記すと、この催しは雪中田植えを行うことで「川上地区の民俗文化を掘り起こし、継承していく ※川上地区回報から引用」ことを目的とした「小正月行事を再現する会」であり、豊凶占いを目的とした一般的な雪中田植えとは趣を異にする。
なお、豊凶占いをする場合には、田植えの数週間後に稲刈りを行い、その際の稲の状態を見て豊作・不作・凶作を判断するらしい。
4本の杭が立てられて、注連縄が巻かれた。
今回の行事にあたって作成された回報に、「冬田植え」として以下の通り紹介がなされている。
田の神様に豊作を祈願した行事。家の周りの畑など、雪の四方に稲ぐいを立てて田に見立てる。くいは、田植えの作業をする人を表すというが、神の領域をも示すもの。この中に豆からとわらを束にしたものを、家の田の枚数と同数植える。持参した供物を供え、すべて食べてから帰る。その後は雪が消えるまでそのままにしておいた。
また、鈴木元彦さんという方の著書「稲の民俗誌」には「庭田植え」として「小正月当日、屋敷内の雪の上に一坪ほどの田の形代をつくり、籾がらをまき、藁や大豆茎を稲に見立てて田植えをするものである」と記されていて、おそらくこれが雪中田植えの基本的な作法なのだと思う。
参拝の皆さんはすげ笠に蓑をまとう。本格的です。
公民館倉庫に保管していたテーブルを献饌台(供物を供える台)として、その前に参拝の皆さんが並ぶ。
先に「一般的な雪中田植え」などと書いてしまったが、県内では現在どれぐらいの地域で雪中田植えが行われているのだろうか。北秋田市綴子の大太鼓の館前で行われるそれは、田植えの様子が結構テレビで放送されるし、由利本荘市鳥海町の笹子冬まつりや、大仙市の太田の火まつりのなかで1つのイベントとして行われていたりもする。
また、ネットで調べたところ、それら以外にも行われている(いた?)地域があることが確認できたが、そのいずれもが豊凶占いという本来の目的ではなく、地域に伝わる風習を忘れない、途絶えさせないといった点に重点が置かれているようだ。
右に写っているのが中村周傍さん。以前自著「無為漫録(一・二巻)」を管理人にプレゼントくださった方だ。
今年の豊作を祈願して、柏手を打つ。
以前に管理人が訪問した「勝平の鳥追い」では、地元三種町の子供たちが鳥追いのあとに雪中田植えを行っていた。冷え切った真冬の夜にガチガチに固まった雪の田んぼに苦労して、それでも楽しそうに子供たちが田植えをする様子が思い出される。
そこには次の世代へこの貴重な風習を積極的に繋いでいこう、という地域のポジティブな姿勢が見て取れたし、この飽食の時代にあって米、食物の大切さを子供たちに教えるという点でも優れた取り組みだと思う。
川上地区の雪中田植えも、これから若い世代へと継承されていくのだろう。
周傍さんによる祝詞奏上
当ブログでたびたびお名前を挙げさせていただいている、齊藤 壽胤先生の「あきた風土民俗考」の「稲作儀礼」の項では、「『小正月は百姓の正月だ』といわれる。各地域ではそれぞれ、小正月に稲作の予祝行事である雪中田植えや、その年の豊凶を占う年占など稲作農家にとって大事な行事が目白押しであった」としたうえで、春の田植えの時期についても「田植えの際は、さまざまな民俗行事が行われた。サビラキや初田植えと呼ばれるものもその一つ。田植えを始める日を選んで、水路から水を引く水口付近の田んぼに数把の早苗を儀式的に植えるのが一般的。水口には赤飯、酒、鰊の煮染めなどを供えて田ノ神を祭る。また、家では田ノ神の掛け図を飾り、苗を2把、朴の木の葉に包んだ豆の粉飯、鰊、酒などを供えて田植えの無事、豊作を祈る」と数々の儀礼が営まれていたことが紹介されている。
そして、それらの儀礼は戦後になって徐々に消滅していくこととなる。
時代が移り変わるなかで、多数の風習・行事が消えていくのはやむを得ないことではあるが、稲作と信仰が密接に結びついていた時代、人々が万感の思いと共に豊作への祈りを捧げていたことは容易に推測できる。
以前のような米の豊凶が直接的な生き死に関わることがなくなった現代において、このような形でいにしえの儀礼を再現することは、苦難の時代を生きてきた先人たちへ敬意を払い、これからも地域に伝わる伝統文化を受け継いでいく決意表明みたいなものだと思う。
無事に田植えが終了。こののち、雪解けが本格化するまで稲はそのままにしておくこととなる。
稲作学習会では、令和2年度の総括として、結果的には作柄の良い年とはなったものの、春先の低温傾向(雪解けは早かったが、気温の上がらない期間が多かった)や夏の気温上昇による高温障害(稲の葉が赤く変色する)など、稲の生育にとって理想的な環境とならず、農家の皆さんが苦労して米を育てたことに言及があった。
世界的な異常気象が叫ばれている現在、この先の順調な稲の生育・収穫を保証するものは何もないが、地域の人たちが手を携えて事に当たれば、どんな危機をも乗り越えて行けると思う。
15時過ぎにお開きとなった。
例年であればこの後直会へ移るが、今年はコロナのため直会は中止。管理人も顔なじみの皆さんに挨拶して、公民館をあとにした。
準備時間含め20分足らずの短時間ではあったが、すでに消え去りかけている風習が今でもしっかりと受け継がれている姿を確認できた。
これからも米農家の皆さんの思いを乗せた、地域の守るべき風習として続いていってほしい。